005.引っ張り上げてくれる手
昼休み。
喜美子からチャットが飛んできた。
『明日の夜集まるから、来て』
有言実行という奴で、喜美子は私がうかうかしている間に、本当に連絡を取ったようだ。昔から有言実行で、しかも行動に移すのが早かった。
明日集まって、その場で言えば一度で済むし、なんだったら酒の勢いでぶちまけてしまおうか。付き合った年数はそこそこだけど、気心の知れたメンバー。光太郎と阿津子は来ないだろうし、むしろそのほうが良い気もしてきた。
了解、と返してほっと息を吐く。
しっかりしないと。今回は喜美子に助けられたけど、本来なら自分でやらないといけないことなんだから。喜美子にしなくていいことをさせてしまったな……。お礼もしないと。
会社にも報告しないと。大きく息を吐き、新規メールを開く。
上司にメールをする。結婚がなくなったことだけを書いて送る。余計な情報なんて必要ないだろう。
結婚式に会社の人を誘ってなくてよかった。一人誘うとどこまで誘えばいいのかが難しいし、トラブルにつながることもあるからと先輩に教えられて、招待していなかったんだけど。トラブル巻き込まれ体質の先輩の、助言の的確さを痛感する。
実際、自分は結婚式に呼ぶほどではないと思っていても、相手は親しいつもりだったとか、行きたいわけではないけど、あの人は招待されてる──そういったことで人間関係がややこしくなることが、意外とあるらしい。面倒なことだ。
腫れ物に触れるように接されてしまうのは嫌だけど、仕方がない。私もまだ、自分を持て余してる。きっとどんな態度をされても傷付くぐらい、面倒な精神状態なんだと思うし、それでいいのだと思えてきた。
生涯を共にすると約束した人に裏切られたのだから。阿津子のことは、憎いとかよりも、やっぱりねという気持ちのほうが強い。
三つ子の魂というけれど、人の性質は変わらない。今まではサークルメンバーには手を出さないでいたけど、考えを変えた。きっと本人からしたらその程度のものなんだろう。
すぐに上司から返事が来た。忙しくなかったのかな。
十四時になったら会議室に来てくださいと書いてある。結婚で辞めるつもりはなかったけど、実は異動とか業務内容の見直しとかされる予定だったとか……。
ざわつく気持ちを抑えこんで、目の前の作業に目を向ける。仕事は、私の気持ちが落ち着くのを待ってくれない。
時間になり、会議室に入って上司が来るのを待つ。女性上司で、シングルマザー。何かあったからシングルマザーになってるんだろうけど、あまり意識したこともなかった。最近は離婚も再婚も珍しくなくなっていたから。でも、どこか他人事だったんだと思う。自分は平気だという根拠のない自信があったわけじゃない。誰だって自分が不幸になる前提で生きていないと思う。ただ、人のことにそこまで深入りしたことがなかった。
「待たせてごめんなさい」
時間より五分程遅れて会議室にやって来た上司は、開口一番に謝罪した。
「いえ、お忙しいところをお時間いただいて申し訳ありません」
私の斜め前に腰掛けると、上司は私の様子を伺うような視線を向けてきた。
「結婚がなくなったということだったけど」
「はい、相手の都合でなくなりました」
どこまで話せばいいんだろう。全部言ったほうがいいの?
「お相手の都合ね……円満に解決しているのかしら?」
「双方同意はしています」
慰謝料をもらわないといけないから、これから拗れそうだけど。
「私がシングルマザーなのは知っているかしら?」
「あ、はい」
私の前に名刺が差し出される。
弁護士事務所のものだ。
「私が離婚する時にお世話になったところよ。今は何もなくても、何かある可能性もあるから」
「あ……ありがとうございます」
弁護士のツテなんていないから、正直困っていた。
探すにしてもどう探せばいいのかも分からなかったし。
「異動は希望する?」
「え? いえ、できましたらこのまま働かせていただきたいです」
上司はそこで安心したように息を吐いた。
「良かった。緑川さんに抜けられると戦力が減るから困るもの」
人によっては、その言葉に怒るのかもしれない。でも私は嬉しかった。別のところでおまえは要らないと言われた後だったから、お世辞でも必要だと言ってもらえたことが、本当に嬉しかった。
「実はね、最近貴女を迎えに来ている人がいると人伝に聞いて、何かあったんじゃないかと思っていたの」
……そんなことまで耳に入ってたの……。
「なんだったら在宅も使ってちょうだい」
「ありがとうございます」
上司の業務用スマホが鳴る。電話ではなく、メールのようだ。
「他にも何かあったら相談して。上司としてじゃなく、人生の先輩として助けられることもあるかもしれないから」
「あの、どうして……」
元から面倒見の良い人だけど、何も話していないのにこんな風に手を差し伸べられたことに戸惑いを覚える。
「……ここ数日、貴女の様子がおかしいことに気が付いていたんだけれど、あまりプライベートなことに首を突っ込むものではないと思っていたの。マリッジブルーかもしれないし」
そう思っていたら、結婚がなくなりましたと報告するメールが私から届いたということか……。
「不幸はね、幸せな人を探すのがとてもとても上手なの。それでね、めちゃくちゃにするのが何よりも大好きなのよ」
息を吐くと、悲しそうな顔をする。
その表情に考えてしまう。上司もそうだったのだろうかと。
女性の活躍を推進するとして、実績を積み上げていた上司は今のポストに抜擢された。その矢先の離婚。分からないけど、聞けないけれど、色々あったんだろう。
「会議室は十五時まで取ってあるから、必要に応じて使ってちょうだい」
お先に失礼するわね。そう言ってスマホを手にし、上司は会議室を出て行った。
自分が思うよりも周囲が気にかけてくれていることに、戸惑ってしまう。私、こんなによくしてもらえるほど良いことしてきただろうか……。
……今は、その優しさに少し甘えよう。それで回復したら恩返しをしよう。助けてくれた人達になにかあったら、私も助けられるように。
目の前の弁護士の名刺を見る。今なら、この勢いで連絡ができそうな気がした。
スマホを取り出し、名刺に書かれた番号に電話をかける。電話は二コールでつながり、弁護士事務所の名前を名乗られた。
「……あの、相談させていただきたいことがあるのですが……」