真下の部屋で
最近、雨が多くなってきた。本格的に梅雨に入ったということなのだろう。この春、実家からこの小さなアパートに引っ越してきた。古くはあるが少し広くてとてもいい部屋だった。自分だけの空間というのは心地が良く、たまに寂しく感じた。
梅雨の蒸し暑い空気を感じながら垂れ流していたテレビに耳を傾ける。明日は午後からゲリラ豪雨の可能性があるらしい。天気予報士のお姉さんが午後の洗濯物に注意といったのを聞いて、憂鬱な気分になる。この古いボロアパートに乾燥機などついているわけもなく、引っ越してきたばかりの大学生に金があるはずもなく洗濯機もなかった。服を洗濯するにはここから少し歩いてコインランドリーに行かなくてはならなかった。
「はぁ」
そうため息をついてみたが心配そうに事情を聴いてくれる人間はこの家にはいなかった。
少しして、雨が弱まったのをみるとこの家の主、太田 俊は洗濯物をまとめだした。
「今日のうちに洗っとかなきゃ」
そういうと太田は洗濯物を詰めたバックを持って家を出た。雨はまだ降っていたが先ほどよりか弱く、先ほどより行こうという気がわく。アパートから少し歩いて着いたコインランドリーには誰もいなかった。
次の日大学から帰り、家で寝っ転がっていると天気予報どうりの強い雨が降ってきた。太田は安堵の表情で外を見た。帰りの時間に直撃していたらひとたまりもなかっただろう。強い雨が窓にあたりバチバチと音を立てていた。心地よくもうるさい音を聞きながら寝っ転がった太田は、そのまま雨音を子守歌に眠り始めた。二時間ほどして飛び起きるようにして起きた太田はスマホを開き時計を見た。
「うわ、二十分寝ようと思っただけなのに」
焦ってはいないような声でそう言った太田は晩御飯の前に先に風呂に入ってしまおうと風呂へ向かった。いつものように風呂を済ませ、リビングに当たる部屋に戻ってきた。テレビをつけニュースを見る。ちょうど降っているゲリラ豪雨のニュースだ。この雨はこの後も数時間降り、夜中のうちにやむらしい。それを聞いた太田はキッチンで簡易的な晩御飯を作るためにリビングから移動しようとした、その瞬間だった。
ポツン、ポツン
自分の目の前に落ちてきた水滴を見て太田は反射的に天井を見た。そこには濡れたことで少し色の変わった木の板があった。太田の部屋は最上階ではない。つまり、この上にも住人がいる。そう考えるとこの水は上の住人が何かをやらかして垂れたものだろう。そう考えている間にも目の前をポツンポツンと水が落ちてきていた。太田はキッチンから適当な受け皿を探してきて水が垂れている場所の真下に置いた。とりあえずはこれで大丈夫であろう。
「いったい何したら水なんか落ちてくるんだ?」
太田は少し苛立ちを覚えて上の住人に文句を言いに行った。パジャマのままアパートの階段を上り自分の部屋の真上に当たる部屋のインターホンを押した。少しして中から出てきたのは、自分よりも年齢が少し上の女性が部屋の中から出てきた。
「あなたの部屋から水が垂れてくるんですが」
「え、すみません。何のことだか」
「俺の部屋の天井から水が落ちてくるんです。あなたじゃないんですか?」
「えっと、私、今帰ってきたばっかりで特に何もしていないんですけど」
そういう女性の服は少しばかり濡れていた。それに、女性越しに部屋を少しのぞいてみても部屋に異変があるようには見えない。太田はとりあえず一回謝り自分の部屋に戻ることにした。
自分の部屋に戻り、もう一度確認したが確かに水は垂れてきているし、受け皿にも水が溜まっていた。だが、生活に困るわけでもないのでいったん放っておくことにした。晩御飯を済ませて、寝室に行きベッドに入る。一定の間隔で水が落ちるポツンポツンという音が聞こえたが太田は気にすることなく眠ることができた。
また次の日、昨日は一定間隔で落ちてきていた水は寝ている間に止まっているようだった。太田は受け皿を新しいのに交換して大学へ行った。いつも通りに過ごし、友人との帰り道だった。さっきまで談笑していたはずの友人が一言もしゃべらなくなった。次に発したのは
「ポツンポツンポツンポツンポツン・・・」
という言葉だった。何度話しかけても揺さぶっても友人の口からその言葉が止まることはなかった。怖くなって逃げだした太田は、自分の家へと向かった。そして、飛び込むように部屋に飛び入り鍵を閉めた。部屋に入った途端さっきの出来事を思い出しテレビをつけて恐怖を紛らわすようにスマホを開いた。一時間ほどスマホをいじっているとさすがに恐怖も紛れてきた。今思えば、友人の質の悪いいたずらだったのだろう。そう思いスマホから顔をあげると二つの音が聞こえた。一つはいつの間にか降ってきた雨の音。もう一つは水の落ちるポツンポツンという音だった。びくっと体が少しはねた。が、あまり気にすると気にすることなくいつもの生活に戻った。この日も寝るまで、水の落ちる音がずっと聞こえていた。
水が落ちてきた日から二日目。この日も何事もなく大学で過ごした。昨日の友人はそのことを覚えていないかのように話しかけてきた。太田はすこしイラっと来たがあまり気にすることなく接した。この日、事件が起こったのは大学が終わった後のコンビニでのアルバイトでのことだった。客が持ってくる商品のバーコードをピッとしてレジの仕事をこなす。そんな仕事だったのだが何人目の客だったがある一人が突然しゃべりだした。
「ポツンポツンポツンポツンポツン・・・」
昨日友人から聞いた、気味の悪い言葉だった。だが、昨日友人が言っていたのとは速さが違う。この女性のほうが言葉と言葉の間が短い。商品をレジに通すと女性は、正気に戻ったようにありがとうございますといって店から出て行った。何とかその日の仕事を終えて家に帰った。外では雨が降っていて少し濡れてしまったがしょうがないだろう。部屋のドアを開けると、昨日とは違う音が響いていた。
ポツンポツンポツンポツンポツンポツン
正確に言えば昨日とは水の落ちる速度が変わっていた。先ほどの女性が言っていたような速度と同じように一定を保ったまま止まることなく水が落ちる。昨日の出来事や今日のことを思い出し、恐怖でテレビをつける。それからは楽しそうな笑い声が聞こえる。それを聞いて安堵した太田は床に座った。やっとゆっくりできる。そう気を緩めた瞬間、テレビから
ポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツン
これは、水の落ちる音ではない、完全にテレビから聞こえる人間の声だ。怖くなった太田はテレビを消しスマホを開いた。スマホなら、そう考え開いたSNSでもその声がやむことはなくたまらずスマホを投げた。太田はそこに縮こまったまま夜を過ごした。いつのまにか寝てしまっていたのだろう、夜が明け水が落ちる音も消えていた。太田はチャンスだと思い部屋を解約し実家に戻る準備にかかった。
これは、後から聞いた話だが太田が住んでいた真上の部屋は女性が風呂場の事故で亡くなっていた事故物件だったそうだ。事故物件の下の部屋という理由で多少安くなっていた部屋に太田が入居したとのことだった。ちなみに太田の真上の部屋の女性に被害は今のところないという。
ほら、あなたの後ろでも
ポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツンポツン