第12話「見えない壁と土の防人」
乾いた荒野の大地を揺るがす地響きが、村の境界へと次第に近づいてくる。
鋼の鎧と武器がぶつかり合う重苦しい金属音と、兵士たちの怒声と、地を鳴らすような重い足音が、熱を帯びた風に乗ってルークの耳にも届いた。
ルークは手にしていたクワをゆっくりと地面に下ろし、顔を上げて地平線の彼方に目を向ける。
視界の端、緑の草原が途切れる境目の向こう側に、土埃を巻き上げながら進んでくる黒い軍勢の姿があった。
太陽の光を反射してギラギラと光る剣先や槍が、無数に波打っているのが見える。
「あれは……王国の近衛兵?」
隣で籠を持っていたセリアが、信じられないというように目を見開く。
彼女の視力は、軍勢の先頭で黒い馬に乗る男が、かつて自分たちを見下した第一王子レオンであることを正確に捉えていた。
「わざわざこんな辺境まで、何の用だろうね。魔物にしては統制が取れているし」
ルークは首を傾げ、まるで遠くで通り雨が降っているのを眺めるような、ひどく呑気な声でつぶやいた。
彼にとって王国軍は、もはや自分の生活を脅かすような存在として認識すらされていなかった。
ただ、せっかく耕した畑を踏み荒らされては困るなと、その程度の感想しか抱いていない。
「村の皆は家の中へ。僕とセリアで少し様子を見てくるよ」
ルークは広場で不安そうに立ち止まった村人たちに穏やかに声をかけ、ゆっくりとした足取りで村の境界へと向かって歩き始めた。
その足元には、いつの間にかシロが寄り添い、短い毛を逆立てて低く唸り声を上げている。
一方、村の境界まであと数十歩の距離に迫った王国軍は、突如として見えない壁に激突して歩みを止めていた。
先頭を走っていた兵士たちが、何もない空間にぶつかり、鼻を押さえて次々と尻餅をつく。
それはルークが夜風の中で編み上げた、悪意を退ける柔らかな結界であった。
殺意や略奪の意思を持って侵入しようとする者は、まるで分厚いゴムの壁に阻まれたように、前に進むことができないのだ。
「なんだこの壁は。魔法陣も見えないぞ」
突如として行く手を阻む見えない壁に、兵士たちは困惑の声を上げる。
「ええい、どけ。剣で切り裂いてしまえ」
苛立った兵士たちが剣を振り下ろし、槍で突き刺そうとするが、刃は何の抵抗もなく空を切るか、あるいは鈍い音を立てて弾き返されるだけだった。
レオンは馬の上で顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。
「何をもたもたしている。たかが錬金術師の結界だろうが。魔法部隊、一斉詠唱で吹き飛ばせ」
レオンの命令に従い、後方の魔法兵たちが杖を掲げて炎や雷の魔法を放つ。
しかし、それらの破壊のエネルギーは結界に触れた瞬間、朝露が太陽に溶けるように霧散し、微かな光の粒子となって土に吸い込まれていった。
結界の構造そのものが、外部からの魔力を大地の養分として変換する術式で組まれているためだ。
「馬鹿な……我が軍の精鋭の攻撃が、全く通じないだと」
レオンの顔から血の気が引き、その目に再び恐怖の色が浮かび上がる。
その時、結界の向こう側の草むらがガサリと大きく揺れた。
ルークが畑の案山子として配置していた、子供ほどの大きさの泥人形たちが、ずらりと横一列に並んで姿を現したのだ。
彼らの丸い顔の窪みには、警告を示す赤い光が点滅している。
害獣が結界を破ろうと群れをなしていると判断したゴーレムたちは、侵入者を排除する行動プログラムへと移行していた。
ゴーレムの一体が、足元の硬い岩石を軽々と拾い上げる。
その細い腕からは想像もつかないほどの力で、岩石が結界の外へと恐ろしい速度で投擲された。
風を切り裂く轟音と共に飛来した岩石は、兵士の構えた鋼の盾をまるで紙切れのように粉砕し、後方の地面に深いクレーターを穿つ。
悲鳴を上げる間もなく、次々と放たれる岩石の礫が、軍勢の隊列を容赦なく崩壊させていった。
「ひいっ……化け物だ」
想像を絶する暴力の嵐を前に、王国兵たちの顔は絶望に歪む。
「逃げろ、命が惜しければ下がるんだ」
疲労困憊だった兵士たちの戦意は、一瞬にして砕け散った。
魔法も剣も通じず、見たこともない泥人形からの圧倒的な攻撃の前に、彼らは武器を投げ捨てて我先にと背を向けて逃げ出し始める。
「逃げるな。戻れ。私を置いていくな」
レオンは狂乱して叫ぶが、誰も彼の声に耳を貸そうとはしない。
パニックに陥った彼の乗る黒馬もまた、飛来する岩石の恐怖に暴れ狂い、レオンを背中から大きく振り落とした。
レオンの体は宙を舞い、乾いた荒野の土に無様に叩きつけられる。
豪華な鎧は泥にまみれ、口の中にはジャリジャリとした不快な砂の味が広がった。
「ぐるるるる……」
地面に這いつくばるレオンの耳に、大気を震わせるような恐ろしい獣の低い声が届く。
見上げると、結界の内側で真っ白な子犬のような獣が、彼を見下ろして牙を剥いていた。
その小さな体からは、想像を絶する神々しい魔力の圧が放たれており、レオンは恐怖で指先一つ動かすことができなくなる。
シロが短く吠え声を上げた瞬間、空気が物理的な重さを持ってレオンにのしかかり、彼の意識は暗い底へと沈んでいった。
「あれ、もう帰るのかな」
遠く離れた畑のそばで、ルークは逃げ去っていく軍勢の砂埃を眺めながら、不思議そうに首を傾げた。
「大方、カラスの群れか何かだったんじゃないかしら。案山子たちがよく働いてくれたわね」
セリアもまた、ルークの淹れた冷たいお茶を飲みながら、微塵も気に留める様子もなく微笑む。
かつてルークを見下し、国を追放した第一王子の野望とプライドは、辺境のただの案山子と番犬によって、ルークに認識されることすらなく完全に打ち砕かれたのであった。
平和な村には再び穏やかな風が吹き抜け、黄金の麦畑がさわさわと優しい音を奏で続けている。




