003.普通の人は意外といない
夜。何故か妹も家に来た。どうやら母親に緊急招集をかけられたらしい。
「それで? 私のデートをキャンセルさせるだけの理由があるんだよね?」
じろりと睨んでくるものの、犬でいうならチワワのような妹が睨んでも怖くない。私とは似ても似つかない、可愛らしい外見の持ち主だ。
「紗里を呼ぶ必要はなかったんじゃないの?」
母親に異議申し立てをするも、鼻で笑われた。
「何言ってるのよ。必要だから呼んだの」
ほら、説明なさいと言われてしまう。
結納までしていたから、どちらにしろ婚約が破談になったことは伝えなければならないとしても、家族全員揃って、しかもうな重を食べながらというのは、どうなんだろう……。
話の途中、紗里からツッコミが入るかと思ったのに、興味がないのか、ふーん、だとか、それで? といった合いの手しか入らなかった。一番表情が変わっていたのは父親だった。
「なるほどね。それで実家に帰って来たんだ」
「うん」
お茶を飲んでほっと息を吐くと、「それでいいと思うよ」と言う。
思っていたのと違う反応に、戸惑ってしまう。
「お姉の相手には手を出さないのかと思ってたんだけど、余裕がないのかな」
「どういうこと?」
「馬場阿津子は人のモノが好き。学年の違う、うちらの代でも有名だったよ」
「あぁ、そうだったね」
阿津子とは高校が同じだったけど、三年間同じクラスにもならなかったから話したこともなかった。彼女は有名だった。可愛いのもあったけど、それ以外の理由で。
彼女は人の彼が好きだ。とは言っても片っ端から奪うのではなくて、顔が良いだとか、頭が良いだとか、目立つところのある相手だと奪う傾向にあった。
大学に入って、同じ高校だったよね、と話しかけられてからの付き合いだ。
「でも、光太郎は普通の会社員だし」
外見だって普通だ。
「うん。だから余裕ないのかなって」
余裕あるとかないとかじゃなくて、そもそも相手のある人に手を出すのが間違いだと思うし、彼女にも何度も止めたほうがいいとは言っていた。聞き届けられることはなくて、この様なんだけど……。
「なんでお姉は付き合ってたの? 男癖が悪いって知ってたでしょ?」
「知ってたけど、私の相手には手を出さなかったのに、関係を切るのもどうなのかと思って」
「まぁね、その気持ちも分からなくないけど」
自分が被害に遭っていたら、とっくに阿津子との関係を切っていたと思う。他の子が被害に遭うのを見て、阿津子とはあまり親しくしないようにしていた。同じサークルのメンバーと、その相手には手を出さなかったから切りづらいというのもあったと思う。上手いというのもおかしな話だと思うけど、少し距離のある子の相手を狙っているみたいだった。
小狡いけど、最低限の自分の居場所は確保しておく、そんな人だと私も友人も思っていた。だから卒業後もサークルメンバーとしての付き合いは続いていたのだと思う。社会人になれば距離もできて、阿津子の悪癖の被害に遭うのは見知らぬ人だった。
何故そんな相手に恋愛相談なんてと言われるだろうけど。頭のどこかで、阿津子は私の相手には手を出さないと高を括っていたのだと思う。それに阿津子は常に恋人がいた。それも、ハイスペックの。
「それにしてもないわー。光太郎さんとお姉とあのヒトって同じサークルでしょ?」
「うん」
私と光太郎は大学で知り合った。サークルで意気投合して付き合い始めた。社会人になってからも交際は順調に続き、婚約に至った……と思っていたけど、光太郎は不満だったのかな。
「とりあえずお断りの連絡は早めにしたほうがいいね」
「そうだね……」
一瞬にして、胃になにか重いものが詰まったような感覚になる。
「紗里、しばらく凛子と一緒に帰ってきてちょうだい」
「え?!」
思いもよらない母の言葉に驚いて声が出てしまった。
「りょうかーい」
「ちょ、ちよっと待って。いくらなんでも紗里にそこまでやってもらうのは」
紗里の人差し指が私に向けられる。
「甘いよー、お姉」
「さすがに弁護士が入れば……」
「お母さんが手慣れてるの、不思議に思わない?」
……確かにそれは不思議に思っていた。……え? 何かあるの?
「従姉の絵里ちゃん、別れた相手にストーキングされて大変だったんだって」
「えぇ?!」
別れた相手がしつこくて大変だったとは聞いていたけど、ストーカーになったとまでは知らなかった。
「会社帰りを狙われて」
「……狙われて……?」
思わずごくりと唾を飲み込んでしまった。
「大事には至らなかったらしいけど、怪我もしてさ」
「余計に駄目じゃない!」
「何が?」
いや、何がじゃなくて。
「もし、私が光太郎と阿津子に襲われるとしたら、紗里だって被害に遭うかもしれないじゃない。そんなの駄目だよ」
まぁね、と軽い口調答える妹。おまえのことなんだぞと言いたいのを堪える。
「お姉、早く彼氏作りなよ」
「はぁ?!」
何を言ってるんだ、この子は??
「お見合いでもいいんだけど」
「それもいいわね」
会話の流れが明後日の方向に、しかも結構な速さで流れていく。オロオロして言葉も挟めない父を無視して、母と紗里が話を進めていく。
「紗里のお知り合いにいないの?」
「やだなぁ、お母さん。いたら私フリーじゃないよ」
「それもそうね」
とりあえず紗里を巻き込まずに済むように話をしなくては。
少し強めの声で割って入る。
「色々迷惑かけて申し訳ないけど、紗里に帰り付き添ってもらうとか、いいから」
「駄目」
「ダメよ」
いつも二人はこうやってタッグを組む。それも私に関することで。
「何でそんな」
私の言葉を遮って紗里が言う。
「私が心配だから。お姉はさ、しっかり者に見えて抜けてるし、なんでも自分で片付けようとする。あ、でも今回のはお姉にしては良い判断だったよ」
ピシャリと言われてしまう。
可愛いけれど、実は気が強くて、紗里に口で勝てたことはない。
「気が進まないのは分かるけど、とりあえずすぐに解決しないし、対策だってまだ準備できていないんだから諦めてね」
それでもと食い下がろうとした私に、紗里が言う。
「絵里ちゃんの相手、普通の人だったんだって。どちらかというとモテないほう。だけど絵里ちゃんと付き合っているうちに、自分はイケるんじゃないかと思ったみたいでね?」
続きを聞くのが怖い……。
「浮気をして、それが絵里ちゃんにバレて振られて。当然でしょ? そうしたら豹変したんだって」
「……それで、ストーカー?」
見えないけど、今の私は渋い顔をしていると思う。
うんうんと頷く紗里。
「伯母さんがお母さんに助けを求めたけど、そんなのどう対応していいのかなんて分からないじゃない?」
それはそうだろうな……。
ちらと母を見ると苦い顔をしていた。母は母で思い出しているんだろう。
「最終的には別れることには同意したけど、おまえにかけた金を返せー! って」
「えええええええ?!」
浮気しておいてそれ?!
「普通の人だったらしいよ?」
念を押すような紗里の言葉に、もはや何と返していいのか分からない。
「……早めに帰るようにする」
皆が同時に頷く。




