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004.好きだったのに

 実家とはこんなにも楽園だったか……。紗里が迎えに来てくれて、家に帰れば両親がいて、笑顔で迎えてくれる。美味しいごはんがあって、食後の団欒もある。

 ……まぁ、今だけなのだというのは分かっているんだけど、不安材料が多い現状では、家族の温かさがしみる。

 

 お風呂にも入って、あとは自由時間。

 友人達に連絡しないといけない。なにしろもう結婚式の招待状も送ってしまっているんだから。式まで三ヶ月しかない。光太郎達から伝えられてしまったらどう伝わるかもしれないし。……分かっているのに、スマホをタップする手が止まってしまう。光太郎達に会ってから三日も経ってしまった。今のところ会社に来られるということは起きてないけれど、そっちもどうにかしないといけない。LINEには変わらず二人から連絡が来ている。見ていないけど。既読になれば攻勢を強めるだろうし。

 サークルのグループLINEで一度に伝えられたら、まぁ楽ではある。でもそこには光太郎と阿津子もいる。

 個別に送るのはなかなかに精神が抉られる作業だと思う。光太郎が阿津子と浮気しました。おなかに子供がいるようです。なので私との婚約はなくなりました──何回それを伝えなければならないのだろうか。考えただけで手がとまる。たとえそれがコピペだとしても、何かしらの反応があるはず。関心が高くても、低くても、どちらにしろダメージを受けることが分かってる。

 

「あっちが悪いのに、何でこっちがこんなに気を遣わなくちゃいけないのよ……」


 スマホ片手にため息をついていると、誰かからチャットが来た。

  

『どうよ?』

 

 友人の喜美子だった。何がどうよ? なんだ。

 

『最悪なことになったよ』

『最悪とは何か。即答えるべし』

 

 何故かメールやチャットだと喜美子の文調はおかしくなる。好きだけど。

 

『光太郎が阿津子と浮気した』

 

 次の瞬間スマホが鳴った。電話のほうだった。画面には喜美子の名前。

 

「もしもし」

『もしもしじゃないわよ、何今の?』

 

 電話に出たらもしもしだろう。私に怒られても困る。

 でも私が逆の立場だったら同じように電話するだろうし、もしもしじゃないわよ、と言っている気がする。


「私が言いたいよ」

『……最悪だわ。凛子それ、私から皆に伝えていい?』

「え? それは悪いから自分から伝えるよ」

『そんなこと言って、本当は伝えるの辛いでしょ』

「それは、まぁ……」

 

 そのとおりだから躊躇って送れないんだけど。断りはするものの、その提案に全力でのっかりたい自分がいる。

 

『阿津子と光太郎が浮気して、凛子との婚約がなくなったってこと?』

「子供もいるらしいよ」

 

 言ってからしまったとも思ったけど、出産の知らせもすることになるんだから、遅かれ早かれかもしれない。とは言え、勝手に言ったのは良くなかったかも。

 

『ほぉ?』

 

 声色だけで喜美子の怒りが伝わってくる。


『また明日連絡するから。じゃあね』

 

 言いたいことを言って一方的に電話が切れる。正直に言うと、もし本当に喜美子から伝えてもらえるのなら、気の重い作業をしなくて済むし、助かるのは確か。喜美子なら私に不利になるようなことは言わないと思うし。

 母といい紗里といい喜美子といい、私の周りの人達は私に優しすぎるきらいがある。

 しっかりせねばと思うのに、いつもなら力を入れて我慢できていたことができない。情けないと思うのに、できない。やらねばと気持ちは焦るのに、頭の中が何かでギチギチに詰まっている感じで、考えがまとまらない。

 

 命かけてもいいとまでは言わないけど、好きだったのだ、光太郎のことが。不安もあったけど、結婚後のことを考えれば胸が躍った。楽しみだった。……今はもう分からない。光太郎のことを思い出すと胸がじくじくする。内側から腐りそうだとすら思う。

 このもやもやというか、ドロドロというような、不快さを外に吐き出したほうがいいのは分かってる。でも、真向斬りされた気持ちだ。動けない。

 こんなに自分が打たれ弱いなんて思ってなかった。

 正しく生きてきたつもりだったのに、こんな仕打ちを受けるなんて。なんで? どうして? 阿津子の犠牲に遭った人達の味方になって阿津子との関係を終わらせなかったから? 光太郎の気持ちを自分に向けさせ続ける努力が足りなかった? 女としての魅力?

 ……涙も出ないんだから、私の光太郎への気持ちなんて、その程度だったのかな……。

 

 教えてほしい。

 何処を間違えた? それとも私は間違えなかった?

 運が悪かった?

 何か一つでいいから、答えを教えてほしい。ここを間違えていたのだと言ってほしい。そうすれば、次はそこを気をつけるから。そう、次……。

 

 涙がこぼれてきた。

 次なんてあるのかな。一生に一度の恋なんてものではなかったけど、私の心に傷跡を残したのは間違いない。

 だって、やるべきことがあるのに、頭が働かない。動けない。こんな弱い人間じゃなかったはず。嫌でも足を前に出せば、とりあえず一歩は進む。そう、歩き出せば、引きずりながらでも進めるはず。

 

 明日、連絡をしよう。

 さっきは喜美子に甘えたみたいになってしまったけれど、自分でやらなきゃ。私のことなんだから。

 

 浮気されたのは私が人類初じゃない。

 結婚前に分かったんだから、傷付いたとしても傷は浅いはず。

 

 スマホを見る。

 終わったら番号とか変えよう。部屋だって借り直さないと。結婚しても仕事は続けるつもりだったのは不幸中の幸いだった。浮気されて結婚がなくなって、職もない……なんて泣くに泣けない。ただ、結婚することは報告してたから、なくなったことだけは伝えないと。

 

 痛いと思われたって構うものか、だって、痛いんだから。

 早く、そう、早くリカバリーしなくちゃ。

 道を間違えても、時間がかかっても、前に…………だって、人生はまだ続くんだから。

 立ち止まったら、私みたいな弱い人間は前に進めなくなる。

 

 父の悲しそうな顔がよぎる。親にも心配かけたくない。

 私より紗里のほうがしっかりしてる気もするけど、でも姉として……。

 光太郎みたいな男と結婚しないで済んだんだから本当に良かった。結婚後に浮気されて離婚のほうがよっぽど大変なんだから。結婚式なんかやっちゃったら、ご祝儀をくれるだろう親戚にだって申し訳ないし。自分に子供がいたりしたら、父親と離れ離れになっちゃうわけで、子供にだって辛い思いをさせてしまう。

 そういったことにならなかったんだから、良かったんだと思う。

 

「よかっ……」

 

 こぼれてきた涙をティッシュで拭く。


 胸の奧が痛い。

 

 ……好きだったんだよ、それでも。

 

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