ラウンド1:我が生きた時代の「食」と「衛生」
あすか:「さあ、ここからはRound1!まずは皆さまが実際に生きた時代、その『食卓』と『衛生』のリアルについて、詳しくお聞かせいただきたいと思います。過去を知らずして、現在も未来も語れませんからね!では、ここはやはり、近代科学の扉を開いたパストゥールさんからお願いできますでしょうか?19世紀のフランス、どんな状況だったんですか?」
パストゥール:(少し咳払いをして、背筋を伸ばす)「よろしい。私が生きた19世紀のフランスは、まさに激動の時代だった。産業革命が進み、人々が都市に集中し始めたが、それに伴う衛生問題は深刻の一途を辿っていたのだよ」
あすか:「都市化と衛生問題…現代にも通じるところがありそうですね」
パストゥール:「その通りだ。特に、食品の腐敗は日常茶飯事だった。諸君、信じられるかね?当時の多くの学識者でさえ、微生物のような生命は、無生物から『自然発生』すると考えていたのだ!ワインが酸っぱくなるのも、ビールが濁るのも、牛乳が腐るのも、それが『自然の摂理』だと。全く、馬鹿げているにも程がある!」(少し語気が強くなる)
吉宗:(興味深そうに)「ほう、『自然発生』とな?では、腐るのを防ぐ手立てはなかったのかの?」
パストゥール:「経験則による塩漬けや乾燥、燻製などはあった。しかし、なぜそれが有効なのか、科学的な理解は皆無だった。だから、失敗も多かったし、知らずに腐敗したものを口にして病気になる者も後を絶たなかったのだ。特に牛乳だ。栄養価は高いが、実に腐りやすい。多くの乳幼児が、汚染された牛乳によって命を落としていた…それを思うと、今でも胸が痛む」
ゼンメルワイス:(頷きながら)「牛乳…私の病院でも、栄養補給にと与えられた牛乳が、かえって子供たちの病の原因となることがありました。当時は、その本当の理由が分からなかった…」
パストゥール:「そうだろう、そうだろう!全ては目に見えぬ微生物の仕業なのだ!私が低温殺菌法…パスチャライゼーションを開発したことで、ようやく安全な牛乳を供給できる道が開かれた。これは、食品衛生における革命だったと自負している。だが、それを受け入れさせるのにも、骨が折れたものだ…古い考えに固執する者たちの、なんと多いことか!」(嘆息する)
あすか:「ありがとうございます、パストゥールさん。科学の光が差す前の食卓には、そんな危険が潜んでいたんですね…。では、続いては、ぐっと時代と場所を移しまして、江戸時代の日本、吉宗公にお伺いしましょう。18世紀の日本、人々は何を、どのように食べていたのでしょうか?」
吉宗:「うむ。我が治世の頃、世は比較的安定していたとはいえ、民の暮らしは決して楽ではなかった。特に食に関しては、天候不順による飢饉が、常に我らを脅かしておった」
メアリー:「飢饉…ですか?食べるものがなくなるなんて…」(自身の経験と重ねるように、不安げな表情を見せる)
吉宗:「左様。享保年間には、西国を中心に大きな飢饉も起こった。米が穫れねば、民は飢える。木の根、草の皮まで食らい、それでも足りねば…悲しいことだが、多くの者が命を落とす。衛生どころの話ではないわ」
あすか:「そんな厳しい状況で、為政者としてどのような手を…?」
吉宗:「まずは、年貢の軽減や、幕府の米蔵を開いての救済。そして、将来への備えじゃ。わしは、飢饉に強い作物として、甘藷…さつまいもだな、これの栽培を奨励した。最初はなかなか民も受け入れなんだが、これが後に多くの命を救うことになったと聞いておる」
あすか:「サツマイモ!吉宗公のおかげだったんですね!今では焼き芋やスイーツで大人気ですよ!」
吉宗:(少し嬉しそうに)「ほう、そうか。それは良かった。食の基本は、まず腹を満たすことじゃからな。衛生について言えば、我が国の民は、元来、身ぎれいを好む気質ではあった。江戸の町も、人口は多かったが、井戸水は比較的清潔で、塵芥の処理にも気を配ってはいた。風呂に入る習慣も広くあったしの」
パストゥール:「ふむ、水浴の習慣か。それは結構なことだ。だが、その清潔さが、病を防ぐという科学的認識はあったのかね?」
吉宗:「いや…そこまでは。『穢れ』を嫌うという感覚に近いものじゃろうな。疫病…はやり病も、度々民を苦しめた。麻疹や疱瘡(天然痘)などじゃ。わしは、貧しい者のために小石川養生所を設けて、施薬や治療も行ったが、一度流行りだすと、なすすべがないことも多かった。目に見えぬものが原因とは、考えも及ばなんだ」
ゼンメルワイス:「(静かに)…為政者として、民の命を救おうと尽力されたのですね。しかし、原因が分からぬままでは、対策も限界があったでしょう…お察しいたします」
吉宗:「うむ…異国の医師殿。そなたの時代の苦しみも、いかばかりであったか」
あすか:「そうですね…では、そのゼンメルワイス先生にお話を伺いましょう。19世紀半ば、オーストリアのウィーン総合病院。最先端の医療現場…のはずが、そこには恐ろしい現実があったとか」
ゼンメルワイス:(目を伏せ、重々しく口を開く)「…最先端、ですか。そう呼ばれていたかもしれません。しかし、私が目の当たりにしたのは、地獄でした。特に、産科病棟…母親になる喜びのはずが、死への入り口となっていたのです」
メアリー:「まあ…お産で亡くなる方が、そんなに?」
ゼンメルワイス:「ええ。私がいた第一科…医師や医学生が分娩を担当する病棟では、産褥熱で亡くなる母親が、時に10人に1人、いや、それ以上になることもあったのです!隣の第二科…助産師さんだけが取り上げる病棟では、死亡率ははるかに低かった。同じ病院なのに、なぜ…?」
パストゥール:「その原因こそが…!」
ゼンメルワイス:「そうです、パスツール先生。原因は、我々医師自身の手指にあったのです。第一科の医師や学生は、しばしば病理解剖を行った後、その手で、あるいは十分な消毒をしないまま、妊婦の内診や分娩に立ち会っていた。一方、助産師さんたちは解剖には関わらない。つまり、死体から得体のしれない『何か』…私はそれを『死体粒子』と呼びましたが、それが医師の手を介して、母親たちの体内に持ち込まれ、恐ろしい熱病を引き起こしていたのです!」
あすか:「医師の手が、死をもたらしていたなんて…信じられません…」
ゼンメルワイス:「私は、塩素系の漂白剤で手を徹底的に洗うことを義務付けました。すると、どうでしょう!あれほど高かった第一科の死亡率は、第二科と同じレベルまで、劇的に低下したのです!原因は明らかでした。対策も、実に単純なことだったのです。しかし…」(苦渋の表情で言葉を切る)
吉宗:「しかし…受け入れられなかった、と?」
ゼンメルワイス:「…ええ。当時の医学界の権威たちは、私の発見を認めようとしませんでした。医師の手が汚いなどとは、彼らのプライドが許さなかったのでしょう。従来の病気の考え方とも異なりましたし、統計的なデータを示しても、『偶然だ』『説明がつかない』と…私は、狂人扱いされ、ウィーンを追われることになったのです…」(声を詰まらせる)
あすか:(ハンカチを目に当てながら)「先生…あまりにも…あまりにも酷い話です…正しいことが、どうして…」
メアリー:(ゼンメルワイスに同情的な視線を送りながら、小さく呟く)「…正しいことが、いつも受け入れられるわけじゃないのね…私も、少しだけ…分かる気がするわ」
あすか:「メアリーさん…そうですね。では、最後にメアリーさんにお話を伺いましょう。19世紀末から20世紀初頭のアメリカ、ニューヨーク。夢を求めて多くの人々が集まった大都市ですが、その陰には厳しい現実があったとか」
メアリー:「ええ…私はアイルランドから、より良い暮らしを求めてアメリカに渡りました。多くの同胞たちと同じようにね。でも、待っていたのは、決して楽な生活ではありませんでした。特に私のような移民の女性が就ける仕事は限られていて…私は、料理人として、裕福な家庭に住み込みで働くことが多かったわ」
あすか:「料理人!素晴らしいお仕事じゃないですか」
メアリー:「ええ、料理は好きだった。でも、当時のニューヨークは、人が増えすぎて、住む環境は良くなかった。特に私たちが住んでいたようなテネメントと呼ばれる安アパートは、何世帯もが狭い部屋に押し込められて、水回りも共同で、とても清潔とは言えなかったわね」
パストゥール:「ふむ、やはり都市の過密化は、衛生状態を悪化させる。病原菌にとっては、格好の繁殖場所となるだろう」
メアリー:「それに、外で働く人も多かったから、安くて手早く食べられる屋台の食事や、安食堂もたくさんあった。私も、休みの日にそういうところで食べることもあったけど…今思えば、あの食べ物がちゃんと清潔だったのかどうか…」
吉宗:「して、その頃のはやり病は?」
メアリー:「チフスが…流行っていました。腸チフスです。高熱が出て、下痢が続いて、亡くなる人も少なくなかった。私も、働いていた家で、チフスの患者さんが出たことが…何度かありました。でも、まさか、その原因が…私にあるなんて、夢にも思わなかったのよ…」(俯いてしまう)
ゼンメルワイス:「(メアリーに)…あなたは、ご自身に症状がなかったのでしょう?それで原因だと疑われたのでは、納得がいかなかったのも無理はありません。当時の衛生当局のやり方も、きっと強引だったのでしょう…」
メアリー:「(顔を上げて)ええ、そうなの!突然役人がやってきて、あなたがあちこちで病気を広めている犯人だ、なんて!検査を受けろ、仕事を辞めろ、島に隔離するって…私は病気じゃないのに!ただ、一生懸命働いていただけなのに!」(感情が高ぶり、声が震える)
あすか:「メアリーさん、落ち着いて…。そのお話は、また後ほど詳しく伺いましょうね。…それにしても、皆さまのお話から、それぞれの時代で『食』がいかに命と直結し、そして『衛生』という概念が、いかに未熟で、困難な課題であったかが、ひしひしと伝わってきました」
あすか:「科学が未発達で、原因不明の腐敗や疫病に怯えた時代。飢饉という、より根源的な問題に直面した時代。原因が見え始めても、旧弊な権威に阻まれた時代。そして、都市化と貧困の中で、知らず知らずのうちに病を広げてしまう現実…。どれも、現代の私たちから見れば、想像を絶する状況です。しかし、これらの経験なくして、現代の『当たり前』の衛生はなかったのかもしれません」
あすか:「さて、それぞれの時代の状況が見えてきたところで、次のラウンドでは、さらに核心に迫っていきたいと思います。食中毒や疫病を引き起こす『見えない敵』、その正体について、皆さまはどう考え、どう戦ってきたのか?Round2、『見えない敵』との闘い…原因は何か?に、ご期待ください!」
(Round1終了のジングルが流れる)