ファッション編 1
わたくしの中学校は市内でも有名な、不良学校でした。
入学したとき、廊下に窓ガラスはなく、代わりにダンボールやビニールなどが貼られておりました。
毎日、学校の外周を暴走族が爆音とともにパラリラパラリラと駆けまわっておりました。
授業中に先生を殴っちゃう生徒もいましたし、トイレは喫煙所と化しておりました。
気の強い先生たちは竹刀で武装し、気の弱い先生たちのなかには登校拒否になってしまう人もいました。
ですが、不良たちとはべつに、圏内でもトップクラスの高校に進学していく生徒も多く、まぁようするにいろんな人間が混在している中学校で、不思議なことにガリ勉くんと不良のリーダーみたいのが仲良しだったりとか、そんなことも当たり前にあるような、そんな学校でした。
ですので、ここ最近耳にするような悪質なイジメなどはなく、ただし生意気な子はやりこまれるし、ケンカが強い子が偉いみたいな、本当に大映ドラマのようなそんな学校でした。
最近は中学生の出で立ちもずいぶんと変わりましたよね。
わたくしの頃は、男子は詰め襟の学ランに肩掛けカバン。(ズタ袋みたいな白いアレです。笑)
女子は紺のブレザーかセーラー服で、黒か紺の手下げカバンでした。
手下げカバンと言っても、最近のやつみたいにナイロンでできているスポーティーな見た目のじゃなく、革製の重いヤツでした。
不良には不良らしいファッションというのがありまして、男子の場合はそれらしき漫画を見ていただければおわかりだと思いますが、当時はちょうど短ランが流行りだしたくらいの頃だったと思います。
短ランを着てきた男子が、学ランの丈が短いぞって言われ、翌日今度は応援団かよってな長ランを着てきて、やはり没収なんてのもなんどか目撃しました。(笑)
ズボンは太もものあたりがとっても太くて裾のほうはキュッと細くなっているものが流行りになっていて、丈は短く、靴下は赤か紫が格好良いとされていました。
ズボンに入っているタックの数が偉さの象徴と言わんばかりに『ワン・タック』だの『ツー・タック』だのと張りあっていたりして、なかにはヒダヒダスカートみたいにタックだらけのズボンの子とかもいましたが、そんなのはすぐに先生に没収されてしまっていました。(笑)
男子の場合、不良専門の学生服を売っているお店がたくさんあった時代だったので、学校指定の学生服には『標準マーク』というのが裏地に貼られていました。
イトーヨーカドーとか、街の洋品店などで買う学生服にはこの標準マークが貼られていて、先生たちはそれを基準に校則違反かどうかを判断していたのですが、不良専門の学生服の店では、標準マークだけを別売りしていたりするところもあって、学ランの裏地に龍や虎が描かれている、パンチ佐藤のジャケットの裏地みたいなのにその標準マークをペタっと両面テープで貼る人もいました。
特に、遠足などの課外授業のときには、先生たちのチェックも厳しくなるので、そんなときには、標準マークの売買が校内で行われていたりもしました。
先生に、いくらなんでもそれは標準じゃないだろうと言われ「標準だよ! ほら見てみろよ!」って貼り付けた標準マークを見せ、それを先生に剥がされて、学生服を没収されている子たちを何度目撃したことか。(爆)
肩掛けカバンは不良はみんなぺっちゃんこに潰して、肩紐を長くして、斜め掛けにしないで肩に掛けるのが格好良いとされていました。
1年生は逆に、斜め掛けにしていないと、おっかない先輩たちに〝呼び出し〟されちゃうので、格好悪くても肩紐は短く、斜め掛けをしていました。
なかには、不良のお兄ちゃんがいる子とかもいて、そんな子たちは1年生でも堂々と不良ファッションをしており、みんなに羨ましがられていたわけですが、あとから聞いた話では「学生服はみんな兄貴のお下がりだったから、まともなのがなくって、親もかねがかかるからと、おれ用に標準の学生服は買ってくれなかった」なんてことを言っている子もいました。(笑)
女子の場合も、まぁそれらしき漫画の通りなわけですが、わたくしの時代ですと、スカートは長ければ長いほど格好良いとされていました。ミニスカートにして履く子が出だしたのは、それよりまだ2、3年あとになってからだったと思います。
ルーズソックスが流行りだすのは、さらにちょうど10年あとです。(笑)
靴下は脛の中央くらいまでの長さの標準的な靴下を折り曲げて、くるぶしが見えるくらい短くして履くのが主流でした。
そこまで折り曲げてしまうので、ワンポイントとかは関係なく、せいぜい色や柄くらいしかこだわるところはなく、学校指定は白の無地でしたが、黒や紺などが流行っていました。
襟には赤か紺の紐状のリボンをするのが決まりだったのですが、赤は目立つので3年にならないとできませんでした。赤いリボンしているとおっかない先輩に〝呼び出し〟されて「あんた、なまいきだよ!」って脅されてしまうわけです。(笑)
ブラウスの上には、ベストを着て、それからブレザーを着るのが決まりだったのですが、不良はベストなんて着ませんでした。
さらに、開襟シャツが流行っていたので、不良はみんな開襟でした。
女子は襟の大きいブラウスが基本だったのですが、開襟シャツの場合襟のサイズは普通でした。
それとちょうどこの頃、ボタンダウンのワイシャツが流行していたので、中学でもボタンダウンを着てくる子が増えたこともあり、女子もブラウスではなくワイシャツを着る子が増えだしました。
特に不良の女子に人気だったのは、洗いざらし風にシワシワになっている男性用のワイシャツで、色も真っ白じゃなく、オフホワイトくらいのちょっとクリームががったものが人気でした。
彼の家に泊まって、部屋の中に干してあった彼のワイシャツを着てきちゃったわ的な感じで、サイズも大きいものが人気でした。(爆)
サイズが大きいと、袖が異常に長くなるので、袖は常にダラシなく手首が見えるくらいにまくっておくのが流行りでした。
男子の場合は学ランのタイプにもよりましたが、女子の場合は、シャツはスカートから出しておくのが格好良いとされておりました。
そんな不良ファッションに、例に漏れず傾倒していたわたくし。(爆)
不良にとって、松村雄基と伊藤かずえはアイドルでしたし、漫画ビーパップハイスクールはバイブルでございました。
ドラマ「ポニーテールは振り向かない」の影響で、お尻のポケットにドラムスティックを刺しておくのが格好良いと思っていた不良たちは、駅前の楽器屋さんでドラムスティックを万引きしては学校で売りさばいていて、大問題になったりもしました。(なんたることだ。笑)
学生カバンをぺっちゃんこに潰すのは女子の間でも流行っていました。
高校生になると、男子も同じ学生カバンになり、男子の場合、カバンのなかに鉄板を仕込んでカバンそのものが武器になっていたり、取っ手の部分に赤いビニールテープを巻いておくのが「喧嘩上等」の証だったりしましたが、中学生の女子ではそこまでのことにはなりません。
単純にカバンはぺっちゃんこに潰すだけ。
潰れたカバンには教科書など収まらないので、それらはすべて机の中に入れっぱなし。
勉強なんかするかバカヤロー! ってのが、カバンぺっちゃんこの証でございました。(笑)
革のカバンをぺっちゃんこにするのは至難の技でした。
クラリーノとかの合成革だと簡単に潰れるのですが、わたくしのはちゃんとした牛革。
まずは、カバンの内側にくっついている、形を崩さないための当て板を取り除きます。
そのつぎに、カバンを無理くり押しつぶしてから、両サイドと底の潰れて重なり合う部分にアロンアルファを大量に塗りたくって接着。
傷が付かないようにカバンの上に新聞紙とバスタオルをひいて、その上に重しになるものを載せて長時間放置すれば完成です。
わたくしの場合は、カバンの上に足が折りたためるテーブルを載せ、その上に家中のあらゆる重量物を載せて放置していました。
テレビを載せようとしたらママに怒られて、仕方なく最後は自分が乗っかって過ごしました。(爆)
こうして、カバンはぺっちゃんこになり、わたくしの不良ファッションは完成しました。
シワシワヨレヨレの男物のワイシャツを着て、ブラジャーが見えるくらいにボタンをはずして、袖はだらしなく捲り、裾はスカートにしまわない。
ベストは着ずにブレザーはボタンを止めない。
スカートはくるぶしが隠れる長さで靴下は学校指定の白の無地じゃなく黒を履いて、運動靴じゃなく革のコインローファーを履く。
髪はポニーテールで真っ赤なリボン。
お化粧こそまだしてませんでしたが、唇には色つきのリップクリームを塗って、もう完璧!(爆)
その格好で学校に行ったら、教室に辿り着くまえに3年の女子に〝呼び出し〟されて体育館の裏へレッツ・ゴー!
グラウンドに水を撒くためのホースでビシバシとひっぱたかれた挙句に、そのまま放水されてビッショビショ。
その日は朝の学活からジャージで過ごすことになったわたくしでございました。(笑)