幕間:休憩時間
(重い議論が繰り広げられたスタジオの扉が開き、あすかに促された4人は、隣接する休憩室へと足を踏み入れる。そこは、先ほどの緊張感とは打って変わって、不思議なほど落ち着いた空気が流れていた。部屋は四つのエリアに緩やかに区切られ、それぞれの人物の時代や個性を反映した内装が施されている。中央にはニュートラルなソファセットも置かれている。)
あすか:「ささ、皆さま、こちらへどうぞ!時空修復師たちが腕によりをかけて、皆さまが少しでもおくつろぎいただけるようにと用意した特別室ですわ。お好きな場所で、ごゆっくり。飲み物もご自由にどうぞ」(そう言って、あすかは軽く会釈し、一旦部屋を出ていく。)
(残された4人は、しばし無言で部屋を見渡す。パストゥールは壁にかけられた顕微鏡のスケッチに目を細め、吉宗は畳スペースの落ち着いた雰囲気に安堵の表情を見せる。ゼンメルワイスは本棚の医学書に引き寄せられ、メアリーは温かみのあるティーセットにほっとしたような顔をする。)
(最初に口を開いたのは、意外にも吉宗だった。彼は自分のエリアの文机に腰を下ろしながら、パストゥールの方を見て言った。)
吉宗:「パスツール殿。先ほどは、ちと熱くなり申した。じゃが、そなたが自らの信じる『科学』とやらで、国を、民を良くしようとしておる熱意は、しかと伝わってきたぞ」
パストゥール:(少し驚いた表情を見せたが、すぐに威厳を取り戻し、自分のエリアの革張りの椅子に腰掛けながら)「…将軍。いや、吉宗公。あなたこそ、為政者としての重責をその身に負い、民の暮らしを第一に考える姿勢、見事であった。…私も、科学者である前に、一人のフランス人だ。祖国を愛し、その繁栄を願う気持ちは、あなたと何ら変わらんよ」
(ゼンメルワイスは、自分のエリアのデスクに向かい、重い医学書を手に取りかけていたが、二人のやり取りを聞いて、ゆっくりと振り返った。)
ゼンメルワイス:「…お二人とも、それぞれの立場で、国や民を想う強い信念をお持ちなのですね。私は…私はただ、目の前の命を救いたい、その一心で…時に、周りが見えなくなってしまうのかもしれません」
(その言葉に、ソファに座ってハーブティーを手にしていたメアリーが、顔を上げた。)
メアリー:「周りが見えなくなる…ですか。…先生、先ほどは私、あなたに酷いことを言ってしまって…ごめんなさい。あなただって、きっと…辛かったのよね。正しいと信じていることを、誰にも分かってもらえないなんて…」
ゼンメルワイス:(メアリーの方へ歩み寄り、ソファの向かいに腰を下ろす)「いや…謝らないでください、メアリーさん。あなたの言葉は、私の胸に突き刺さりました。…確かに、私は医学界から孤立し、迫害された。しかし、それはまだ『知識人』の中での話だ。あなたは、社会全体から『危険な存在』として追われ、自由を奪われた…その恐怖と孤独は、私の経験とは比べ物にならないかもしれない…」
パストゥール:(ワイングラスを片手に、二人の会話に加わる)「ゼンメルワイス君、君の発見は、時代が早すぎたのだ。そして、伝え方にも…もう少し工夫があれば、あるいは…いや、当時の医学界の保守性を考えれば、同じ結果だったかもしれんな。私も、低温殺菌法を普及させる際には、ワイン醸造家たちの頑固な抵抗に散々悩まされたものだ。『先祖代々のやり方を変えろというのか!』とな」
吉宗:(畳スペースから、穏やかな声で)「ほう、パスツール殿も苦労なされたか。新しいことを始めるというのは、いつの世も難儀なものじゃな。わしが甘藷の栽培を奨励した時も、『そんな得体の知れん芋、誰が食うか』と、民はなかなか言うことを聞かなんだ。じゃが、一度その価値が分かれば、今度はこぞって作り始める。民とは、そういうものかもしれぬ」
パストゥール:「全くですな、将軍。一度価値が認められれば…私の開発した狂犬病ワクチンなどは、完成した時には国民的な歓迎を受けたものだが、そこに至るまでの道のりは…実験に対する非難も多かった」
あすか:(ひょっこりドアから顔を覗かせる)「あらあら~?皆さん、すっかり打ち解けて、なんだか同窓会みたいな雰囲気じゃないですか?さっきまでの激論が嘘みたい!」
メアリー:(少し照れたように)「あすかさん…いえ、その…皆さんのお話を聞いていたら、大変なのは、私だけじゃなかったんだなって…」
ゼンメルワイス:「そうだ、メアリーさん。我々は皆、それぞれの時代で、それぞれの困難と戦ってきた。形は違えど、その苦しみには、どこか通じるものがあるのかもしれない」
吉宗:「うむ。パスツール殿は『科学』で、ゼンメルワイス殿は『医療』で、わしは『政治』で…そして、メアリー殿は、その身をもって…皆、見えぬ敵や、人の心の壁と闘ってきたのじゃな」
パストゥール:(珍しく、穏やかな笑みを浮かべて)「まさに、そうかもしれんな。…ところで将軍、あなたの言う『目安箱』というのは、実に興味深い仕組みだ。民の声を直接聞くというのは、科学の実験における『観察』にも通じるものがある。どのように運用されていたのか、詳しく聞かせてもらえんかね?」
吉宗:「おお、興味があるか。あれはな…」(吉宗が目安箱について語り始めると、パストゥールは熱心に耳を傾ける)
メアリー:(ゼンメルワイスに小声で)「先生…あの、さっきの話ですけど…『死体粒子』って、やっぱり、今の言葉でいう『菌』のことだったんですよね?先生は、どうしてそれに気づけたんですか?」
ゼンメルワイス:(少し驚いたが、丁寧に答え始める)「それは…第一科と第二科の、あまりにも明白な死亡率の違いでした。そして、私の友人が、解剖中にメスで指を切り、その後、産褥熱と全く同じ症状で亡くなったことが…決定的なヒントになったのです。彼もまた、『死体粒子』に感染したのだと…」
メアリー:「まあ…そんなことが…」(ゼンメルワイスの語る、当時の医学現場の様子に、メアリーは真剣に聞き入る)
(しばし、部屋のあちこちで、穏やかな会話が交わされる。パストゥールは吉宗の政治手法に感心し、吉宗はゼンメルワイスの探求心に心を動かされる。ゼンメルワイスはメアリーの境遇に改めて同情し、メアリーはパストゥールの語る「見えない世界」に少しずつ理解を示し始める。それぞれのエリアの飲み物やお菓子にも手が伸び、張り詰めていた空気が、ゆっくりと解けていく。)
あすか:(再び現れて、にこやかに)「いやー、いい雰囲気ですね!このまま朝まで語り明かしたいところですが…残念ながら、休憩時間はそろそろおしまいです。後半戦では、この和やかな雰囲気…とはいかないかもしれませんが、皆さんの経験と知恵を結集して、現代への、そして未来へのメッセージを紡いでいただきたいと思います」
あすか:「さあ、皆さん、もうひと頑張り、お願いできますか?」
(あすかの言葉に、4人は顔を見合わせる。表情には、休憩前の険しさは消え、互いへの敬意と、わずかな連帯感のようなものが生まれているように見えた。しかし、同時に、これから再び始まる真剣な議論に向けて、静かに覚悟を決めるような引き締まった空気も漂い始めていた。)
パストゥール:「よろしい。行こう」
吉宗:「うむ」
ゼンメルワイス:「…ええ」
メアリー:「…はい」
(4人はそれぞれの席を立ち、再びスタジオへと向かう。彼らの足取りは、来た時よりも少しだけ、確かになっているように見えた。)