僕の心は既に壊れていて、自分が何者かすらも分からなくなってしまっている。
僕の中には、さまざまな俺がいる。
ものすごく内気で臆病な自分もいれば、ものすごく明るくてひょうきんな自分も、ものすごく変で危うい自分もいる。しかし俺はどの自分が出てきていても、特に違和感を感じなくて、それが何かを決断しないといけなくなった時に、僕を惑わせるから、だから生き辛さを感じる。
昨日の俺は、はっきりしていて、変な自分が出てきていた。この自分は、自分の思ったことを言うことができて、とても楽だけれど、その結果発した言葉を、後から内気で臆病な僕が反省した時には、悶えて叫び出しそうになってしまう。だけどその時はそうするのが一番ベストだったことも分かっているから、だからある程度受け入れて、忘れようとするのが、俺の日常になっていた。
多面性、とも言い難い。
恐らく周囲から見れば、それほど俺が変わったとも思わないだろう。なぜなら僕の心の動きに比べ、俺の言動や行動の変化は、些細なものだからだ。もし気付いていたとしても、ただの気まぐれくらいにしか思わないだろう。だけどその些細な変化を、僕は人殺しでもしたかのように、大きく捉えて、反芻してしまう。その結果、生まれたのは、自己分析のロボット。常人の何倍もの反省と自己分析を行い、何が今の状態の自分にとって最適か、どこまでが限界かを冷静に見極めながらしか会話ができない、まるで感情のないロボットのような人間になってきていることを、自分で理解しつつも、それでもそれをやめると、本当に死んでしまう危険性があるから、そうせざるを得なくなってしまっているのだった。
自分が楽になるように生きるしかなくなってしまったのだから、俺はこの先大成できないのだと思う。鬱になったあの時、僕は人として死んだのだ。死ぬことが選択肢に入ってしまったら、何をするにもまず、それを選択することに繋がらないような立ち回りをすることにリソースを取られてしまって、もう何もかもがダメ人間になるのだ。私はもう、あの時の己ではない。わたくしは全てに絶望して、何をしても報われないと思ってしまって、そうなるとあたしはもう、何も気力がなくなって、目から光が失われて、かつて吾輩にあった無償の優しさが、奪われていって、我は全てに嫌われていくのだ。
僕は何だ?
俺は何だ?
私は何だ?
誰か教えてくれ。生き方を。と思った途端、人に頼って申し訳なさで潰れかけたあの頃を思い出して、僕はその気持ちを押し殺した。
そしてまた、希望的観測を自分の中から排除して、
感情を殺しながら、生きる覚悟を決める。
あの頃の、自己否定の無限地獄を思い出すと、何でもできる。
なぁ、そうだろう?
なぁ。
そうだと言ってくれ。
お願いだから。




