024.キス
紗里が帰ってからもメソメソしていた私に、蒼司は時折優しい言葉を聞かせてくれたり、背中を撫でてくれた。ホットミルクを用意してくれたりもした。甲斐甲斐しい……。
「弱くてごめん」
「謝る必要なんてない。最初から強い人間もいるだろうが、誰もが強いわけじゃないし、強いことだけが正解じゃない」
涙は止まったものの気鬱なままで、何するでもなくぼんやりとする私の隣に座り、蒼司は一心不乱に刺繍──というかこれは編み物なのだろうか?──をする。つきっきりで慰めの言葉をかけられたら、申し訳なさに消えたくなってしまう。でも、隣にいるけれど、好きなことに夢中になっている蒼司を見ていたら、少しずつだけれど、気持ちが落ち着いていった。規則正しく通される編み針と糸は安定感というか安心感がある。彼の手元に意識がいって、自分のことや光太郎達のことを考えないで済むからかもしれない。
「お花?」
「そう。何に見える?」
「紫陽花」
「当たり」
ヘアピンの輪になる部分に、淡い水色の紫陽花のガクが三つ、ちょっとずつ重なり合うように咲いていて、それを二枚の葉が支えている。
「すごいね。そんなものまで作れるんだ」
パチン、と音をさせて糸を切ると、「出来た」と蒼司が言った。編み針を道具箱に置くと、顔を上げて私を見る。
「ちょっとごめんな」
紫陽花の咲いたヘアピンを私の髪に挿してくれた。
「こんな可愛いもの、私には似合わないよ」
そっと手をやって、髪に挿された紫陽花のヘアピンに触れる。指先に糸の柔らかな感触が伝わる。
「似合ってるよ。ガクに涙がこぼれ落ちたら、紫陽花感が増して綺麗に咲いたように見えそうだ」
「……よくそんな歯が浮きそうなセリフを……」
蒼司はちょっとだけ恥ずかしそうに笑う。
「真顔で返すな、恥ずかしくなるから」
「あ、言うほうも自覚あるんだ……」
思わず笑ってしまった。
「ありがとう、蒼司」
心の底から湧き出る感謝を伝えたくても、ちょうど良い言葉がない。美辞麗句を並べると逆に陳腐になるから不思議だ。本来ならこういった時のためにあるはずなのに。これまでの使われ方が皮肉が多かった所為なのか、本来の意味に伝わらないのは私に説得力がないからなのか。
「どういたしまして。それからよく似合ってるよ。オレの作ったものを嫌がらずに着けてくれてありがとう」
「蒼司と一緒にいると、こういう素敵なものをいつも作ってもらえるってこと?」
一瞬面食らったような顔をした後、破顔した蒼司は少年のようだ。
「そうだよ。でも凛子にだけな」
私だけ。
子供の時は言ってもらえても、大人になると褒められることも、私だけと言ってもらえることも減っていく気がする。褒めることが罪というのではなくて、多くのことが当たり前の扱いになっていく。当たり前なことなんてないのに。
「紗里には似合うけど、私には似合わないと諦めていたの。可愛いし、素敵だね。嬉しい」
大人なんだからとか、年齢を考えろとか、TPOは必要だから公共の場ではその意見に賛同するけれど、家の中くらい──恋人の前でくらい、素直であってもいいと、思う。思いたい。我慢じゃなくて、わがままでもなく。
「それとこれ」
私の反対側の脇に置いていたであろうシャツを差し出してきた。前にお直しを頼んだものだった。
広げると、擦り切れたり穴が空いた箇所が刺繍で補修されていた。それ以外の場所にも細かい刺繍がしてある。パッと見、刺繍糸がシャツと同じ色だから花の刺繍部分以外分からない。
「すごい! 別物みたい!!」
「可愛いだろう?」
「色がシャツと同じ色だから目立たないし、それにこのお花、可愛いね」
「ミモザだ。黄色い丸い花が沢山咲く」
見たことはあっても花の名前までは知らなかったりする。あの花はミモザっていうのか。
胸元のあたりに咲いたミモザの花の刺繍は、可愛らしいけれど、私にも似合うような気がした。気の所為かもしれないけれども。
「お直しとはいうけど、直すだけじゃない、より良くするんだ」
直すだけじゃなく、より良くなる──。
「金継ぎみたいな感じ?」
「そんな感じだ」と蒼司は頷いた。
「光太郎や阿津子のことで凛子は沢山傷付けられたし、自信を失ったかもしれない。でもな、自信は取り戻せるし、もっと魅力的にだってなる。だから安心してくれ」
蒼司のその言葉に胸が詰まる感じがした。
チョロいと言われてしまうかもしれないけれど、私の心の弱っているところに直接染み渡る。
「……なれるかな」
「なれるよ。まぁ、ならなくてもいいが」
「なんでよ」
「魅力的な凛子を他の奴に奪われたくないから」
「またそんなことばかり言って」
このモテメンめ。
「凛子は頑なに認めないけどな、オレは凛子が好きだ」
どきりと心臓が跳ねる。
「情熱的な愛情になるにはこれからだろうけど、凛子を大切に思う気持ちは本当だ」
「……私がそうならなかったら?」
「片思いだからって無駄な想いにはならないだろう」
……あぁ、駄目だ。また泣いてしまう。
「泣いてもいいぞ。後で冷やすもの持ってくる」
「お母さんみたい」
「お母さんにもなるし、お父さんにもなるし、兄貴にもなる」
「なにそれ」
「どんな時でも、凛子のそばにいるって意味」
「恋人だけじゃないんだ」
「オレは欲張りだからな」
そっと蒼司の顔が近付いてきて、目を閉じた。




