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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ブラッディ・クレイジィ・バレンタイン

掲載日:2026/02/14



 いつものようにシンクですじ肉の下処理をしていると、「ただいまーっ!」と、玄関口の方からやたらハイテンションな声が聞こえてきた。


 ああ、やっと‘‘彼‘‘が帰ってきたのか。


――どどどどど、と、張り替えたばかりのフローリングを踏み鳴らす音が近くまで迫ってくる。


千夏(ちなつ)―! 褒めてっ、褒めて~っ! 今日もだれにもバレずにちゃんと殺せたあー!」


 背後からがばっと勢いよく手を回してきたのは、いまや世間を騒がせている連続殺人鬼の不死家(ふじや) (りつ)だ。

 視線を落とせば、袖口の赤黒いシミ。血のこびりついた手。むせかえるような鉄の匂い――何度嗅いでも、やはり慣れないものは慣れない。鼻が馬鹿になりそうだ。


「……先に寝ないで待っててくれてありがとねん♡ ボク、ひとりで寝るのってあんまり好きじゃないからさぁー」


 我ながらおかしな話ではあるが、訳あって私たちは同棲している。先日元カレのDVに耐えかね人生初の殺人を犯したところ、同じく人殺し帰りの律と、夜の街でばったり出くわしたのだ。




 すれ違いざまに「おねーさん、血の匂いがするね」――これが彼の第一声だった。びくりと肩が震えた。絶対に変質者だ。別に無視してもよかった。でも。普段なら絶対スピリチュアルなんて信じないのに、この時ばかりはなぜか、見えないはずの運命の赤い糸に引っ張られたような気がして。バッ、と私は振り返った。月明かりに照らされた笑顔は不気味で、どこか幻想的に見えた。



 お互いに初めましてだったけれど、筋骨隆々の体躯に童顔がのっかっているような、甘さと危うさが混在したアンバランスな感じが私好みだったので、家なき彼を匿う形で3LDKの我が家に住まわせてみることにした。聞けば、年も20をゆうに超えていると言うし、おそらく未成年淫行などには抵触しないはずだ。まあ、私情で人の命を奪った私が気にするところではなかったのかもしれないけれど。


って……これでは必死に言い訳しているみたいだ。小さく、笑みがこぼれた。


――うそつき。


 本当は寂しかった、のだと思う。それはほとんど、野良犬を拾う感覚に等しかった。


 午前0時を知らせる鐘が鳴る。律は、まるで聞き分けの悪い大型犬のように、いっそう強く私の背中にぐりぐり頭をめり込ませてきた。


「ね~ぇ、いっぱい頑張ったからいっぱいぎゅ~ってして?♡」


 ふぞろいのウルフカットが、私のか細く生白い首筋をくすぐる。が、私はこの飼い犬のおねだりに構わずキュッと蛇口を閉め、「せめてシャワー浴びてからにして」と短く言い放つのだった。





 お風呂場から出てきた律は、絨毯に水滴をまき散らしながらソファに座る。


「ちーなーつ♡ ねね、何かボクに渡すものあるんじゃなぁい??」


 居間でたいしておもしろくもないバラエティをぼーっと眺めていた私にずずい、と詰め寄ってこられたので、こちらも遠慮なく距離を取らせてもらう。


「服着て」


 すると、部屋着に着替える代わりにドライヤーを手渡された。言わずもがな、乾かせ、ということだろう。私は、わざと聞こえるようにため息をつきながら、柔らかく湿った、カラフルな髪束を掴んだ。


「ね~ぇ。あるでしょ? あるよねえ? ボクに渡すもの! さっき殺したヤツもぉー、さいごに彼女からのチョコがナントカ~って言ってたよーな気がする!」


 ドライヤーのボタンをあえて《強》にし、口から零れたのは「ふーん」というなんとも気のない返事だった。


 ドライヤーの風量に負けじと声を張り上げる律のそのまた向こうにあるカレンダーを、こっそり盗み見る。2月14日。なんの変哲もない土曜日。そういえば昨日、散歩がてら近所のショッピングモールに寄ったら、カフェで黙々と勉強している学生たちを見かけた。現役高校生ならちょうどテスト期間にあたるのかもしれない。


……などと考えている間に、律がとうとう不満そうに頬を膨らませたのが視界の隅に入った。


「ふん、いいよもう。ボクのことなんかどーでもいーんだ。こう見えてもセンサイなのにさ」


 いや…………意地悪はよそう。くだらない意地ばかり張ってたってどうせ、そのうち飽きられて殺されるだけだ。カチッ、とドライヤーのスイッチを切る。あとは自然乾燥に任せるとしよう。


「冗談だよ。ちゃんと用意してたってば。そんなに珍しいやつじゃないけどね」


 ゆっくり歩きながら、私はトートバッグの中から可愛くラッピングされたチョコを取り出す。数あるチョコの中から選ばれたのは、彼の名前の響きとよく似たスイスのメーカーのものだった。律は、素っ裸のまま飛びついてきた。


「ちょっ……やめて。ひっつかないで」


 子どものようにきらきらした目でチョコの赤い包みを見るなり、


「ちぇ、市販のやつかぁ。もし手作りだったら千夏の血とか入ってないかなーって、ちょっと期待してたのに……ざぁんねん♡」と舌なめずりをする律。


「文句言わないの。いらないなら私が食べ、」


 じゃれつくみたいに、律はあっという間に私を固いソファに押し倒してしまった。


「これってさぁー、ちゃんと本命?」


 続く言葉をさえぎって、がらんどうの瞳が私を覗き込んだ。


「…………まぁ、そういうことになるのかも、ね」


 律に指示された通り、きちんと‘‘あとかたづけ‘‘した――部屋の隅、クーラーボックスの中には元カレの残骸がある。この人が息をしていた頃は毎日毎日飽きもせず、自分がいかにすごい人間であるかを証明するために、下等生物かつ奴隷の私を執拗に殴ってきたのに。今じゃすっかりスーパーで売ってる格安のバラ肉と化しているこの現状が、なんとも皮肉めいているようで、改めて少しだけおもしろいと感じた。同時に、やりきれない切なさと後悔みたいなものが込み上げてきたけれど、それらは一瞬で消えてなくなった。


「……あはっ♡ だよねぇー、ボク以外に千夏と仲良くしてくれる人なんてもういないもんね?」


 律は、私の二の腕にある醜く変色したあざを、優しく愛撫するようになぞってゆく。


「ね。これ、せっかくだから千夏が食べさせてよ」


 同時に、さっきあげたばかりのチョコが私の胸に押し戻される。律を見る。彼はすでに、エサを待つ雛鳥のように「あー」と口を開けていた。


 ラッピングを外すと、そこに閉じ込められていた甘い香りがふわりと漂った。私は、一度やると決めたら絶対にやめない頑固な性分の彼に根負けし、しぶしぶ剝き出しの宝石のように綺麗なチョコを口に詰めてやることにした。詰めては開き、詰めては開きを繰り返しているうちに、最後の一個にさしかかった……ところで、私の顔に、ぽたり、と赤い雫が降りかかってきた。


「およ? 千夏ぅ、ティッシュ~」


「千夏ちゃんはティッシュじゃありません」


 チョコを一気に食べ過ぎたのか、赤い雫の正体が鼻血だと気づくまで、そう長くはかからなかった。律が鼻をごしごしこすったのを見て、私は思いきり眉をひそめた。


「ちょっと。すすっちゃダメだよ。そのまま動かないで……」


――ああ、そうだ。


 あることを思いついて、律が止めるのも聞かず、貴重な最後のチョコを自分の口の中に放り込む。すぐには咀嚼しなかった。

 そうして、とめどなく溢れ出てくる律の鼻血を、私は――ぺろりと舐め取ってしまった。鮮やかに爆ぜる真っ赤なジュレを、口の中のチョコとよく混ざるように舌で転がす。先ほど律にチョコをあげたとき、私の血を混ぜてほしかったとかなんとかって言ってたけど、なるほど、ひとの血液ってこんな味なのか。


 どうしてだろう。別にとびきり甘いってわけでもないんだけど……程よくしょっぱさがあって、たしかにちょっと、おいしい、かもしれない。


「……これが床を汚した罰って言ったら、どうする?」




 律は一体目の前で何が起こったのかよくわからなかったのか、珍しいことに、しばらくの間フリーズしていた。全裸のまま固まっているというのもなんだかシュールな光景で、おーい、と下から手を振る私。


「…………わあああっ、え、え、なに? なになに、これっ? ゾクゾクするぅぅ……! いいね、いいねぇ……♡」


 律は、顔を赤らめ恍惚の表情を浮かべるやいなや、ギューッッッと、このままあばら骨を折る気なんじゃないかというくらいに、強く強く私を抱きしめた。


「はあぁ……さいっっっこうだよ…………ボクね、だぁい好きなんだぁ。千夏のそういう大胆なトコ……♡」


「大胆って……ひとを変態みたいに呼ばないでよ」


「ね。愛してるよ、千夏」


 耳のすぐそばで突然、律がやけに甘ったるい声で囁いた。


 だからさ、これから先も、もっともっとボクを楽しませて――勝手につまんなくなんないでね?


 言いながら、まぶたにキスを落とされる。


「……はいはい」


……ああ、不思議だな。じきに破滅を迎えるだろうこの奇妙な共犯生活を、今では心地よいと思ってしまっている自分がいるだなんて。


 律が私の髪を愛おしげに撫でてくるのが、だんだん嫌じゃなくなりかけていた。私はただうっとりと、眠りの波に身をゆだねる。外はすでに雨模様だった。


 刹那的な快楽で構わない。だから、今だけはどうか、ほろ苦くて、それでいてめちゃくちゃに甘いふたりだけの時間を溶かすことを、許してほしい。




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― 新着の感想 ―
なんて猟奇的な愛……! 千夏ちゃんも徐々に律さんに染まってきて、共依存感マシマシなのがたまりませんね! 律さん、きっとすっごいサディスティックな表情で鮮やかに殺人するんだろうなあ…♡
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