3話
翌日から、師匠による二人の「修行」――という名の、あまりに過酷な日常が始まった。
「オウマ。お前は、まずはその鍬で畑を耕していろ」
師匠から手渡されたのは、一見どこにでもある古びた鍬だった。
オウマはそれを手に取り、畑へ向かう。だが、その足取りはどこか危うく、動作はひどくぎこちない。
一振り。鍬を地面へ下ろしたその瞬間、重みに耐えかねたオウマの手から柄が滑り落ちた。
――ドォォォォンッ!!
ただ鍬を落としただけとは思えない、地響きのような重低音が響く。
放り出された鍬は、自重だけで地面に深くめり込み、周囲にひび割れを作っていた。
「……っ、おい! 待て、これ……重すぎるぞ! 」
痺れる両手を振りながら、オウマが驚愕の声を上げる。
前世の魔王としての筋力も魔力もない今の体では、持ち上げることすら死に物狂いだ。
だが、そんな弟子の泣き言を、師匠は鼻で笑って切り捨てた。
「はあ? 何、甘えたことを抜かしてんだ?お前は普通の鍬すらまともに持てねぇのか? ゴミか?」
吐き捨てられた言葉は、どこまでも無慈悲だ。
師匠はめり込んだ鍬の柄を、まるでおもちゃの棒でも扱うかのような軽やかさで引き抜いて見せた。
その、師匠の意識が鍬に向いた一瞬を狙い――影が舞う。
「隙ありっ!」
頭上の木立から、ユイシャが弾丸のような鋭さで奇襲を仕掛けた。必殺の重さを乗せ、木刀を師匠の頭を目掛けて振り下ろす。
だが、師匠は微塵も動じない。背後の気配に視線すら向けず、事も無げに口を開いた。
「いいか、オウマ。こんなもんはな……『左手は添えるだけ』だ」
教えを説く穏やかな声。
直後、師匠は振り向きもせず、手にした超重量の鍬を背後へ「置く」ように掲げた。
ガギィィィンッ!
と硬質の衝撃音が響き、ユイシャの木刀が虚空へ弾き飛ばされる。
「⋯⋯読まれていた!?」
「何時でも来いと言ったが期待ハズレだな」
それだけではない。師匠は流れるような予備動作のない一蹴りで、宙に浮いたユイシャの腹部を正確に捉え、彼女を再び泥の中へと蹴り飛ばした。
「おい、ユイシャ。お前は馬鹿か? 殺気でどこにいるか丸見えだ。もはや見る必要すらない」
冷徹な視線。
オウマは、泥だらけの手を握り締め、自分たちを見下ろす師匠を睨み返した。
(……この俺が、たかが農具一本に手こずり……『ゴミ』だと……!?)
魔王のプライドが屈辱に震える。だが、同時に彼の中で、かつての戦場の勘が火を噴いた。
「うおぉぉぉッ!」
咆哮と共に、オウマは弾き飛ばされていたユイシャの木刀をひったくり、師匠へ突撃する。
「てめぇの動きは、既に見切った!」
(思い出せ⋯⋯今の俺と奴との実力差は、圧倒的、だが俺には知識がある。やつは間合いに入る直前、重心をずらして身構える僅かなクセがある⋯⋯)
間合いに入る寸前、オウマは木刀を全力で師匠へ投げつけた。
「ほう。悪くないが……どこを狙っている?」
(これでいい⋯⋯奴の注意が俺に向く⋯⋯)
師匠は上半身をわずかに逸らし、飛来する木刀をひらりと回避する。そのまま、迫るオウマの拳をあしらおうと手を伸ばした。
「ちぃ、くしょう……ッ!」
拳が届く直前、オウマは師匠に組み付かれる瞬間に――ニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。
(……しまっ!?)
師匠の背筋に、初めてゾクリとした戦慄が走る。
オウマの狙いは、拳ではない。師匠の視界を自身に釘付けにし、回避行動を誘発すること――すなわち、完璧な「囮」となることだった。
師匠がオウマの笑みに気づいた時には、既に遅い。
回避した木刀を空中で掴み取っていたユイシャが、師匠の死角から死力を尽くした一撃を振り下ろしていた。
――ガァァンッ!!
確かな手応え。
木刀が、師匠の肩口へ見事に命中した。
「……ほう?少しは成長したか?」
泥にまみれた二人の連携をまともに浴び、師匠は初めて、楽しげに口角を上げた。
だが、その笑みは称賛というより、より過酷な試練を予感させる不敵なものだった。
「よし。お前らはとりあえずその鍬で、今日中にそこを全部耕しておけ」
師匠はそれだけ言い残すと、驚くほど軽い足取りで家の中へと消えていった。
静まり返った畑に取り残されたのは、肩を上下させて荒い息をつく二人と、地面に深く突き刺さった超重量の鍬だけだ。
二人はそれから、沈黙の中で黙々と畑を耕し始めた。
腰を落とし、全身のバネを使って、ようやく一振りが形になる。かつての栄光など、今の重力の前には何の役にも立たない。
「……ありがとう、オウマ。あなたのおかげで、師匠に一撃決められたわ」
先に沈黙を破ったのはユイシャだった。
鍬を振り上げた拍子に、隣の列にいるオウマへ視線を向ける。
「……まあ、ダメージは全く無さそうだったけどね」
自嘲気味に笑う彼女に対し、オウマは不器用な手つきで額の汗を拭った。顔を真っ赤に染め、乱暴に鍬を地面へ叩きつける。
「……ふん! か、勘違いするなッ。俺が投げた木刀が、たまたまお前のいる方向に飛んでいっただけだ!」
いつもの強がり。
だが、その言葉とは裏腹に、オウマの視線は決してユイシャと合おうとしない。
二人の間には、昼間の殺伐とした空気とは違う、どこかむず痒いような沈黙が流れていた。
(……この俺が、人間に……。あんな真っ直ぐな目で礼を言われるなど……。魔王の威厳が、これでは形無しではないか……!)
のどかな田舎村。
沈みゆく夕日が、泥だらけで不格好に鍬を振るう二人の影を、長く、優しく並べていた。




