第1話「冷たい王城と終わりの宣告」
登場人物紹介
◆ルーク
本作の主人公。
18歳。
王宮で酷使されていた宮廷錬金術師。
本人は自分を平凡で取り柄がないと思っているが、実は物質の構造を根源から作り変える失われた古代錬金術の使い手。
性格は温厚で優しく、争いを好まない。
辺境で自由気ままな土いじりの生活を楽しむ。
◆セリア
本作のヒロイン。
18歳。
ルークの幼馴染であり、若くして王国近衛騎士団の団長を務めていた天才剣士。
ルークの追放を知り、あっさりと地位も名誉も捨てて彼を追いかけてきた。
ルークに対しては一途で過保護。
彼の作る料理と、彼が隣にいる生活を何よりも大切にしている。
◆グラン
ルークが畑仕事の手伝いとしてその辺の土と岩から錬成したゴーレム。
見た目は丸みを帯びた素朴な泥人形だが、その強靭さは城壁を上回り、腕の一振りで岩山を砕く伝説の守護精霊と同等の力を持つ。
ルークを親のように慕い、農作業に精を出している。
◆シロ
ルークが辺境の森で罠にかかっていたところを助けた真っ白な獣。
見た目は愛らしい子犬だが、正体は神の使いとされる霊獣の幼体。
ルークの錬成した魔力豊かなご飯の虜になり、従魔として住み着く。
王国軍の精鋭部隊を鳴き声一つで気絶させる力を持つ。
◆レオン
王国の第一王子。
自己中心的な性格。
ルークの地味な錬金術を役立たずと見下し、彼を追放した張本人。
ルークの能力の真実に気づかず、のちに王国が崩壊の危機に瀕したことで自滅していく。
朝の白々しい光が、高い窓から冷たい石造りの床へと斜めに差し込んでいる。
空気中を漂う細かな塵が、光の帯の中でゆっくりと旋回を繰り返していた。
ルークは古びた革靴の底越しに、王城の床の冷たさを足の裏で感じ取っている。
彼の着ている簡素なローブからは、長年の作業で染み付いた薬草の青臭い匂いと、金属の錆びたような匂いが微かに漂っていた。
徹夜で王都の結界を調整していたため、まぶたの裏にはまだ重い疲労が張り付いている。
指先には微かな痺れが残り、魔力を酷使した後の特有の熱を帯びていた。
ここは王城の奥深くにある、滅多に人が寄り付かない大広間だ。
巨大なタペストリーが壁を覆い、歴史ある王国の威厳を静かに主張している。
しかし、今のルークにとってそれらは、ただの色彩を持った布切れに過ぎなかった。
重厚な木製の扉が、低く空気を震わせながら開け放たれる。
硬質な靴音が、静まり返った大広間の石床に冷たく響き渡った。
「そこにいたか、役立たずの錬金術師」
高く、そしてひどく耳障りな声が広間の空気を切り裂く。
入ってきたのは、豪華な金糸の刺繍が施された上着を羽織る第一王子レオンである。
彼の歩みに合わせて、首元や指先に飾られた宝石が冷たい光を乱反射している。
ルークは伏せていた視線をゆっくりと上げ、その光の瞬きを静かに見つめた。
レオンの後ろには、取り巻きの貴族たちが歪んだ笑みを浮かべて並んでいる。
誰もがルークの地味な服装と、疲労に満ちた顔色を嘲笑の目で見下ろしていた。
「お呼びでしょうか、レオン殿下」
ルークの声は、驚くほど平坦で静かだった。
喉の奥が少し乾いていたが、声がかすれることはなかった。
「貴様を呼んだのは他でもない、今日限りでこの王城から出て行ってもらうためだ」
レオンは顎を高く上げ、見下すような視線をルークに突き刺す。
「貴様の作る光るだけの石や、苦いだけの薬など、もはや我が国には不要だ」
その光る石が王都全体を魔物から守る結界の要であり、苦い薬が兵士たちの命を繋ぐ万能薬であることを、彼らは知らない。
ルークはそれを説明しようとはしなかった。
言葉を尽くしても、目の前のきらびやかな衣装をまとった人々に届くことはないと、これまでの日々が証明していたからだ。
胸の奥で、長年張り詰めていた見えない糸が、音もなくぷつりと切れるのを感じた。
「……承知いたしました」
ルークは深く頭を下げ、静かに言い放つ。
その動作には迷いも、怒りも、悲しみすらも含まれていなかった。
ただ、長すぎる労働からようやく解放されるという、奇妙な安堵だけがあった。
「せいぜい、辺境の泥水でもすすって生き延びるがいい」
レオンの冷酷な言葉が背中に投げかけられる中、ルークはゆっくりと背を向ける。
『これで、やっと静かに眠れる』
ルークは心の中で短くつぶやき、重い扉に向かって歩き出した。
王城の廊下はどこまでも長く、冷たい石の壁が冷気を放っている。
すれ違う文官や衛兵たちは、誰もルークに声をかけることはなかった。
ただ、遠巻きに蔑むような視線を向けるだけである。
ルークは自分の工房に戻り、使い古した革の鞄に最低限の着替えと、いくつかの種だけを詰め込んだ。
錬金術の道具は一切持たなかった。
彼にとって、手と土さえあれば、この世界の全てが素材となるからだ。
工房の片隅で淡い光を放っていた魔石にそっと手を触れる。
指先から微かな熱を送り込み、自分が編み上げていた結界の術式を静かに解いた。
光がふっと消え、石はただの曇ったガラス玉へと変わる。
王城を出ると、眩しい太陽の光が容赦なく降り注いできた。
風が通り抜け、ルークの短い髪を揺らす。
空気の匂いが、石と香炉の匂いから、土と草の匂いへと変わっていた。
肩に食い込む鞄の重さが、彼に自由という現実を静かに教えてくれる。
ルークは一度だけ振り返り、そびえ立つ王城の尖塔を見上げた。
そして、もう二度と戻ることはないと決意し、王都の門へ向かって歩き始めた。
足取りは、ここ数年で一番軽く、力強いものだった。
王都の門を抜けると、舗装された道はすぐに途切れ、土と砂利の街道へと変わる。
ルークは地図も持たず、ただ太陽の沈む方向へと歩き続けていた。
目指すのは、誰も寄り付かないと言われる最果ての辺境である。
道すがら、すれ違う行商人たちの荷馬車が、乾いた土埃を巻き上げていく。
ルークはその度に立ち止まり、埃が収まるのを待ってから再び歩き出した。
太陽は高く昇り、じりじりと肌を焦がすような熱を放っている。
背中にはじわりと汗が滲み、使い古したローブの生地を重くしていた。
それでも、ルークの顔にはかすかな笑みが浮かんでいる。
誰にも急かされず、誰の命も背負わず、ただ自分の足で歩くという行為が、彼にとっては新鮮で心地よかった。
道端に咲く名も知らぬ小さな花の色や、遠くの森から聞こえてくる鳥のさえずりが、ひどく鮮やかに感じられる。
これまでは、空を見上げる余裕すら彼にはなかったのだと、改めて気づかされた。
夕暮れが近づき、空が燃えるような茜色に染まり始める。
ルークは街道から少し外れた木の下で立ち止まり、鞄を下ろして深く息を吐いた。
冷たい風が汗ばんだ首筋を撫でていき、心地よい疲労感が全身を包み込む。
これからの生活に不安がないわけではない。
しかし、それ以上に、何もない土地で一から自分の居場所を作るという静かな高揚感が、彼の胸の奥で確かに脈打っていた。




