孤独な群れ
若者の孤独、本当の友達はいない、困ったときに助けてくれる人はいない。
夜の街で群れている若者たちが、孤独であるがゆえに、人に利用され、堕ちていく、自分が孤独であることさえ気づかず、虚飾し、ただ自分を救ってくれる人、時間を共有してくれる人を求める。 「何の苦労もなく育ったから何も分からないのね。」 ある少女の言葉から始まる物語。
「何の苦労もなく育ったから何も分からないのね。」
彼女は、テレビに向かってつぶやいた。彼女は桜美月、私の母校に通う大学生だ。今日は、母のゴルフコンペについて来ていた。母といっても、本当の母ではない。彼女の母と言う女性は、わたしの大学時代の同級生、桜真由美だ。真由美は美しく、大学のマドンナ的存在だったが、大学三年のとき、家庭の事情で大学を去った。
そして、十年後、出版社に勤めていたわたしは、上司に連れて行かれたクラブでママをしている真由美に再会した。久しぶりの再会に、この十年間の事を真由美にいろいろ尋ねようとしたが、真由美は笑顔でその話を遮った。
その四年後、突然十八歳の美月が娘として現れ、家業手伝いとして、週末のみクラブに十時まで顔を出すようになった。美月が本当に真由美の娘であるなら、真由美が十七歳で美月を出産したことになる。少なくとも、二十歳までの真由美を知っていたわたしに、美月が真由美の本当の娘ではないことは明らかであったが、それを問おうとした時も、真由美は笑顔でそれを遮った。
美月は、テレビをじっと見ていた。それは、ゴルフコンペの途中、レストハウスで昼食を摂っているときだった。真由美は、お偉いさんたちと楽しそうに昼食を楽しみ、美月は少し離れたところで、昼食を摂っていた。
わたしはあまり真由美の水商売的な姿を見るのが好きではなかったから、美月のテーブルに相席をさせてもらっていた。テレビ番組の内容は、家出少女の特集で、家出少女がSNSで泊めてくれる人を求めるといったものだ。家出少女たちが、そのツイートすれば、たくさんの男たちが一晩の宿を提供しようと名乗りを上げてくる。
「そんな、危ないことはやめな。」
などとDMを送ってくる、一見安全そうに見える相手を少女なりに選んでいるようだが、それも少女を呼ぶための男の罠であり、そういった男が取材に応えていた。
「そう書き込めば安心して、女の子がすぐ引っかかってくる。一晩泊めてやるんだから、エッチするのは当たり前でしょう。」
それでたくさんの女の子とセックスした事を自慢気に話していた。
(そんな、セックスもよく分からない、ただ寝ているだけの少女とセックスして何が楽しいのかね。)
わたしはそう思いながらみていた。
記者が家出少女に言う。
「こんな危ないことはやめて、家に帰ったほうがいいよ。」
「そんな言葉はうんざり。」
少女は腹を立てて、その場を立ち去った。そのⅤTRのあと、テレビに出演していたコメンテーターが言った。
「親がどんなに子供を心配しているか、全くわかっていないことが残念ですね。親は、何よりも子供のことを一番に考えているものです。早く家に帰って欲しいですね。」
その時だった。美月がその言葉を発したのは、
「何の苦労もなく育ったから何も分からないのね。」
何の苦労もなく?美月がどういう経緯で真由美の娘を名乗るようになったのかは知らないが、真由美の娘である今、苦労をすることなく、それなりにいい暮らしをさせてもらっているはずだ。
真由美が大学を去った後のことは知らないが、今ではそれなりのマンションに住み、それなりの暮らしをさせてもらっている。
真由美自体、大学時代はボランティア活動にも積極的に参加する心優しい女性であった。娘を粗末に扱うようなことをするはずがない。
美月自体、それなりの大学に通っているのだから、それなりに教育も受け、大事に育てられてきたとしか推測できない。
「どうして、そういう風に思うの?」
わたしは、美月に尋ねた。
「世の中には、子供がいなくなってほっとする親だっているし、子供が邪魔な親だっているわ。全ての親が、子供を心配するって言うなんて、このコメンテーター何も世間を知らないのよ。」
「でも、この家出少女たち、このままじゃ危ないから、家に帰る他ないんじゃない?」
「危ないことは彼女たちが一番分かっているわ。それでも戻る場所がないのよ。」
わたしも美月の言う世間知らずなのだろうか、世の中、立派な親ばかりではないことはわかるが、家出をして危険な目に会うくらいなら、どんな親でも、それまで育ててもらったのだから、自分で生活する力がつくまでは、家族のもとでその力をつければいいのではないか、美月の言葉を十分に理解することができない。出版社に勤め、取材の中で、相手の気持ちを引き出すには、反論をしてはいけない、かといって、理解ができないのに中途半端な同調もしてはいけないと学んだから、理解しようとする姿勢で美月に尋ねる。
「美月は、家出少女たちがどういう気持ちでいると思う?」
「彼女たちは、DMの中から自分なりに安全そうな男を選んでいるでしょ、祈るような気持ちなんだと思うわ。ネットカフェ難民とかも多いけど、彼らは日雇いでも収入を得ることが出来るでしょ。でも、彼女たちは中高生、そんな仕事も出来ないし、ネットカフェも中高生は深夜に利用できない。その日泊まるところを探すことで精一杯。最初は、友達の家とかにも行ってたと思うんだけど、だんだん行きづらくなるのよね。たった一人ぼっちで、そういうサイトでDMしてくる男の中に自分を救ってくれる人がいるんじゃないかと儚い希望を持っているんだと思うわ。でも、そんな人が現れることもなくて強がっているけど、相当惨めな思いをしていると思うわ。」
少女たちが、危険を十分承知しているということなのだろうか、ほかに手段がない、危ないことを理解しながらも、ほかにすべはなく、それを咎められてキレてるっていいたいのか。夜の街にいる子供たちは、自分の好きなように遊び、深夜の町をたむろし、派手な衣装に身を包む。バカ騒ぎをし、それが楽しいと思う、そういうことでしか楽しさを味わえない低俗なやからと思っている。その一方で親たちは、子供の機嫌を損なわないよう、わが子が夜遅くまで遊ぶことも注意できないでいるような子供に振り回されている親が多いと考える。もしくは、子供の将来も考えない、低俗な親の元で育った子供たちだろう。しかし、世の中には毒親もいる。家出少女の中には、美月の言うような少女も少なからずいるだろう、しかし、安易にSNSで居場所を求める少女たちを賢いとは思えない。
「どうして美月が、そんな風に彼女たちのことを考えるんだ?」
美月は怪訝そうな顔をした。
「彼女たちと年齢が近いからじゃない?」
母親の真由美と同じように、それ以上を言う気はないわといった顔でわたしに答えた。普通に育ってきた女の子が、家出少女の心理をそのように分析するとは思えなかった。普通の少女であれば、そういう状況とは縁がなく、そういう状況を怖いと感じ、家に戻ったほうがいいと思うはずだ、美月が真由美の娘になるまでをとても知りたいと思った。
「ぼくが、出版社に勤めているのは知ってるよね?『月刊情勢』っていう雑誌なんだけど知ってる?美月のその洞察力はかなり面白いから、今の若者たちの記事を書く時に参考にさせてもらいたいな。連絡先聞いてもいい?嫌だったら、真由美経由で連絡するようにするけど。」
美月とは、真由美も交えて三人で食事をしたことは何度かあったが、美月と直接コンタクトをとるほどの仲ではない。警戒されないように気を使った。
「いいわよ。『月刊情勢』なら知っているわ。いわゆる政治とか経済とかの時事問題を鋭く斬り込むっていう、お堅いおじさんたちのテキストになっている雑誌でしょ。息抜きがてらエッチな記事も載せている。今の女の子たちがお金で簡単に動くようなことも書いていたわよね。知ってる?まじめなサラリーマンがああいう記事を見て、ホントに女の子が金でどうにでもなると思って、女子高生にお小遣い上げるからホテルに行かないって事多いのよ。おじさんたちのほうが、洗脳されやすいのね。」
と いいながら、美月はスマホを取り出した。普通のサラリーマンが、我々雑誌の情報に左右され、少女を何とかしようとしているとは情けないことだ。我々は、現代の若者の希薄さや危うさなどを雑誌で取り上げてきたつもりであるが、その上の世代を生きる一見まともとみられるサラリーマンが記事を見て、現代の若者を嘆くのではなく、少女達と交わる方法のテキストとしているとは、編集者として少なからず責任を感じてしまう。やはり、興味深い娘だ。
その夜、自分の作っている雑誌を片手に考えた。
「何の苦労もなく育ったから何も分からないのね。」
という言葉に込められた美月の思い、真由美の娘になるまでの美月の生い立ちを知りたい。それをどう、記事と結びつけるのか、連載できるようなものでないと、美月を本当に知ることはできないだろう。夜の街にいる少女を追いかけながら、大人たちの責任について追及する方向で進めてみるか。
わたしは、美月に連絡を取り、美月の通う、わたしの母校でもある大学のカフェテラスに出向いた。
久しぶりにキャンパスの中に入ると、時代の流れを感じずにはいられない。大学の中だというのに、雑誌で取り上げられそうなおしゃれなレストランやカフェがあり、若者たちも、競い合うかのようにおしゃれをしている。夏とはいえ、女学生は当たり前のように、胸や背中の開いた服を着ていた。この大学のOBとして、複雑な気持ちで行きかう学生を見ていると、その光景に似つかわしくないメガネに白いシャツ、くるぶしがわずかにのぞく細身の黒いパンツという露出の少ない服を着た女が近寄ってきた。
「待った?」
美月だった。わたしは、少々驚いた。真由美の店で見る美月は露出は少ないもののドレスをまとい、化粧をしていた。めがねをかける姿も初めてだが、美月も他の学生同様の今どきの格好をしていると思い込んでいたからだ。
「随分、地味な格好だね。」
美月が、わたしの言葉の相手にすることなかった。
「で、何?」
と 椅子に座った。彼女の機嫌を損なうといけない気がして本題に入った。
「ああ、この前の君の話から、普通に育った大人たちには気づけない、今の若者の悲哀というようなものの記事を作ってみたいから、少女たちの取材をしてみたいんだけど付き合ってくれるかな?ぼく一人じゃ警戒されそうで、どういったところに行けばいいかわからないし、何を話せばいいかもわからない。」
美月は頬杖をついたまま、わたしの話を聞き、窓の外に視線を置いたまま答える。
「いいわよ。」
「お母さんに、内緒にしてもらえるかな。」
と 少し間をおいて言った。別に悪いことをするわけではないが、それが条件であるならとうなずいた。
その週末、真由美が店に出かけてから、美月と若者の町に繰り出した。
美月は、大学同様、白いシャツに黒のパンツという、若者でにぎわう夜の街にふさわしくない格好で現れた。反対に、若者の町に繰り出すということで、ジーンズにターコイズブルーのTシャツ、その上にシャツを羽織り、サングラスをかけたわたしの姿を鼻で笑う。
「おじさんが無理して若者みたいなファッション真似ても警戒されるだけよ。ちゃんとシャツのボタン閉めて、サングラスはかばんにしまって記者風にしてないと近寄れないよ。」
と 言うと、バックから手帳とボールペンを出し、女の子たちの物色を始めた。
「こいちゃんの雑誌だったら、どういうところで女の子がおじさんでも引っかかりやすいとか、若者の乱れた性っていう記事のほうが受けるんじゃない?」
美月は、わたしを『こいちゃん』と呼ぶ。真由美がそう呼ぶからだ。わたしは、この呼ばれ方が嫌いだった。十年ぶりに真由美とクラブで再会した時、懐かしむわたしを真由美は、『こいちゃん』と呼んだ。上司に誘われて、真由美の店に初めて訪れた時、上司が私をそう呼んでいたからだ。学生時代は、『小池君』と呼ばれていたから、『こいちゃん』という響きは、真由美がわたしに大きく距離を置こうとしているように感じるとともに、大学の仲間ではなく、水商売の客とホステスという関係を象徴しているようで嫌いだった。
「そんな記事は、二流の雑誌でも面白おかしくやっているよ。違うものをやりたいんだ。」
わたしは、シャツのボタンを閉めながら、答えた。
美月は横目で、シャツのボタンを閉めたわたしの姿を確認すると、さっさと歩き始め、大きなかばんを持ち、シャッターの降りた店の前に座り込む、いかにも家出少女風の女の子に近寄った。
「ちょっと、いいかな?雑誌の取材なんだけど、」
迷惑そうな顔で、少女は無視をする。そんなに簡単に話を聞かせてもらえるわけじゃない。わたしも若い頃、若者の町で何度か取材を試みたが、まともに答えてくれる若者などいなかった。
「ここ、暑いね。あそこで、話を聞かせてよ。」
と 美月がハンバーガーショップを指差すと、家出少女は荷物を持ち上げ、簡単についてきた。
「何のハンバーガーが好き?アップルパイも食べようよ。」
美月は、ハンバーガーショップに並び、メニューを見ながらあれこれと少女に商品を勧める。わたしは、アイスコーヒーのみだったが、美月は少女と一緒に、ハンバーガーにフライドポテト、アップルパイなど、一人分でトレーがいっぱいになるほど頼んでいた。
「家出して、どれくらい?」
席に着くといきなり本題を切り出す美月に驚く。
「三週間くらい。」
少女は、スマホをいじりながら答える。
「今の世の中さあ、家出って、子供のワガママって感じでとらえているでしょ。むかつくよね。そうじゃなくて、子供だって大変なんだってこと、わたしたちは記事にしたいの。」
少女は、頻繁にDMが送られてくるスマホに目を向けたまま、ポテトに手を伸ばしてはメッセージを打つばかりで、美月の質問にはうなずくだけだった。いわゆる、家出サイトにアクセスしてきたDMを見ているのだろうか。
「友達?」
美月は、スマホを指して聞く。少女はまたうなずく。
「危ない目にあったことはない?」
「別に、泊めてくれる友達はたくさんいるし。」
「ネッ友?」
「いろいろ。」
「今日は?」
「誰のとこ行くか悩んでるところ。」
「ネッ友って、安全なの?」
「何回かメッセージ交換していたらだいたい分かるよ。ここいらで、声かけてくるおじさんのほうがやばいっしょ。」
「でもさ、実際相手見て判断したほうが安全じゃない?ネクタイ締めたおじさんのほうが、社会的なもの背負ってる分、やばいことはしないとか、案外安全じゃない?」
「体だけが、目当てじゃん。」
「ネット友には、愛を感じるんだ。」
「私のことを心配してくれるからね。」
少女はすべて食べ終わると
「もういい?」
と 席を立とうとした。美月は
「ちょっと待って、」
と 言うと店員を呼び、
「すみません。食べきれないから持って帰ります。袋下さい。」
と 言い、飲み物以外、手をつけなかったハンバーガーなどを袋に入れ、
「これ、持ってって、」
と 少女に渡した。わたしには、よくいる家出少女の姿で、特別に記事にするような内容のない取材に思えた。
「言ったでしょ。自分を救ってくれる人を求めてるって。」
「何が?」
「あの子、おじさんにはついていかないって言ったじゃん。顔も知らないネッ友の優しい言葉で、友達になったつもりで、泊まりに行くのよ。その人は、体目的じゃないと思ってる。たとえ、体を求められても、愛があると思い込んでるわけ。でも、次の日には気づくはずよ。行くところもないのに、あっさりバイバイされちゃうんだから。」
「SNS上のやりとりくらいで、友達だと思えるものかね。」
「愛情に飢えているから簡単な言葉でなびくのよ。優しい言葉をかけてもらえる機会もあまりなかったのね。あなたが記事にしたい今の若者の悲哀ってこういうことじゃないの。」
美月にそう解説されても情は沸かない。
「どうだろう。正直、連絡してくる男に愛情などあるわけがないのに自分のことを心配してくれていると思うあの子をバカとしか思えない。よく理解できないな。」
わたしには、記事にする価値があると感じることができなかった。しかし、美月は若者の悲哀として記事にできると思っているのだから、美月に提案した。
「美月、ぼくには、今の子のことをどういう風に書けばいいのかよくわからないな。君の視点で記事にまとめて欲しい。記事として、雑誌に載せられるようなものであれば、謝礼も払うし、まとめてくれる?」
三日後には、美月から原稿が仕上がったと連絡が入り、早速会社に原稿を送信してもらった。
『少女は閉店時間を迎えた店が並ぶ街の中、シャッターの下りた店の前で、大きなバッグを脇に置き、わき目も振らずスマホに向かっていた。家出少女が、一晩過ごせる場所を探しているのだ。家出少女のサイトにツイートすれば、多くの男たちがDMを送ってくる。あからさまに、「一万円で。」と送ってくる男もいるが、少女は、家出少女を気遣う、優しさを感じられるDMにのみ返信をする。少女が欲しいものは、お金ではない。愛情なのだ。行き場を失い、SNSだけが人とのコミュニケーション手段となった少女には、少女を気遣うようなDMを送る男たちと何度かメッセージを交換するうちに絆を感じ、友達のように思えてくるのだろう。より優しさを感じられる男を絞っていき、今日の宿を決める。少女は今度こそ、一晩だけではなく、自分を気遣うこのメッセージの男が、自分を心配して、安住の地を与えてくれるのではないかと儚い期待を持って男と待ち合わせる。そのままホテルに連れて行かれても、その男の優しさを信じる。翌朝、次の約束もないまま、あっさりと立ち去る男の背中に何を思うのだろう。男と一晩をともにして、彼女が得たものは、スマホの充電だけだ。行き場のない少女は、優しい言葉に弱すぎる。裏切られることが続いても、行き場のない少女は儚い希望を持ち、スマホに向かうしかない。だから、最初からお金をちらつかせる男は相手をしない。そんな少女たちに簡単に優しい言葉を並べ、性欲を満たそうとする男もまた哀しい。セックスを知らない、ただ寝ているだけの少女を抱いて満足できるとは。』
最後の一文は、わたしが書き加えた。以前、美月に指摘されたように、この記事を読んだ読者が少女を引っ掛ける手段とし、簡単に家出サイトにアクセスしないように、効き目があるかどうかは分からないが、この一文で、大人の男なら、そんな少女を相手にしようとする自分の虚しさに気づいてもらえるのではないかとの願いを込めて。
記事は、スポンサーが降り、広告を入れる予定だったスペースに入れた。題名は、『孤独な群れ』とした。華やかににぎわう街の中で、人がたくさん群れていても、愛を求める少女と、そんな少女達に漬け込むやから、それは孤独な人々の群れのように感じたからである。
翌月も、新しい広告主が現れそうにないので、美月を取材に誘った。美月は、ファーストフード店に入ると、派手な化粧に露出の多い服を着、大きな声で話している二人組みの女の子に近づいた。
「ちょっと、いい?」
と 美月が声をかけると、少女たちはやはり、怪訝そうな顔をする。
「雑誌の取材をしているんだけど、今のあなたたちが、面白いって思ってることを知りたいんだ。」
少女たちは、取材と聞いて興味を示した。マスコミという言葉には弱いらしい。
「今、何をしているときが、一番楽しい?」
「そりゃ、遊んでる時だよ。」
「何をして?」
少女たちは、どう説明していいのか迷っていた。
「例えば、昨日は楽しかった?」
美月が尋ねると少女たちは、顔を見合わせて、
「最高だったね。」
と 言う。
「何して遊んだの?」
「昨日さ、チョーかっこいい人にナンパされてね、カラオケ行ったんだよね。」
「歌も、めちゃうまかったし。」
「いけてたよね。」
少女たちは、よほど楽しかったのか、昨日の相手の男を自慢する。美月は、
「ラッキーだったね。」
と 言わんばかりの表情で話を聞いている。
「で、エッチしたの?」
と おもむろに聞くが、すっかり昨日遊べなかった友達の一人という状況で話しに加わっている。
「リナが、男と二人で部屋出て行くからぁ~。」
と セックスしたことを簡単に認める。
「アヤもね~。」
と もう一人の少女も男と部屋を出て、しっかり関係を持ったことを伺わせる。若者たちは、どちらかがカップルで部屋を出て行けば、暗黙の了解で、そういう時間の始まりということらしい。
「彼氏は、いるの?」
「そりゃ、いるよね。」
少女たちは、笑いながら目を合わせる。
「じゃあ、昨日の人は、昨日だけの人ってこと?」
「友達。連絡先交換したからまた遊ぶよ。何回か遊んでから、どうするか決めるよね。」
少女たちは、昨日の男が彼氏に昇格する可能性があることを示唆した。
「そういう友達って、何人くらいいるの?」
「わかんない。たくさんいるし、待ち合わせしても、相手が誰だかわかんない時あるよね。」
「そうそう、待ち合わせに来た男見て、こんなダサいやつだったってことあるよね。」
「前なんかさ、待ち合わせの場所で声を掛けてくる男がいるからこいつだったけって思ってついてったら、ぜんぜん違う奴で、笑ったよね。」
と 少女たちは笑う。男と遊ぶたびに連絡先を交換し、それが増えていくから、誰が誰やらわからないまま、誘われれば相手の顔すら思い出せないまま待ち合わせに向かうらしい。
「怖い思いをしたことはない?」
「絶対、二対二で遊ぶから大丈夫。」
何を根拠に言うのか分からないが、少女は自信満々に答える。
「今まで、何人くらいの男とエッチした?」
「そんなの数えたことないよ。三十人くらいはいってるよね。」
どうやら、男性経験の多さは自慢らしい。
「彼氏は、知ってるの?」
「そんなこと、あまり聞かないし、話さないし、」
「彼氏とは、どれくらいの割合で、会ってるの?」
「決まってない。向こうも忙しいからなかなか会えないし、でも、スマホ鳴らされたら速攻で行くよ。」
わたしは、とてもつまらなくなっていた。少女たちの馬鹿さ加減にあきれ、美月が少女たちと楽しく会話をしている横で、ついていけなくなっていた。彼女たちのいう彼氏とは、他の男と変わらず、同じようにナンパで知り合い、それから彼氏に昇格していくらしいが、彼氏とそうでないただの友達という男とは何が違うのだろうか。会う機会が多いからではないらしい。要するに、友達に自慢できるほどのイケメンであり、誘いのメールが重なった時の優先順位が上という男なのだろう。都合のいいときにだけ呼び出され、彼氏の部屋でセックスをするだけ、映画を見に行ったりというデートもないのに彼氏と呼べるのだろうか。男のほうは、彼女としてではなく、呼んだらすぐ来る都合のいい女だとしか思っていないはずだ。それもわからず、自分が男たちを操作し、選定しているかのように自慢げに話す少女たちにあきれるほかない。
「ありがとう、面白い話が聞けてよかったわ。」
美月は立ち上がり、わたしの背中を叩いて、帰ろうと合図した。
「なんだか、疲れたな。」
わたしが言うと美月は微笑み、
「右に座ってた子と今度二人で会ってみるわ。連絡先交換したから。」
と 言った。
「彼女たちに、これ以上話を聞いても同じだろ。」
あのようなつまらない話をもう一度聞いてどうするのだと思った。
「わかってないな、おじさんは。」
美月は、わたしのことを鼻で笑った。
それから、一週間が過ぎたころ、美月から原稿が送られてきた。
『二人で歩く少女たちは、ナンパされることを待っていた。若者の街を夜、少女が二人で、それも少し派手な格好をしていれば、声を掛けてくる男は多い。少女たちは、見た目とノリを重視する。彼氏は友達に自慢しなければならないから見た目は重要だ。声を掛けてきても、顔がたいしたことのない男だと足を止めることはない。顔がそこそこイケていれば、足は止めるが、ノリが悪ければまた歩き始める。結局、遊びなれた少々強引な男に弱いようである。その遊びなれた男たちに流され、ひと時を楽しむのだ。そして翌日、友達に自慢をする。新しいボーイフレンドの一人として。少女たちは自分が遊ばれているのではなく、自分が遊んでいる感覚でいる。そうやって知り合った男たちを彼氏候補と位置づけ、友達の前ではたくさんの男達を股にかけていると自慢するのだ。しかし、連絡をして飛んでくるような男などいない。相手の都合のよいときに呼ばれるだけだ。その虚しさに気づいていないが感じているから、たくさんの男たちのアドレスをスマホに入れていたいのだ。一人で過ごす時間を避けるために。友達の前では見栄を張っているが、寂しくてたまらないのだ。自分に寂しい思いをさせない男を求めて、出会いを信じて、夜の街をさまよっている。』
少女たちが、自分が誰にも必要とされていないと自覚しているとは思えない。軽そうに見えるから、男が寄ってくるのに、モテると勘違いしているただの馬鹿としか感じなかった。そういう意味を込めて、大人からの忠告としてアンサーとなる原稿を書き、大学のカフェで美月に見せた。
『街で遊ぶ少女たちの思い描く未来は、青年実業家と結婚をし、セレブな生活を送ることだ。それが簡単に叶うと信じている。たくさんの男が声を掛けてくるから、自分たちは選ぶ立場にいると思っているらしい。自らの努力といえば、しきりに鏡を見て、念入りにアイラインを引き、マスカラを重ねる。爪の先まで手入れは怠らない。見た目を飾ることにばかり気をとられ、中身は空っぽだ。少女たちの価値は若さだけ。男が声を掛ける目的は、その若い体だけ。二十代の女の子と比べて、無防備な少女達は引っ掛かりやすく、金もかからないからだ。空っぽの少女とまじめに交際しようと思って声を掛ける男はまずいないだろう。少女のいう青年実業家、いわゆる金を持った男が、ただいい所に住み、いい車に乗り、高級ブランドの服にバッグ、エステやネイルに通う毎日を夢見るだけの女と結婚するだろうか、少女が周りに自慢できる男を選びたいと同じように、努力して社会的地位を得た男が、見た目を飾ること以外に何もない空っぽの女を遊びは別として、妻として連れて歩くことは恥じであろう。少女たちの世界は狭いのだろうか、本当にまともな大人と接したことがないのだろうか。深夜まで、街をうろつき遊ぶ女など相手にしないまともな男が多いことを知らないようだ。』
「よっぽど、あの少女たちにうんざりしたのね。」
と 美月は言った。
「今の少女たちに、自分の恥に気づいてもらいたくなってね。」
「こいちゃんは、まともな大人っていうわけね。」
「まともかどうかはわからないが、少なくとも、ああいう女とよろしくやりたいとは思わないね。」
何のためらいもなく、美月と大学内のカフェで会っていたが、カフェでは、明らかに学生ではないわたしを見る学生が多いことが気になった。
「オレといたら変な疑いもたれない?」
美月も、学生たちの目線を感じていたらしい。
「パパ活?平気よ。わたしをそんな風に見る人は相手にしないし。」
「美月は、ほんとうにたくましいな。大学生とは思えない。」
「そう?基本的な学生だと思うわ。勉強が本分だと肝に銘じているから。」
それこそが、今の学生とは違うのだが、美月にはわかっていないようだ。
「よっ。」
若い男が、美月に近づいた。
「桜、次の講義、よろしく頼むな。」
「わかってる。」
わたしは、いすに置いていた荷物をよけて、男に勧めた。男は、美月にいいの?というそぶりをしながら腰掛けた。
「始めまして、篠田と申します。」
青年に挨拶をされ、わたしが、自分のことをどうこの青年に説明するべきか迷っていると、美月が私を紹介した。
「母の友人で、雑誌の編集長をしている小池さん。」
「どういう、雑誌ですか?」
「月刊情勢」
「ああ、知っています。ぼくは、政治学科に在籍しているから、興味深く読ませていただいています。」
「美月とは、違う学科なんだ。」
美月は法学部の法律学科だった。
「学科は違うけどかぶる授業も多いんです。かぶらない授業は、お互いにノートをとって交換しているんです。」
「熱心に勉強しているんだね。」
「桜の影響です。個人で、いろいろ勉強を進めていて、とても感心しています。」
真由美から、美月が旧司法試験であれば、すでにパスできるほどの実力を持っていると聞いたことがあった。飛び級制度があれば、二年で大学を卒業できているはずだとも。美月は、何でも先を急ぐように勉強をし、ピアノを十六歳で習い始め、一ヶ月でバイエルンを卒業し、一年後には人に指導できるほどの腕になっていたくらい、何に対しても、集中的にやってのけると聞いていた。そんな美月にとって、大学の進級するために単位をとるための勉強だけでは物足りなかったのだろう。しかし、大学生の本分に遊びも必要なのではないだろうか。
「今の大学生は、何して遊んでいるの?」
「サークルに入っている子は、飲み会とか多いみたいですけど、」
「君は?」
「ぼくは、アメフトをやっていますから、その仲間と食事に行くくらいで、男臭い生活を送っています。」
「昔とあまり変わらないんだね。ぼくはてっきり今の学生は合コン漬けかと思っていたから、OBとして、健全な学生がいることを誇りに思うよ。」
「小池さんも、うちの大学なんですか?」
「君と同じ政治学科。美月の母親とこの大学で知り合ったんだ。」
「へー、知らなかったな。桜はいつも、勉強の話ししかしないから。先輩、いつか、会社にお邪魔してもいいですか?ぼく、マスコミにすごく興味を持っているんです。政治記者がどのようなものか、見学してみたいんです。今から、卒論のテーマも政治におけるマスメディアの力にしようと思うくらい。」
篠田は、わたしが大学のOBだと知ると、ただのまじめな好青年から、人懐っこいかわいい後輩になった。
「そんなに楽しいところではないと思うけど、時期さえ合えば、面白い場面に遭遇できるかもしれないね。いつでも来ていいよ。わたしの職場には、いろいろなところの学生が職場体験に来ているから。」
と わたしは名刺を篠田に渡し、面倒見のよい先輩づらをした。篠田は、名刺を受け取ると、美月に軽く手を上げて席を立った。美月は、ただその仕草を横目で見るだけで、愛想笑いの一つもなく、ノートに目を落とした。
「いやぁ、好青年だったね。」
かわいい後輩に出会えた喜びに浸っているわたしの言葉を美月は無視した。
「ああいう人のよさそうな男が話しているんだ。愛想笑いの一つでもしたらどうなんだ?」
「何のために?」
「それは、楽しい学生生活を送るためだよ。」
「若い男の子に慕われてうれしそうだけど、文部科学大臣で篠田武雄っているでしょ。彼は、その息子の篠田健太よ。」
わたしの喜びはつかの間で終わった。なるほど、喜んでいる場合ではない。政治の裏側を書きたてるわたしの職場に足を入れるにふさわしくのない青年だ。与党批判も厳しく書きたてているわたしは、彼に良い先輩であり続けられることは難しい。美月は、それをわかっていて、篠田に親切な先輩づらをしているわたしを面白がっていたのだろう。
「今、わざと言わなかっただろ。」
美月は、意地悪そうににんまりと微笑んだ。またしても、美月にやられた。
「美月、おまえそんなに愛想がなかったら、友達も出来ないぞ。」
「別にいらないわ。まぁ、篠田君目当ての女の子が、わたしが篠田君と仲いいから、いろいろきっかけが欲しくてよってくるの。だから大学で寂しい思いはしてないけどね。」
「そんなの、本当の仲間じゃないじゃないか。」
「べつに、仲間とかそういうのを求めていないわ。わたしは、ちゃんとした目標があって大学に通っているの。遊びに来ているわけじゃないもの。」
何を言っても、美月に太刀打ちなどできるわけがない。
「彼はアメフトやってるって言ってたね?」
「ええ。」
篠田大臣の息子が、アメフトで活躍していることは聞いたことがある。篠田大臣は、若くして大臣のポストを得て国民の人気は高い、そんな父親を持ち、スポーツも出来るさわやかな好青年となればもてるのも当たり前だろう。記者として、あの青年が篠田と言い、アメフトをしていると聞いたときに、篠田大臣の息子と結びつけることができなかったとは、反省せざるを得ない。
真由美に呼び出された。
「あなた、美月によく会っているようだけど、どういうつもりで?」
それは、母親らしく、娘を心配する言葉だった。わたしは、やましい気持ちが一つもないことと、美月とゴルフコンペで話したときに、美月の物の見方に興味を持ち、記事を依頼するようになったいきさつを話した。
「美月は、今の女の子たちの心の闇の部分を実にうまく表現する。ぼくたち大人が見えてない部分が見えていて、実に面白いんだ。美月には真由美に黙っていて欲しいって言われているから内緒だけど、今度、彼女の書いた記事を送るよ。」
「三日月って名前で書いてある記事?『孤独な群れ』って言う、読んだわ。そうじゃないかと思ったから、あなたを呼んだの。」
記事にペンネームをつける時、美月を三日月としてしまったのは安直過ぎた。
「どうして美月が書いてるって分かった?何の苦労も知らない娘が書ける記事だとは思えないけど。」
「そうね。」
と 言うと真由美は、深くため息をつき、しばらく黙り込んだ。
「あなたには、知っておいてもらったほうがいいのかもね。美月もあなたを信頼しているから、記事を書くこと引きを受けたのかもしれないし、わたしに何かあったときのためにも、あなたには知っておいてもらったほうがいいのかも。」
真由美は、話し始めた。
真由美が初めて美月に出会ったのは、美月が十五歳の時だった。真由美が通うスポーツクラブの一階には図書館があった。季節は真冬。スポーツクラブに入る前に、真由美は図書館でいつも新聞に目を通していた。その中で、分厚い本を熱心に読む美月を見かけたのが最初だった。本来なら学校に通っているはずの時間に、少女が図書館にいることを不思議には思ったが、それよりも冬だというのに、コートも持たず、薄着であることに驚いた。スポーツクラブが終わって、外から図書館の中を伺うと、今度は窓辺でうたた寝をしている美月の姿が見えた。いまどき珍しい、勉強熱心な子供だと思って、その日は終わったが、それからもそういう光景を何度か目にする。そして美月はいつも、同じ服装のままだった。真由美は気になり、スポーツクラブに通うたびに図書館で美月を探すことが日課となっていた。美月は、民法総論など少女には似つかわしくない法律の専門書を主に読んでいた。そんな時だった。仕事に向かおうとタクシーに乗り込んだ真由美は、図書館がしまっているであろう時間に、今度は、コインランドリーで雑誌を読んでいる美月を見かける。
(あの子、何をしているんだろう。)
外は暗く、図書館が閉まり、今度はコインランドリーにいるとは、家に帰らないのだろうか、寒い中、コインランドリーの中は乾燥機が回っている分暖かいから、暖をとっているのだろうか、美月のことが気にかかるようになっていた真由美は、店が休みの日、図書館の閉館時間に美月を待ち伏せた。美月は、図書館を出るとショッピングモールに行き、ベンチに腰掛けた。ショッピングモールが閉店を迎えると駅に向かって歩き始めた。
(やっと、家に帰るのね。)
そう思った時だった。サラリーマンの男が彼女に近寄り、なにやら話を始める。男が財布からお金を出すと美月はそれを受け取り、男についていった。真由美は、愕然とせざるをえなかった。まだあどけなさが残る少女が、寒空の中、日中を図書館で過ごし、薄着のまま町をさまよい、男に声をかけられてついていく光景を目にし、すさんだ世の中を感じざるをえなかった。真由美は、落胆して家に戻った。どうしていいかわからないが、その夜は眠ることができなかった。
翌朝、真由美は図書館に向かい、昼が近くなる頃、美月に声をかけた。
「難しい本読んでいるわね。もう、お昼だけど、わたし一人でご飯食べるのが嫌いなの。良かったら、付き合ってもらえないかな?」
美月は、真由美をチラッと見ると、前を向いてしばらく考えてから立ち上がった。真由美は、そのビルの最上階にある行きつけのレストランへ美月を連れて行った。出迎えた店員は、真由美のコートやかばんを預かりながら、美月のいでたちに驚きを隠せないようだった。靴のかかとは擦り切れ、服装はTシャツの上にジャージを羽織っただけ、下にはカーゴパンツをはき、コートも持たず、手には巾着タイプのナイロンの袋を持っているだけ、さすがに店員は、荷物を預かろうと美月には声をかけなかった。店員が、いつもの席に真由美を案内し、
「いつものメニューでよろしいですか?」
と 真由美に聞いた。
「今日はお腹が空いているから、お勧めのコースを二人分おねがい。」
と 言って、美月に微笑んだ。真由美は、食事が運ばれても前菜とスープにしか手をつけず、
「お腹が空いているから、今日はたくさん食べれると思ったんだけど、やっぱり無理だわ。」
と 言って、美月に自分の料理も勧めた。美月は、全てをきれいに食べた。それを真由美は、ただ微笑んで見つめていた。
「ここのケーキとってもおいしいのよ。飲み物はココアでいい?」
と 言って、店員を呼んだ。
「おすすめのケーキをいくつか持ってきて。それとアールグレイとココア」
美月の食欲が落ち着いたところで、真由美は話し始めた。
「前から図書館で、たまにあなたのことを見かけていたの。まだ子供なのに、難しい本を読んでいるから、すごいなと思って、一度、お話をしてみたかったのよ。」
美月は、うなずくだけだった。
「何か、将来の夢とかあって、勉強をしているの?」
美月は、しばらく考えて答えた。
「弁護士になりたいんです。学歴がなくても、司法試験に合格すればいいし、私には何の力もないけど、法律を知っていれば自分を守ることができるから」
「そう、」
真由美は、美月が、突然声をかけて来た自分に、警戒心を抱いていることを感じ、それを解くために、自分のことを話した。
「実はね、昔はわたしも司法試験を目指していたの。でも、父の会社が倒産して、突然家を失うことになって、大学も辞めてしまって、本当はもっと勉強したかったけど、弟には大学に行ってもらいたくて、夜の商売に進んじゃったわけ。でも、勉強なんて本当にしたい気持ちがあったら、どんな状況にあっても続けることは出来たわけよね。結局、楽なほうに流れちゃったのかな。」
美月は顔を上げて、真由美の話を聞いていた。真由美自身、そういった事情で、大学を去っていたから、どうみても不遇の状態にある美月が、図書館で法学の勉強をしている姿に、魅かれたのかもしれない。ただ、町をさまよっているだけの少女であれば、声をかけることもなかったのだろう。
真由美は、レストランを出ると持っていたバックを美月に渡した。
「これ、スポーツクラブに着替えとして置いていた服なんだけど、もう飽きちゃったし、持って帰るのが面倒くさいから、よかったら使ってもらえる?」
それは、真由美が寒空の中をさまよう美月に、コート、セーター、下着、歯ブラシに至るまで、美月のために用意をして持ってきたものだったが、他人の真由美がそういうことをすると警戒するのではと考えて、そういういい訳を考えていたのだった。バッグの中には、お金も忍ばせていた。美月は、うなずいてそのバッグを受け取った。
その翌日、真由美が図書館に差し掛かると美月が出てきた。
「昨日は、ありがとうございました。あの、かばんの中にこれが入っていたから、」
美月は真由美が現金を入れておいた封筒を差し出した。真由美は困った。行く当てもなく、さまよう美月にそのお金で、行くところがなければ少女が一人でホテルに入ることは難しくても、どこか安全な場所を探して、変な男についていってもらいたくないからだったが、そういうことは口にしないほうがよいと思い、そっと忍ばせておいたものを美月は、間違ってお金が入っていたと思い、返そうとしている。昨日の食事の最中も、自分が家出して困っている状況にいるなどと話さなかった美月を思うと、なんと言って受け取って貰えばいいのかわからなかった真由美は、
「そう、気づかなかったわ。どうせ、わたしにとっては、忘れていたお金だから、使って。」
と 言う他なかった。
美月の顔色が変わった。明らかに、真由美を警戒する顔に変わった。
「いりません。」
美月は、真由美の手をとって、お金の入った封筒を押し付け、その場を去った。
その翌日から、図書館に美月は現れなくなった。
真由美は美月のことが心配で、近隣の図書館を回って美月を探したが、見つけることが出来なかった。美月を見守りたいと思い始めていた真由美は、美月を遠ざけてしまったことに後悔をし、店が休みの日になると寒い中、美月が暖を取れそうな場所を考えて探し続けたが、見つけることは出来なかった。
いつも店に向かう道が工事のため、真由美の接待中心のクラブが並ぶ通りとは違い、怪しい文句で男たちを誘う店が立ち並ぶ道をタクシーは走った。この通りの悪い噂はよく知っている。男に騙されて借金を背負った女たちがまた男に騙されて働かされ、働いても、ほとんどお金ももらえない。家出少女も金づるにされている。一度入ったら抜け出せない場所だ。真由美はタクシーの中から、そんなお店の前に立つ女たちを見ていた。すると見覚えのあるバッグが目に入った、それは、美月に渡したバッグだった。
「止めて、」
真由美は、運転手に叫んだ。美月だ、美月がいた。いわゆるそういう怪しい店のスカウトに手を引かれていた。真由美は、タクシーから降りて駆け寄った。
「待って、なにしてるの?」
美月は、うつむいたままだった。
「この子は、わたしの知り合いの子なの。変なことに誘わないで、連れて帰るわ。」
真由美は、とっさにそう言い、美月の手を引く男の手を振り払い、美月をタクシーに押し込んだ。
「あなた、あんな男についていって、どうなるのか分かっているの?」
真由美は、美月を叱りつける。とりあえず、通りを抜けたところにあったカフェに美月を連れて入った。
「あそこはね、女の子たちが売られるところなのよ、儲けは全部吸い取られて、一日に何人もの男の相手をさせられて、逃げ出したくても逃げ出せない女の子達がたくさんいるのよ。わかっているの?」
真由美は、強い口調で言った。
「そんなの、だいたい想像がつくわ。」
真由美は、美月がどうしようもない状況にいることを感じざるをえなかった。再び、美月に問う、
「あなた、夢は忘れたの?弁護士になるんじゃなかったの?」
「無理でしょ。頑張ったところで、図書館で本を読んだくらいじゃ無理でしょ。」
そういうと美月は、暖かいココアのカップを両手で包んだまま、じっと黙り込んでしまった。真由美はしばらく、その手を見つめてから話し始めた。
「わたしがあの時、そのバックにお金を入れて、あなたに渡したこと怒ってる?なぜだか分からないんだけど、図書館で一生懸命勉強をしていたあなたを見ると、力になりたかった。お金を渡せば、あなたが夜を安全なところで過ごせるんじゃないかと思って、でも、あなたのことを何も知らないわたしが、そんなこと言っても警戒されるだけだと思って、そっとかばんに忍ばせたの。だけどあなたは、わたしが間違えたんだと思って返しに来て、わたしが、『使って。』なんて言ったから、あなたに嫌な思いをさせてしまったのかな、図書館に現れなくなったことでとても心配してたの。無事でよかった。」
真由美の目から涙がこぼれた。すると、じっと黙っていた美月の目にも、涙があふれた。
「わたし、家出してから、いろいろ辛い目にあってきた。知らない人が声をかけてきて、優しくされて信用してついていっても、必ず裏切られた。もう、裏切られるのには、慣れてたけど、あなたは勉強を続けたかったって、自分のこと話してくれて、悪い人じゃないと思っていたのに、三万円も渡されたから、何かの罠にかけられるんじゃないかと思うと怖くなったの。わたし、まだ十五歳よ。夜ファーストフード店であっても、一人でいつまでもいたら怪しまれる。行くところなんてないの。図書館で一生懸命本を読んだって、無理だよ。自分一人の力なんてしれてる。大人は、家に帰ればいいって言うけど、帰るほうが辛いんだよ。どんな目にあっても、帰るよりはまだましなんだよ。」
美月は、涙で声を詰まらせながら、訴えた。本当に子供なのだ。何があったのかはわからないが、少女が一人、寒空の中で気を張って過ごしてきたのがよく分かる。真由美は、意を決して美月の手をそっと握った。
「わたしは、あなたをほっておけないわ。わたしの家に来て。」
美月は、唇をかみ締め、まだ大粒の涙がこぼれ落ちる瞳で真由美を見つめてうなずいた。真由美もまた、涙をこらえようと唇をかみ締め、両手で美月の手を握った。
それから、真由美は美月に勉強をさせる環境を作ろうと奮闘した。本来なら美月は高校一年生、三学期から編入できる高校を探したが、美月が親のことを言わないため、高校に入学させることは難しく、とりあえず、高卒認定をとるための塾に通わせた。家出をしていたような少女だから、学力はずいぶん劣ると思っていたが、美月は半年で、高卒認定試験に合格した。美月は、叶わなかったけれども、親に褒めてもらいたい一心で勉強を頑張っていたという。机に向かっていれば、親に怒られなくてすむから、テレビを見ることもなく、中学の時は、中学生の勉強ではすることがなくなり、高校生のテキストを見て勉強していたらしい。高卒認定に合格してからは、大学受験のための予備校に通い、普通の高校生が学校に行っている時間は、ピアノや英会話の教室に通った。真由美は、美月が興味を持つものを全てやらせ、社会勉強のためにゴルフにも連れてきていたのだ。美月も美月なりに、真由美の気持ちにこたえるように勉強を頑張り、掃除、洗濯などの家事もこなしていた。真由美の役に立ちたいという美月の気持ちもあり、真由美は美月が社会に出て騙されないよう、週末だけ美月を店に出させ、料理を運ぶだけだが人間の裏表を見させては、彼女が人のうわべの言葉に惑わされない強い人間になれるよう、彼女なりの教育をしていたらしい。そして、美月が十七歳になる頃、大学進学のためもあり、真由美は美月の親になるための行動を始めた。美月は、親と関わるのを嫌がったが、未成年が大学に進学するには親の署名捺印が必要だと美月を説得し、真由美と美月が一切、美月の親と接しないで済むように弁護士を立て、美月の養子縁組を行った。
弁護士が、身分を名乗り美月の件で話があると美月の両親に連絡をすると、
「もう、あの子は関係ない、知らない。」
と 電話を切られ、まず、話し合うまでに時間がかかったという。二年も行方知れずの娘の情報に耳を貸さない様子をみると、美月が、どんな状況に陥っても、家に戻ろうとしなかった気持ちが伺える。やっと、美月の両親と弁護士の話し合いが持てるようになり、養女にしたいという人物がいることを伝えると、お金を要求してきたというからあきれたものだ。
しかし、弁護士が一枚上手だった、美月がその養女にしたいという人物に借金があるために、養女にならなければならない状況があると話しを作り、もし、娘を手放したくなければ、その借金さえ支払えば、この話はなかったことに出来ますよというと、あっさり、養女に出すことに応じたらしい。真由美は、弁護士費用だけで、美月の親権を勝ち取った。その報告を受けた日、二人は泣いて抱き合ったという。
「もう、あなたはわたしの娘よ。あなたの保護者の欄にわたしがサインできるの。あなたのことは、わたしが全て責任を持って出来るのよ。美月。」
美月は、色々なしがらみからとき離れたように、晴れやかな顔をし、
「お母さん。」
と 言うと涙をぼろぼろとこぼし、真由美に抱きついた。真由美もまた、美月に必要とされている喜びに、涙を流した。
美月は、自分が真由美の養女になるまでに交わされた、弁護士と両親のやりとりを知らない。
「全て弁護士に任せたから、気になることは、弁護士に聞きなさい。」
と 真由美は美月に言ったが、美月が弁護士に両親の様子を尋ねることはなかった。
その頃からだっただろう、わたしは、たまに真由美と食事に出かけることがあった。真由美は、大学時代の仲間としてだろうか、わたしとの食事には気を使い、リーズナブルなカジュアルレストランを選んでくれていた。その食事に美月を伴うことがよくあった。最初は、店同様、美月は真由美を
「ママ。」
と 呼んでいたが、
「お母さん。」
と 呼ぶようになり、美月が真由美をママと呼んでいた頃は、真由美は美月に気を使い、メニューを選んでやったり、何かと美月に声をかけたりしていたし、美月も真由美に声をかけられないときは、わたしと真由美の会話に入り込むこともなかったが、お母さんと呼ぶようになった頃から、二人の間に違和感がなくなり、美月も普通に私と真由美の会話に参加するようになっていた。本当の親子でないが、本当の親子のようになっていった。
そして美月は、わたしと真由美の母校でもある大学に進学した。真由美によると、美月の学力であれば、もうワンランク上の大学を狙えたのにも関わらず、わたしたちの母校しか受験しなかったという。美月なりの感謝の気持ちなのだろうか、夢途中で、退学せざるをえなかった真由美の夢も一緒に叶えたいということなのだろうか。愛嬌のない娘だが、そういうところもまた、真由美にとってはいとおしいのであろう。
真由美は、美月のことを話し終えると、
「あなたには、知っておいてもらいたかったの。美月にはわたししか頼る人がいないから、いざという時、美月がまた一人ぼっちにならないように見守ってやって欲しいの。美月もあなたのことは、警戒していないみたいだし、あなただったら、美月を裏切るようなことはしないって信頼できるから。」
「何かあったときって、言ってもな。美月がぼくを頼ってくれるかな。」
「大丈夫よ。美月はあなたのこと、親戚のおじさんみたいに思ってるから。」
確かに美月は、わたしをただのおじさんとして扱っていた。真由美がわたしに美月のことを安心して頼める裏には、わたしと美月が間違いを起こす可能性が、ゼロに近いからこそであろう。発展的な関係でない分、長くつきあっていけることは間違いない。
「まあ、ぼくに何が出来るかわからないけど、美月が相談に来たりすることがあったら、邪険にすることだけはしないよ。その前に、真由美が美月をずっと見守っていけるようがんばって、もし、美月の学費のことで心配があれば援助もするし。」
「あら、心強いわね。」
真由美は微笑んだ。真由美もまた、一人で美月を見守っていく責任という重さに不安もあったのだろう。今はなんとかクラブを経営しているが、それなりに流行っているような店が突然店を閉める状況に追い込まれることはよくあることだ。美月が独り立ちするまで、大学院まで進んだとしたら、あと五年は美月を学校に通わさなければならない。浮き沈みの激しい商売をしている真由美にとって、確実なものはない。
原稿が出来たといって美月に呼び出され、大学のカフェに向かった。早めに大学に行くと、准教授をしている昔の仲間、村田に出会い、美月が来るまでの時間、昔話をしながら過ごした。
「桜君が真由美の娘とは、」
村田も驚いていた。
「どうりで、成績優秀なわけだ。桜君の年の生徒は、桜君の影響で、学部を超えて勉強をする熱心な生徒が多くて、桜君は特に熱心というか、いまどきいない勉強を欲する苦学生的な部分があって驚いているんだ。レポートもよく出来ているし、課題の背景やその奥深いことまで知ろうとするから、少々ぼくも焦らされているよ。」
美月が、篠田とノート片手に話しながらカフェに入ってきた。その後ろに女学生も続く。なるほど、篠田目当ての取り巻きが美月にも尻尾を振っているわけだ。美月は、わたしが村田といることに気づくと、篠田たちと離れた席に着いた。席を囲みながら、女学生たちは熱い視線を篠田に送っている。篠田と会話することがとても喜ばしいことであるらしい。その中で美月は、ひたすらノートに目を通しては、その色づいた雰囲気に水を差すようになにやら篠田に意見をしているようだ。
「篠田って人気があるんだね。」
「小池、もしかして仕事がらみで探りいれにきたの?大臣の息子について。」
「いや、そんなんじゃないよ。美月の友達の一人として、どういう奴か気になっただけ。」
「そりゃ、あのルックスでアメフトもやりで、学内での人気はすごいよ。国民に人気のある大臣の息子でもあるし、彼の出席する講義には取り巻きの女の子もたくさん出るからいつも満席状態だよ。でも、彼はまじめだよ。いつも一番前に座って講義を聴いて、講義のあとも分からない部分は熱心に質問してくるし、彼は、桜にノートを頼まれることが多いらしいから、特に中途半端でノートを渡せない状況があるんだろうな。前はよく、彼のノートで納得できない桜が、授業もとっていないのに、質問に来ていたから。」
なるほど、篠田もまた、美月に得体の知れない緊張感を味合わされているのだろう。村田が席を立ったことに気づくと美月はわたしのテーブルにやってきた。わたしは、原稿を受け取りながら、真由美と会った話をした。
「この前、真由美に、美月と会ってるようだけどって、心配されたよ。」
美月は、噴き出した。
「絶対、怪しいなんて思ってないわよ。このバイトのことは、記事を読まれるのが恥ずかしくて言ってないけど。」
美月は、噴出した後にまじめな顔になって、
「ねえ、お母さんのこと好き?」
と 聞いてきた。唐突な質問に驚きを隠せないでいると、大人をからかった目をした。
「いいの。そんなこと答えられないよね。まあ、わたしが弁護士になったら、お母さんにはお店をやめてゆっくりしてもらうの。お母さんには、自分の人生を楽しんでほしい。お母さんは、あなたぐらいしか、気の抜ける人いないみたいだから。店をやめた後、わたしが仕事で忙しくて、お母さんがいつも一人じゃかわいそうだから言ってみただけ。」
「まあ、真由美と茶を飲むくらいの付き合いは、続いていくかもな。」
「小池君?」
答えにくい質問をなんとか交わし、ほっと胸をなでおろす私を唐突に、美月はそう呼んだ。
「お母さんね、家でこいちゃんの話をする時、たまに『小池君』って、言ってるの。その時は、すごく楽しそうに話をしてるから、そう呼んでみただけ。わたし、お母さんに連れられてこいちゃんと食事に出かけることはあるけど、お母さんの他のお客さんと食事に出かけたことはないのよ。どうしてだか分かる?他の人は、お母さん目当てでも、隙あらばわたしにも手を出しかねない信用の置けない男だからってこと。」
美月はそういうと、あとは自分で考えろといわんばかりにのけぞって、わたしを見下す。わたしは時折、美月の洞察力に怯えさせられていた。
篠田から会社に連絡が入る。政局が荒れていて、わたしのデスクの周りにはいろいろな情報が交差しているところだからとりあえず会社の外で会うことにした。
「ごめんね。会社を見学したかったんだろうけど、今、いろいろあわただしくて、ゆっくり見学させてあげられることが出来ないんだ。」
「あの汚職事件のことですか?スクープ記事読みました。翌月のスクープ第二弾ってやつ期待しています。もしかして、ぼくが大臣の息子だって知っていて、用心しているんですか?」
「いや、そういうわけではない。今は、みんながいきり立っているから、学生を入れると反感をかいそうでね。」
「そういう状況こそ見たいですね。心配しないでください。何か見学させていただいて知ったとしても、外には漏らしません。もちろん、父にも。ぼく、ずいぶん先の話ですけど、父の後を継いで政治家になるべきかどうか悩んでいます。そのためにも、政治の裏側は知っておきたいと思っています。裏の嫌な面も見て、自分がそういうことを変えていけるか、耐えられるのか、父とはそういう話は出来ませんから。」
「ぼくたち編集者は、政治に裏があると思い込んで書いているほうだから、ぼくたちの言葉だけで判断してはいけないよ。そういうことは、父親に聞いたほうがいい。」
篠田はうなずいたが、どうやら、この話は本題ではないらしい。篠田はしばらくためらって口を開いた。
「今日は、その話で来たんじゃないんです。桜のことで。ぼくは、父にレールを敷かれて、今の大学にも推薦で入って、そのうち父の後を継いでいくのだろうとなんとなく思っていました。でも大学で、がむしゃらに勉強をしている桜と会って、勉強に興味を持てるようになって、自分の道を探したいと思えるようになったんです。その桜が今、大学を去らなければならない状況に追い込まれていて、何とかしたくて、自分に何ができるか、どうしていいかわからなくなって、小池さんに相談に来ました。」
あんなに熱心に勉強していた美月が、大学を去らなければいけない事件を起こすわけなどない。篠田は、その原因について話し始めた。
それは、大学祭の時に始まった。大学祭一日目。浮かれ立った大学の中で美月はいつも通り学内の図書室で勉強をし、大学祭も終わり、帰るためバス停に立っていた。女学生の中でも派手な沙恵子は、遊び仲間の庸介と同じようにバス停に向かった。庸介は、美月に見覚えがあった。
「あの子、なんて名前?」
「桜美月。知ってるの?」
「ああ、美月か。」
庸介は、美月が十五歳の頃、行くあてもなくさまよっている美月に声を掛けていたのだった。
「大分前だけど、声をかけたらすぐ付いてきたよ。俺の仲間も同じように声を掛けて、やっちゃったらしいけど。へエーあの子がね、ここの学生とは。」
美月は、それに気づかずバスに乗り込んだが、翌日の大学祭に、沙恵子は庸介を連れ、図書室で勉強をしている美月の前に現れた。
「桜さん、庸介と知り合いなんだって?」
美月は、顔を上げ庸介を見たが、何も話さず勉強を続けた。
「何、覚えてないの?まあ、毎日違う男について行ってたようだから、無理もないか。驚いたな、今は優等生を演じているわけか。」
「桜さんが、そんなことしてたなんて驚き。今も、外では結構遊んでいるの?」
美月は、顔を上げなかった。何の反応もしない美月にしびれを切らし、二人は美月の前を去ったが、その話はすぐに学内に広まった。そして、庸介は、美月を知っているというほかの仲間も連れ立って、美月が大学を出ようとする時間を狙っては車で現れ、
「美月、遊ぼうよ。どうしたの?昔はすぐについてきたくせに、お高くとまっちゃって。」
などと、他の学生たちがいる前で、美月に声を掛けることが続いた。大学の裏掲示板には、美月のふしだらな噂がたくさん書き込まれる。女学生たちはすぐに篠田に美月のことをふれこみ、毎日のように更新されていく裏掲示板の内容を話題にする。美月の周りにいつもいた篠田目当ての女学生は、距離を置いて噂話をするようになる。美月は、ひたすら勉強を続けた。その状況でも篠田は変わらず、講義について美月に話しかけるが、篠田が美月に近づくと女学生達が寄ってきて美月に裏掲示板の内容について問いかける。
「桜さん本当なの?毎日いろんな男の人の車に乗ってついていくって?」
そういう状況を避けるため、篠田自身も美月に距離を置いていた。やがて、女学生達は、掲示板に書き込まれた美月のふしだらな中傷と共に、庸介のようなたちの悪い人間が、美月目当てに大学周辺をうろつくことを問題とし、大学側に美月の処分を訴えた。
篠田自身も、アメフト仲間から、美月のことを知らされていた。
「やっぱり、苗字が違うけど、名前が同じだから、そうじゃないかと思ってた。俺、中学校が桜と同じだったんだ。たまに、体にあざを作って学校に来ていたから、親に虐待されているんじゃないかと噂になってた。それから、学校に来なくなって、夜の街をうろうろしているって噂があったけど、あまり、触れちゃいけないことだと思って、今まで言わなかった。」
美月が、真由美と出会うまでの間、どのようなことをしていたか真由美も美月には聞かなかったから、真由美が美月から聞いた部分しか、わたしは知らない。美月が学内ではメガネをかけて過ごしていたことも、こういうことになることを恐れていたからなのだろうか。いつか、こういうことが起きると予測して、先を急ぐように勉強に没頭していたのだろうか。なるべく目立たないように過ごしたかった美月の前に篠田が現れたことで、美月は目立ってしまった。庸介が美月を知っていることは間違いのないことであろう。しかし、裏掲示板というものは、人へのねたみから、人を陥れようとする姑息なやつが書き込むというのが常である。
「君は、その噂を信用しているの?」
「いえ、信用していません。ただ、いろいろな事情があって、やむをえないこともあったのかなとは思います。ただ、今は彼女が大学を去らなくていいように、何か出来ないか、そればかりを考えています。」
「美月が、そういう状況に追い込まれているのって、君にも原因があるんじゃないの?ぼくには美月にねたみを持った人間が美月を陥れようとしているようにしか思えないけど。」
「どうして、ぼくが原因なんですか?」
「今まで、美月の周りにいて、友達面していたやつらが、これをきっかけに、君に色々吹き込んでいるだろ?その子たちは、君が目当てで君と親しい美月にまとわりついていただけなんだよ。君が美月と仲いいからねたまれたんだな。」
美月が、ねたまれているということを理解できなくても、篠田自身、自分がもてるという自覚はあるだろう。篠田はようやく、この騒動の要因のひとつが自分にあることを理解したらしい。
「じゃあ、ぼくはどうしたらいいですか?」
「君が美月を心配するそぶりを見せれば、美月に対する中傷はひどくなるばかりだ。美月からさっぱり離れるか、親にでも頼むんだな。君の親は、文部科学大臣じゃないか、大学に対する権限は絶大だ。」
めがねをかけ、穏やかに大学生活を過ごしたかったであろう美月の気持ちを思うと、悪いことをしたわけではない篠田に厳しい言葉が出てしまった。篠田は厳しい目で、わたしを睨んだ。親の力を借りろという言葉はプライドが許さないのだろう。
「ぼくの力でなんとかします。」
篠田は、そういうと怒りに体を震わせながら立ち去った。
わたしも、篠田に任せておくわけにはいかない。すぐに、村田に連絡を取った。
大学時代の仲間とは心強いものだ。わたしは、大学側の状況を知るために准教授をしている村田に連絡を取った。その二日後には大学時代の仲間四人が集まった。それぞれ、大学時代、突然大学を去らなければいけなかった真由美を思い、その娘を守ろうと奮起したのだ。自分たちの今の力があれば、真由美が大学を去らなくてもいいよう、いろいろな方法で真由美を守れていたはずだった。自分たちの力不足で、自分たちのマドンナ真由美を守れなかった無念を晴らすのと同時に、社会的に中堅の立場となり、先も見え、人生につまらなささえ感じ始めている昔の仲間達は、何かに燃え上がりたかったのかもしれない。
「こいちゃん、助けて。」
夜の十一時、美月から突然電話が入った。
「中央病院にいるの。早く来て。」
わたしはタクシーを呼び、急いで中央病院に向かった。夜間用の入り口を入ると、暗い待合室の椅子に美月は座っていた。
「何があった。」
わたしは、真由美に何か起きたのかと心配をしていた。
「前取材した二人組みの女の子がいたでしょ。あのリナと連絡を取っていたの。それで・・・」
どうやら、扉の向こうで処置を受けているのは、真由美でないらしい。あわてて駆けつけたことを後悔しながら、何があったのか、美月から話を聞いた。
リナには、友達とナンパ待ちをして遊びながらも、思いを寄せる男がいた。以前、その男の子供を妊娠したが、男に頼まれ中絶をしていた。そして、今回また二度目の妊娠をしてしまった。今回は産みたいというリナのお腹をその男は何度も蹴り、夜の公園で一人動けなくなったリナは、美月に助けを求めてきたのだった。
「親には、連絡したのか?」
「知らないから。」
「友達には?」
「友達にこんな惨めなこと知られたくないから、わたしに連絡してきたんでしょ。」
前回受け取った原稿に書かれていたのは、リナのことだったのだろう。それは、愛情に飢えた女の子の話だった。
一緒に遊ぶ友達はいても、誰にも愛されず孤独を感じていた少女は、フリーターの雄太に魅かれていた。雄太とはナンパで知り合い、その日に
「一年後もまだ付き合っていたら結婚しよう。」
と 言われたことで、少女の心は釘付けになった。いかにも頭の悪いナンパな男の本心にない決めゼリフだと思うが、少女は本当の愛にめぐり合えた気になったのだろう。毎日連絡をしても、会えず、
「今から、来い。」
と いつも突然言われるばかり。それでも少女は、結婚の言葉を信じていた。きっかけは、一枚のCDだった。雄太に愛されたいと願う少女は、雄太にあるアーティストのCDが欲しいと言われた次の誘いにそのアーティストのCDを持って、雄太のもとに向かった。雄太はそれに味を占めたのだろう。最初こそ、CDなどの手軽なものだったが、ファッション雑誌を見ればこのジャケットが欲しいと雄太の欲しいものはエスカレートしていく。少女は雄太の欲しいものを手に入れれば雄太と会える。雄太が欲しいというものを買っては、雄太のもとに足を運んでいたが、少女の小遣いでは雄太の要求にこたえられるわけもなく、少女はキャバクラでアルバイトをするようになった。
「金がなくて、ガソリンも入れられない。」
と 言われればお金を渡し、最近では、キャバクラのアルバイトが終わったあとにそのアルバイト料を持って、雄太のもとに向かうという状況になっていた。結婚という言葉を最初に出されるとそれに向かって、そのような努力もするものだろうか。一度目の妊娠の時も少女は産みたいと言ったが、雄太はその時、今回だけはあきらめてくれるよう優しく諭したらしい。
その少女はリナで間違いないだろう。そしてリナは、再び雄太の子供を妊娠し、産みたいと願ったのだが、雄太にお腹を何度も蹴られるという惨めな結果になった。雄太は一度目の妊娠は、うまく中絶するよう諭せたが、二度目はうまく諭すことができず、子供など産まれると面倒なことになると思い、そういう手段にでたのであろう。リナはこういう自分の惨めな部分を、友達に知られたくなかったのだろう。美月は、何人かでいる女の子に話を聞いても、お互いが見栄を張るから、本当の部分は分からないと言っていた。確かにリナは、友達と一緒に話をしている時は、友達と競争のように、たくさんのボーイフレンドに囲まれ、男達を振り回し、楽しく過ごしているかのように話していた。実際には誰にも愛されず、愛情を求めるあまりに、つまらない男に引っかかってしまっている。そういう自分の寂しい部分は、友達に話すことはできず、取材と称して近寄ってきたあかの他人である美月に話し、何かに気づかされたかったのか、ただ、誰かに聞いてもらいたかったのか、明らかに、断ち切ったほうがよい相手でありながら、寂しさに負け、ずるずると付き合っているのか、本当に結婚できると思っていたのかはわからない。
処置室から看護師が出てきた。
リナは、流産をし、その処置でまだ麻酔から目を覚ましていなかったため、翌朝の診察を受けるまでは病院にいなければならなかった。
「どうする?」
「わたし、付き添ってる。」
美月は、病院に残った。
翌朝、わたしは再び病院に向かった。そこには、目を真っ赤に腫らしたリナとただ隣に座っているだけの美月がいた。リナの診断を待ってから、リナを家まで送ったが、家には誰もいなかった。誰もいない家の中は雑然としていた。一晩帰ってこなかった娘を待っていた様子などない。
「一応、ご両親にお話したほうがいいと思うけど、夜にでも出直して来ようか?」
と わたしが言うと、
「病院のお金はちゃんと返すから、何も言わないで。」
と リナは答える。わたしは、お金のことを心配して言ったわけではない。リナのことを他の若者同様バカだとは思うが、大きく傷付いていることはわたしにもわかる。せめて、体の傷が癒えるまで、家族には温かく守られるべきだと思ったからだったが、彼女もまた、そういうことが期待できる親を持たなかったのかもしれない。こういう状況で、あかの他人の美月に頼るしかなかったリナの孤独を感じずにはいられない。
「彼に、このことを伝えたら?」
と わたしは言った。一つの命が奪われたわけである。罪を犯したことに間違いはない。リナは、黙ってうつむいている。
「また、連絡受けたら行くの?」
病院を出てからずっと黙っていた美月がつぶやいた。美月の問いかけに、リナは黙ったままだ。美月はいきなりリナのスマホを奪い、アドレスを探ると雄太に電話をかけ、リナに渡した。リナは、大粒の涙を流し始めた。電話は、着信拒否をされていた。ここは、雄太に連絡を取り、相手の無情をしっかり受け止めることが、中途半端に雄太へすがるリナの気持ちにけじめをつける最良の方法だと思ったのだろう。
「寂しいからって、愛情を求めても裏切られるだけだよ。愛情ばかり求めても、あなたに人から愛されるだけの魅力があると思う?あなたは、愛情を求めるばかりであなた自身はからっぽで自分がないから愛されないし、振り回されるの。あなたが変わらなきゃ誰にも愛されない。愛されようと努力しても、それは相手にとっては都合のいい女になってるだけのことよ。みじめだってわかってるから、友達にも言えなかったんでしょ。」
傷心のリナに、美月は厳しい言葉を投げかける。リナの涙はとまらない。
「まず、寂しさに勝たないと今までの繰り返しよ。せめて一ヶ月は、一人で自分のための時間を過ごしたら?」
そういうと美月は立ち上がった。わたしもついて立ち上がり、リナの家を後にした。
「大丈夫か?」
リナのことを尋ねると、
「さぁ、また彼から連絡が入ったら、行くかもね。」
「それはないだろう。あんな思いをしているのに。」
「そう思う?何ヶ月かして彼から連絡が入ったら、やっとわたしのこと理解してくれたんだとか思って、飛んでいくと思うわ。男のほうは、簡単な女だって分かってるから、何か困ったら、うまいこと言ってまた近づいてくるわ。」
わたしには、信じられないことだが、美月がそういうということは、そういうこともありうるのかもしれない。
「何で、そんなにもろいんだろうな。」
「愛情に飢えてるからよ。寂しさでいっぱいだから、時間を共有してもらえるだけで嬉しいのよ。相手の愛情が本物かどうかの判断がつかないで、自分の都合のいいように相手の気持ちを理解しているのよ。」
「泥沼だな。」
美月に今の若者の現状を見せられるまでは、今の若者は、物に溢れた中でただ毎日を面白おかしく過ごしているだけのものだと思っていたが、心に潜む大きく枯渇したものを感じずにはいられない。夜の街の中で、少女達はたくさん群れているというのに、本当に自分がつらい時につらいと言える友達もなく、孤独を抱えているのだ。美月は孤独に打ち勝って、自分のための人生を歩んでいるのだろうか。
村田から召集がかかった。再び大学時代の仲間四人が集まった。警視庁で働く新井は、裏掲示板の管理者を割り出していた。それは、噂の根源となった沙恵子だった。そして、庸介が執拗に美月を追い回していることも調べていた。その報告を受けた弁護士をしている野田は庸介のもとに向かい、ストーカーとして起訴してもいいがと脅しをかけた。世の中のことがよく分かっていない康介は、弁護士と直面し、とんでもないことになると思ったのか、簡単にすべてを語っていた。
すべて、沙恵子が仕組んだことだった。沙恵子は、モデルのアルバイトをするほどの美人で派手だったため、大学の中でも随分目立つ存在だった。知り合いに芸能関係者もいるほど交友関係も派手で広かったことから、その交友関係に惹かれ、沙恵子になびく学生も多かった。沙恵子は、篠田と親しくなろうとしていたが、篠田が沙恵子の誘いに乗ることはなく、篠田の注目は常に美月に向けられていたため、美月のことを面白くなく思っていたらしい。そのなかで、康介から美月の過去を聞き、美月を大学から追い出そうと画策したのだった。沙恵子に気のある康介は、沙恵子に言われるまま大学周辺をうろつき、美月に付きまとい、沙恵子は美月の噂を流し、学内で美月を孤立させることは出来たが、美月がそれでも大学への通学をやめなかったため、ネットの裏掲示板でもあらぬ噂を書きたて、周りの女学生達を使って、掲示板に書き込まれた美月のふしだらな中傷と共に、庸介のようなたちの悪い人間が、美月目当てに大学周辺をうろつくことを問題とし、大学側に美月の処分を訴えた。ただの嫉妬心から、このように手の込んだことをするとは、随分恐ろしい。すべてを野田に話した康介は、自分は頼まれただけで何も悪くないんだと、逃れることに必死だったらしい。野田は康介に、美月に二度と近づかないことを誓約書に書かせた。
「この誓約を破ったら、法的手段に訴えることになるよ。わかるね。」
と 野田が言うと
「絶対、大丈夫です。」
と 康介はすごい速度で何度も頷いたという。何も知らない若者にとって、法的手段というものはとてつもなく恐ろしいことに思えたのだろうか、野田から連絡を受けた村田は、それを元に、沙恵子を学内で呼び出した。
「桜君を中傷した掲示板の管理者は、君になっているそうだね。」
と 問いただしたが、
「知りません。」
と 沙恵子はとぼける。
「康介君と言ったかな。君に頼まれて、学内で桜君を追い回したと言っているらしいじゃないか。」
沙恵子の顔色が変わった。
「桜君の処分が検討されているようだが、君の責任はどうなるんだろうね。」
と 村田はさらに沙恵子に追い討ちをかけた。沙恵子は何も認めることはなかったが、その後、裏掲示板は閉鎖された。それを受け、この集まりとなった訳だ。社会的に中堅とはなった仲間達は、その立場を使い、随分、強引な手法を使ったようだった。社会に出ているわたし達にとってはたいしたことではないが、自分の力で世の中を変えられるのではないかと錯覚していた若い頃を思い出し、それは叶わなかったが、一人の学生を救ったという解決を迎え、仲間達は達成感に酔いしれていた。わたしも、事態の終結を迎え安堵した。
美月と会った。
「学内でいろいろ噂されてるようだけど、大丈夫?」
美月は少しばつが悪そうだった。
「別に、今、大学側の処分を待っているところ。いいの、もし処分されても、司法試験は予備試験でパスするから、法科大学院にまで進まなくても大丈夫。」
「何、言ってる。大学は、司法試験のためだけじゃない。大事な仲間に出会えたり、勉強だけじゃない、人間としてもっといろいろな経験をしたり、学んだり出来る大事なところだ。大学を去ることは考えるな。」
わたしは、真由美の旧友達が集まって、沙恵子が今回の事件の根源だったことや、庸介が二度と美月に関わらないように誓わせたことを話した。しかし、一度広まった噂を人々の記憶から消すことは出来ない。美月は、それを聞いても、うつむいたままだった。
村田から電話が入る。美月が危ないと。美月は今回の騒動について、大学から説明を求められたが、何も話さなかったらしい。村田は、沙恵子が大学側にだした美月の処分の申し出を下げると思い込んでいたが、沙恵子は掲示板を閉鎖した以上のことは何もしなかった。わたしたちの中では解決したと思っていたが、准教授である村田も、本来なら、生徒を指導する立場になく、掲示板の管理者を割り出すために、大学が捜査依頼をだしたかのように書類にサインをしていたから、表立って美月をかばうことができなかった。村田の立場も守ってやらなければならない。美月に今回のことは責任がないとはいえ、いろいろ大学側に聞かれれば話したくないことばかりだろう。手遅れになってはまずいから真由美にすべてを話した。
「篠田大臣の息子が原因なの?」
こんな重要な話をして、最初の言葉がそれだからわたしはあきれていた。事の重大さを理解しているのか、美月が大学を去ることに抵抗はないのか、わたしは、真由美に頼ることをやめ、他の方法を考えるしかないと思っていた。
一週間後、真由美から美月が不問のまま、今までどおり大学に通えるようになったと連絡を受けた。
「今回は、美月のためにいろいろ動いてくれてありがとう。村田君たちにも、お礼を言わないとね。」
わたしは、驚いた。真由美に今回のことを話したとき、篠田のことを尋ねる以外、何の手段をとるとも言わなかった真由美が、簡単に事を納めていたようだったからだ。
「どういうふうに学校に掛けあった?」
「大学に事の顛末を話せば、村田君が動いていたことがばれて迷惑がかかりそうだったから、わたしは何も言わなかったわ。」
「じゃあ、どうして?」
「篠田大臣に頼んだの。彼の一声で、反対に大学が謝罪に来たわよ。」
「知り合い?」
「ええ、昔ね。まだ、新人議員の頃にね。」
「・・・・・・・。」
聞かないほうがよかった。篠田大臣もまた、大学時代はアメフトのスタープレーヤーだったこともあり、初出馬の時からなにかと注目されていた。スポーツマンということで、汚職などドロドロトとした政界の中、クリーンなイメージで国民的な人気を誇っていたが、一度だけスキャンダルが流れたことがある。それは、ホステスとの不倫疑惑だった。詳細は知らないが、美月のことで簡単に大臣と連絡を取れ、動いてもらえるということは、真由美こそがその不倫相手のホステスだったのかもしれない。そう思うと、その息子の篠田に会うのも複雑なものだが、篠田は何も知らずにやってきた。
「ぼく、学長に直談判しました。彼女こそ被害者で、困っている人間を処分するのはおかしい。すべての原因はぼくにあると。しばらくして学校が、桜の家に謝罪に行ったと聞きましたからもう大丈夫です。」
篠田は、自分の力で美月を守ったと思い込んでいるようだ。まさか、父親が関わっているとは知る由もないだろうが、美月には、力強い友達であることには間違いない。わたしは、余計なことは言わず頭を下げた。
「これからも、美月の力になってやってくれ。」
しかし、篠田の顔は浮かない。
「どうした?」
「桜は、あれからずっとぼくを避けているんです。学校に来るようにはなったんですが、学内では、誰とも口をきいてないようですし。」
「そうか、あんな噂流されたんだ。大学から謝罪を受けたといっても、心に傷は残るだろう。」
「桜に、今までと同じように、一緒に勉強をしたいと伝えていただけますか?」
「ああ、いいよ。」
篠田にはあまり関わりたくない気分であるが、なぜかわたしは二人の間に立たなければという思いに駆られ、美月に会う。
「まだ、落ち込んでいるのか。」
「別に。」
いつも通りの素っ気ない答えだ。
「篠田が寂しがっているぞ。」
「彼、こいちゃんに連絡しているの?」
「ああ、今回の件は、彼から聞いた。君が窮地に陥っているから、どうしたらいいかって。彼なりに、学長に君を処分しないよう直談判に行ったりしたらしいぞ。少しは、愛想よくしてやれよ。」
「彼が、悪い人間じゃないことは分かっているわよ。でも、彼は一般人じゃない。大臣の息子として、何かと注目されているし、彼と仲良くしていたら、また同じようなことが起こるわ。わたしはさらし者になりたくないの。」
確かに、篠田はアメフトの試合で、一度ボールを奪っただけでも、得点を稼いだ選手よりも大きくスポーツ紙に取り上げられ、父親の選挙の時に応援に行けば、彼目当ての若い子がたくさん集まる。彼自身は試合後のインタビュー以外は応じないが、メディアも彼を欲している。皆が、父親のあとを継ぎ、行く行くは政治家になると思っている。地味に暮らしたい美月にとって、篠田といると穏やかな日常は送れないだろう。
「今回のことで痛感したわ。わたし、将来的に国際弁護士になって、アメリカに住もうと思う。心配なのは、お母さんのことだけ。お母さんはアメリカに住みたいなんて思わないだろうから、」
「昔、何があったか知らんが、別に言わなきゃすむことだろ。それに、オレは美月が何をしていたとしても、気にならないけどな。真由美だって、美月を誇りに思っている。過去を引きずって駄目な人間のままじゃいけないけど、美月はそうじゃない。もっと自分に自身を持ったらどうなんだ。俺は、お前をえらいと思うけどな。」
美月は、この先も自分の過去に振り回されていくのだろうか。そう思うと、心配で仕方がなかった。美月は、少しだけ笑った。
篠田はわたしの力を期待して、また連絡をしてきた。とりあえず、美月が篠田といることで目立ってしまうことを懸念しているということを伝えた。
「だったら、桜の家でも、ぼくの家でもいいから、学校の外で会おうと伝えてもらえませんか?」
わたしが、それを美月に伝えても、答えはわかっている。その答えを期待して待つ篠田に悪い報告しかできないことがわかって間に入るのも気が重いものだ。
「スマホに電話して、自分で言ったほうがいいんじゃないかな。」
「ぼく、SNSのアカウントしか知らないんです。そのアカウントも変えたみたいで、連絡のとりようがないんです。」
あんなに親しそうにしていたのに、SNSのアカウントしか教えていなかったとは、美月が篠田と一定の距離を置こうとしていたことが伺える。
「しかし、どうして美月にこだわる。愛想のないやつじゃないか。」
「ぼくも、桜と同じかもしれません。桜は、大学の中でたくさんの仲間に囲まれていたはずなのに、今回のことで一人ぼっちになってしまった。いま、ぼくはたくさんの仲間に囲まれているけど、ぼくが大臣の息子として注目されていなかったらどうだろうって考えます。昔から、一緒にいる友達がぼくを人に紹介する時、政治家の篠田の息子って言います。なんとなく、そういう紹介のされ方が嫌でした。みんなの興味は、父のことや、家庭の様子なんです。そういう仲間ばかりじゃないと思いますが、桜は、ぼくをただの政治学科の一人としてしか話しませんし、ぼくと親しくしていることを誰かに自慢したいなんてこともないんです。ぼく自身を見てくれる、そういう人に出会ったのが初めてなんです。」
有名人の息子というのも、たくさんの仲間に囲まれながらも、それなりに孤独を感じているのか、その孤独があるから、種類は違うが、美月の孤独を感じることができたのかもしれない。美月と共鳴しあっていると一方的に思い込んでいる篠田を前に 美月の性格を知るわたしは、わたしの口から篠田と学校の外で会えなどいえるわけもなく、美月に叱られることを承知で美月の自宅の番号を教えた。
「篠田だけど。」
「どうして、番号知っているの?」
「小池さんから聞いた。ぼくと一緒にいたくない理由も聞いたよ。でも、ぼくは今までどおり、桜と勉強したりしたいんだ。人に見られるのが嫌だったら、桜の家でも、ぼくの家でもいいんだ。一緒に勉強しないか?」
美月は黙ったままだった。
「嫌だったら、政治学科の講義ノートだけでも送るよ。」
しばらく、沈黙が続いた。
「考えておくわ。」
美月はそう言って電話を切った。
それから篠田は講義のノートをまとめては、わたしのところに持ってきた。わたしもそれを美月に渡すたびに、
「篠田に会ってやれ。」
とは、言っていた。
美月が動いたのは、ノートを受け取るようになって、一ヶ月が過ぎたころだった。美月から三冊ものノートを篠田に渡すよう頼まれた。過去一ヵ月分の法律学科のノートだった。篠田は、喜んでいたが、わたしも忙しい。子供の伝書鳩のような役目を続けているのもバカらしくなり、篠田から会社に来ると連絡があった日に、美月にノートを受け取りに来るよう電話をし、会社の会議室で二人を会わせた。
「久しぶり。」
と 喜ぶ篠田とは逆に美月は、
「騙された。」
と 言って、会議室の入り口のパイプいすに腰掛ける。
「いろいろ悪い噂も知っていて、こんなにお前のこと心配してくれるやつ他にはいないぞ。」
わたしは美月にささやいて、席を外した。
「ノートありがとう。」
美月は、口を開いた。
「ぼくといると目立って嫌かな。」
美月は、静かにうなずく。
「ぼくは、もしもだけど将来、桜と結婚して、あんな噂が立てられても、恥ずかしいとは思わない。君を気遣いはするだろうけど、今をしっかり生きている桜をどんな時でも、誇りに思えると思うんだ。ぼくは、桜に会っていなかったら、勉強はがんばっていなかった。ただ、大学に通って、卒業できる程度にだけ勉強するだけだったと思う。桜に会って、すごく勉強が楽しいと思って、自分の将来について、いろいろ考えられるようになった。だから、これからも桜と一緒に勉強しながら、いろいろなことに刺激を受けて行きたいと思うんだ。」
「わたし、あなたと一緒にいると、さらし者になるようで嫌なの。」
「ぼくが守るよ。ぼくが、政治家の息子だからって気にしてるんだったら心配しなくていい。もしこのままずっと一緒にいられて、桜がさらし者になりたくないって願うなら、ぼくは、政治家の道は選ばない。ただ、桜には、今の自分にもっと自信を持っていて欲しい。目立つのが嫌だなんて寂しいよ。」
美月に篠田の気持ちが伝わったのかどうかはわからないが、二人は一緒に会議室を出て、帰っていった。
その後篠田から、今までどおり二人で勉強していると連絡が入った。美月にとって、かけがえのない理解者がいることは喜ばしいことだが、やはり、色々抱えている家の息子が相手というのは、不安を抱えずにはいられない。
美月が書いた記事『孤独な群れ』は、読者から良くも悪くもあまり反応がなく、そのスペースに再びスポンサーが現れたため、静かに終わりを迎えてしまった。読者に、衝撃を与えることはできなかったのかもしれないが、わたしには良い勉強となった。親に暴力を受けて育った子供がまた、自分の子供にも暴力を振るってしまうという負の連鎖はよく話題になっていたが、愛情に恵まれずに育った子供にもまた、負の連鎖が起きているように感じた。愛に溢れた家庭に育った子供は、自然に人から愛される術を知り、また愛の溢れた家庭を特別な努力もなく自然に作ることができるが、愛に飢えた子供は愛情を欲するあまりに傷付き、また愛情の表現を間違い堕ちていく、愛を得ようと自分なりの努力をしているが、本当の愛というものを感じたことがないのだから、自分が思い描く愛というものに期待が大きすぎてしまい、満たされないまま必死に愛を得ようとむさぼっているように思える。愛とはもっと自然なものだと思うが、愛に飢えて育った子供がそれを得ることは難しい。美月は真由美に救われたが、それは奇跡に等しい。美月のように家庭に恵まれなかった子供たちは街をさまよい堕ちていくしかないのだろう。家出した子供たちを本当に救う手立てはないのだ。彼ら彼女らは一人で生きていけるわけもなく、結局、悪い大人たちに利用され、先の見えぬ毎日を送る以外ない。そうでない子供たちも、孤独を恐れ、寂しさを埋めることばかりを考えているように思う。子供たちは自分自身を大事に思い、将来を考える想像力も欠落している。どうすれば、今の子供たちを救えるのだろうか。社会を考えるうえで、重要な問題点に気づかされたと思う。わたしに、何かを変えるという大きなことはできないが、メディアに身を置くものとして、このことをうまく世の中に伝える事の使命を与えられたように感じた。
この作品を読んで、人にどう思われるかを考えて行動したり、周りを気にしすぎて自分をすり減らしたりせず、自分を大事にすること、先の自分のために何をするべきか、幸せは人が与えてくれるものではなく、自分の生き方にこそあると思っていただければ幸いです。




