019.迂闊な呟きは墓穴を掘ることになる、かもしれない
ふわふわだし巻き卵のお昼ご飯、大変美味しゅうございました。事が片付いたら料理教室に通おうかな。唯山には及ばずとも、私が作る適当料理から脱却……。
「凛子、仕事熱心なのは良いことだが、昼飯を忘れるのは良くないぞ」
…………料理の腕前うんぬん以前の問題だったかも……。
「凛子は手がかかって、本当に良いな」
うっとりした顔で言われた。
手がかかるほど可愛いとか、そういうのとは違うんだろうな。褒められているのか褒められていないのか、判断に悩む。唯山はきっと褒めているつもりで、私は褒められている気持ちにならない。
「お手数おかけします」
「そのままでいいんだぞ」
良くないと思いますよ……。
「話は変わるんだが、そのシャツ」
自分が着ているシャツを見る。くたびれてからは家着として使っている。光太郎には買う金がないわけじゃないのにみっともないと言われていたので、こっそり着ていた。
「随分着込んだな」
「社会人になってから買った奴で、そんなに値の張るものじゃなかったのに着心地がいいんだよね」
「あるよな、そういう服。値段うんぬんじゃない奴」
「そうなの」
気にしてなかったけど、よく見ると所々生地が薄くなってる。そろそろさよならかなぁ。
「良かったらなんだが、お直ししてもいいか?」
「これを?」
シャツを指差すと唯山は頷いた。
「刺繍でのお直しというものがあるんだ」
「昔は洋服を大事にしたって聞くもんね」
現代では安く買えるから、よほどのものじゃなければお直しまではしない人のほうが多いだろうな。私も切れてしまったり、ボタンが取れたぐらいは直していたけど、大きめの穴が空いたり、生地が薄くなったら、捨てていた。マメな人は使える箇所を端切れとして取っておいて何かに使ったりするんだろうけど。残念ながら私にはそんな気力も技術もない。
「洗濯したら渡すね」
「分かった」
洗濯もやると言われているんだけど、それはまだちょっと受け入れ難くて自分でやってる。アイロンはやってもらってしまっているけど。
「助かるけど、自分のを優先したほうがいいんじゃないの?」
見た感じ、お直しが必要そうな服を着ているところは見たことないんだけど。
「自分のはもうやれるものがないんだ」
新しいものを買うより、お直しがしたくてたまらないようだ。
「唯山はマメだね、尊敬する」
「凛子のオレたらし」
「なんか人聞き悪い」
変なことを言ってるけど、笑顔だから嫌な気はしていないもよう。唯山が好きなことができるならなにより。私もお気に入りのシャツをこれからも着ることができるのは嬉しい。
「よく分からないけど、刺繍にも色々とあるんでしょ? 唯山が好きなのはどういう刺繍なの?」
聞いておきながら細かく答えられても分からないんだけどね。
それがな、と唯山は困った顔をする。
「可愛い系も古典的なのも、好きなんだ」
刺繍に貴賎なし、といったところみたい。
「可愛い刺繍はちょっと、私のキャラじゃないと思うから、シンプルなのでお願いしたいんだけど」
「着ているうちに馴染む」
「馴染む?」
可愛いが私に?
「着ているうちに、似合うようになるんだよ。無意識にそういう髪型だとかメイクなんかを寄せていくからなんだろう。それにそのシャツは家着なんだろう? 可愛くしても大丈夫だ。それでも気になるなら、生地に近い色の刺繍糸を使うよ」
それなら大丈夫そう。
「可愛い凛子もオレとしては見たいけどな」
またそうやってサラッと!
答えに窮していると、唯山はにやりと笑った。
「お忘れのようですが、オレは凛子さんを口説いて恋人、最終的には生涯のパートナーになることを狙っておりまして」
「……そうでした」
そうだった。なんかすっかり変わった人とおかんの悪魔合体みたいに思ってた。
とてつもなく今更なんだけど、恋愛ってどうやるんだっけ?
『喜美子先生、今好きな人いる?』
メッセージを送ると即返信がきた。忙しいのにこういうのには食い付きいいよね……。
『それは唯山氏のことを指しているのかね?』
『最終的にはそこに至るんだけど、どうやって恋愛ってしたっけな、って』
『唯山、不憫すぎて笑う』
スマホ見てニヤニヤする喜美子が想像できる。
『凛子は光太郎のこともはじめ、好きじゃなかったよ』
『そうだっけ?!』
ちゃんと恋愛していた記憶があるんだけど!
『光太郎から告られて付き合いだして、付き合ううちに、ジワジワ好きになってってたよ』
『そういわれてみれば、そうだったような……』
大学生で恋人いないのも寂しいかなぁとか、誠実そうな人だなぁとか思って付き合いだしたんだった、そういえば。ぜんっぜん誠実じゃなかったんだけど。
『だから唯山とも付き合ってみなよ。結婚は置いといて。凛子のことだからおひとり様の覚悟してたでしょ?』
完全に思考を読まれております。
『仰せのとおりで』
でもなんか、これだけ拒否していたのに、あっさり付き合おうと言うのもなんだか自分勝手に思えてしまう。
『私のことはさておいて、喜美子にはいないのか』と改めて問えば、『良い男は売約済みなのよねー』という答え。
『自力で良い男って結構いないのよ。大概パートナーがいるの。そのパートナーによって整えられた男ってわけ』
なるほど。既婚者だとか彼女持ちに手を出して自分のものにしてみたら……って奴か。そういえば阿津子も誰と付き合っても長続きしなかったのはそういうことだったのかな。
『じゃあ喜美子も自分で育てていくとか。光源氏みたいに』
『私を犯罪者にしないで』
『むしろ何歳から育てるつもりなの?!』
あの時代だからありだろうけど、光源氏、完全にアレだよね。
あまり邪魔しても悪いから、メッセージを切り上げて仕事に戻る。
急ぎの案件はないからとのんびり構えていると、嵐がくるのが私の定めらしい。前のめり気味に対応していた結果が、唯山の仕事熱心につながるわけだったりする。
喜美子からメッセージが届いて、内容に目を見張る。
『唯山に付き合ってもいいって凛子が思ってるって伝えといた』
『待って?!』
どんな顔して次会えば?! 同じ家にいるのに!!
変な汗が出てきて、思考が混乱をきたす。
ドアをノックする音がした。この家でノックをする人物は一人しかいない……。
「……どうぞ」
ドアが開く。
唯山の顔が既に緩みきってて、どうしていいか分からない。
近付いてきた唯山が私の手を掴んだ。な、何をする気なんだ……?!
「幸せになろうな、凛子」
「いや、だからそれは早い」
どうして結婚にいくのかな、本当に。
「邪魔して悪かったな、じゃあまたな」
言いたいことだけ言って部屋を出て行く唯山。
……なんか、なんか悔しいというか、上手く表現できないんだけど……そう、喜美子! あやつめ!
『唯山に伝えないでよ!』
『凛子、子供じゃないんだから。もう婚活アプリでマッチングしてみたらかつてのサークルメンバーだった、ぐらいの気持ちでいなさいよ』
微妙にありえなくもなさそうな、ありえなさそうな例えをされた。
『喜美子が鬼すぎる!』
『私と紗里ちゃんは凛子と唯山をくっつけるの会会員だから当然さ』
『今作ったでしょ、その会!』
『当たりー!』
『他人事だと思って!』
『失礼な! その通りだ!』
清々しいぐらいに否定しないな……。
『甘え下手な凛子には、あれぐらい世話焼きであまったるーーい男がいいと思うよ。じゃ、これからミーティングだから』
伝えたいことだけ伝えて、喜美子とのやりとりがぶち切りされる。
「……甘えって、どうやんのよ……」
紗里は得意そうだ。聞いてみようかな……っていやいや、でもなんか付き合うことになっちゃったし、なっちゃったでいいのか?!
……これはなんというかちゃんと話そう、唯山と。




