ファッション編 2
前回はジャージで1日過ごしましたってところで終わりましたね。
ええ、そうです。
ジャージにはジャージの不良流な着こなしというのがございました。(笑)
わたくしの時代は、最近の中学生とはジャージの着こなしが違います。
そもそもジャージ自体がいまと昔じゃ、若干違う気もしますしね。
いまのやつのほうがスッキリした感じで、昔のは野暮ったい感じですよね。
わたくしの学校では、ジャージもワイシャツなどと同じで、サイズはちょっと大きいものがよく、手が隠れ指先だけが見えるくらいの長さが良しとされ、なおかつ丈はお尻が隠れるくらいが理想でした。チャックは最上部までしめ、襟はタートルネックのように首のところでクルンと撒くのが格好良いとされており、ズボンは裾をくるぶしから10センチくらい上になるようにまくるのが格好良かったのです。
ほら、最近の女子高生とかが、カーディガンとかセーターとかダボダボに着ているでしょ。あんな感じですね。
中学生のジャージというのは、学年ごとに色がわかれております。
わたくしの学年の色は人気がありませんでしたが、こればかりは学年ごとに分けられているので、勝手に色を変えることはできません。
体育などの授業のときは学年ジャージを着るわけですが、なかにはわたくしのように、休み時間や放課後にブレザーを着ずに学年のジャージを着ていたりする子もいるわけです。
基本的には校則違反なんですが、衣替えの時期とかだと寒いときにジャージを羽織ったりするし、掃除の時間なんかもジャージだったりするし、けっこうみんなジャージ羽織って授業受けていたりしました。
そんななか、べつの学年のジャージを着ている子がたまにいたんです。
これは、憧れの先輩男子からのもらい物なわけです。
憧れの先輩が、気に入った女子にジャージをくれるんですよ。
男が着ていたジャージですからサイズは当然大きく、ファッション的にも完璧で、なおかつ憧れのオスにマーキングされていることになるわけですから、女子としてはこの上ない幸福。(そんなこともないか? 爆)
誰にもらったジャージかで、その女子の立場は激変します。
不良でケンカの強い先輩からもらったジャージなら、その子に手を出す人はいなくなります。
どんなに嫉妬深くて執念深い大奥さながらな女子でも、遠くから歯ぎしりしているくらいしかできることはなくなってしまうわけです。(笑)
ですが、中途半端でたいして立場もない先輩からもらったジャージを着ていたり、スポーツや学業の成績が優秀な不良じゃない先輩のジャージを着ていたりした日には、あっという間におっかない女子に〝呼び出し〟されてしまいます。
不良には不良の派閥というものがあり、その派閥ごとに親分と子分がいて、それぞれに女子がくっついているわけです。(まぁ女子がくっつくのは格好良い不良にだけですがね。笑)
もうね、中学生にしてすでに、子供版『極道の妻たち』なわけですよ。(爆)
わたくしは、もう皆さんご存知の通り、とっても素行の悪い子でしたから、とっても目立つ存在でして、入学して夏休みになるころには、3年の男子にジャージをもらいマーキングされていました。(笑)
校内でも有名で、さらには市内でもけっこう有名な男子だったので、わたくしは1年にしてすでに確固たる地位を築いたと思っていたのですが、夏休み中にその男子が逮捕されちゃって少年院に行ってしまいましてね。
2学期と同時に立場は激変。派閥も大きく変動して、わたくしがマーキングされた派閥は弱小派閥となってしまいました。
1学期の終わりの僅かな期間だけの女王気取りで、2学期は最悪でございました。(笑)
3年女子からは連日のごとく〝呼び出し〟され、それに負けるもんかと意地はってどんどん目立つ格好をしていくわたくしでしたので、さらに〝呼び出し〟は続くわけです。(バカですね。笑)
そんなある日、昨日も話した写真部の卒業した先輩が、放課後に学校に現れましてね。
写真部の部室に入り浸っていたわたくしは、その人と仲良くなりまして、ここからさらに立場は一変。
返り咲きをするわたくしなわけです。(笑)
その先輩は、わたくしに自分がしていた腕時計をくれたんですよ。
当時流行っていた、なんて説明すればいいんだろう……腕にまく鎖部分の中にゴムバンドが入っていて、ビローンって広げて腕に装着する、雑貨屋さんとかで売っているような安物の腕時計です。
まぁ形状はともかく、これもまたオスのマーキング行動なわけです。(笑)
その噂は瞬く間に学校中に広まり、腕時計をしたわたくしはおっかない女子に呼び出されて、ゴムホースでビシバシされることも、放水されることも掃除のあとに汚いビショビショの雑巾を投げつけられることもなくなりました。(笑)
ですが、目立つ行動が多かったせいで、今度は学年主任の先生に呼び出されましてね。
その先生は、竹刀をいっつも持ち歩いているタフガイな先生でした。
素行の悪い生徒がいると、必ず呼び出され、連れて行かれる部屋があったんです。
印刷室。
学校の倉庫部屋がいくつもまとまっている一角がありましてね。
ドアを開けると、短い廊下が伸びていて、左右にいくつかドアがあり、左側の一番手前に宿直室があって、右側の手前から2番目だか3番目だかが印刷室でした。
それぞれの部屋は3畳くらいの小さい部屋で、印刷室も当然小さいわけです。
コピー機や印刷機が何台も置いてあって、4人も入れば満員御礼な場所です。
そこに竹刀を持ったタフな先生と2人っきりですよ。
お、襲われたらどうしようとかね。(思いませんね。爆)
さぁこれからどんなSMプレイがはじまるのかと思ったら、態度が悪いだの、服装がなってないだの、腕時計は禁止だの、自分の学年のジャージを着ろだのと、延々と怒られまくりまして。
最後にあれですよ。
「ケツを出せ」って。
「え?」
ケツ? お尻? 出せって? パンツ下ろせってこと!?
「ええ? お尻出すんですか??」
マジか!? 本当に襲われちゃうのか??? って驚きましたけどね。
まぁ実際にはただたんに『ケツバット』ってやつでした。(爆)
竹刀でお尻ペンペンですね。(笑)
まぁある意味では、SMプレイかもしれませんね。
あるでしょ、そういうプレイ。スパンキングだっけ?(爆)
当時は、暴力教師とか普通にいましたからねぇ。
体罰とかあたりまえだったですものね。
一応、ひっぱたかれるのは痛いから嫌なので、抵抗してみるわたくしなわけですよ。
「先生、あたしそれのせいでお尻にアザが出来たりしたらお嫁にいけないんだけど」って言ったら、その先生なんて言ったと思います?
「いまのおまえじゃ、一生行けんぞ」だって。(爆)
まぁある意味、当たっているわね。
いまだに独身ですからね。(笑)
「あたしのお尻、毎日お手入れしていてとってもスベスベツルツルなんだけど、それで叩かれてブツブツガザガザに汚くなっちゃったらどうすんですか」ってなことも嘘なんだけどさ、言ってみました。
「誰もおまえのケツなんか見ないから安心しろ」だって。
なんてひどい!(笑)
そんなわけで、抵抗むなしく『ケツバット』ならぬ『ケツ竹刀』の刑に処せられたわたくしでしたが、その後も懲りずに印刷室の常連になったのは言うまでもありません。(笑)
で、何度も印刷室に出入りしているうちに、隣の宿直室ってのが気になるようになりましてね。(ムププ。笑)