011.言われずとも変わらないといけないのは分かってるんです
悪い予感ほどよく当たるとは、昔の人は上手いこと言ったものだと思う。褒めてないけど。
弁護士さんから光太郎と阿津子に内容証明を送りましたので、昨日か今日あたり届いていると思います、と報告を受けた。その日の夜、過去のものとなったスマホがすごいことになっていた。あの時、ちゃんと今後は弁護士を通すからって言ったのに、本気にしてなかったんだろうな。思いもよらなかったのか、それだけ見下されていたのか。
使用していないからうっかり押し間違えて反応してしまうこともないし、知らない番号やら知人のを借りて連絡してくることも不可能だ。紗里のいう通り、伝える相手を限定したのは正しかった。サークルとは関係ない人からも通知がきていた。
そのスマホを、父は不安そうに、母と妹は穢らわしいものでも見るように見ていた。
「不貞をする人達って、思考が似通っているのかしらねぇ」
「分かんないけど、共通点はあるんじゃない? 馬鹿だっていう」
紗里の辛辣なひと言に、あんな人と付き合ってすみませんでした、という気持ちになる。こんな人だとは思わなかったんです、本当に……。
「これは近いうちに押しかけて来そうねぇ」
「ありそー」
止めて。それを防ぎたくて実家に避難したのに……。
「お父さんが怖いからいきなり会社に押しかけるかもよ?」
もっと止めてほしい……。
「明日、歓送迎会で私、お姉を迎えに行けないんだよね」
「お母さんも明日はフラメンコだわ」
母と妹は父を見て、いつも帰り遅いから頼りにならなさそう、とバッサリ切り捨てられていた。濡れた犬のようにしょぼくれた父。父は何も悪くないのに、ごめん。
「刺繍男子に駄目元で連絡してみなよ!」
「あら? どちら様なの? その刺繍男子というのは」
「新しい男か?!」
父が眉を吊り上げるが、母に「あなたが頼れないからこういう話になっているって、分かっているのかしら?」ともう一度切り付けられて、泣きそうになっていた。
エンジニアの父は万年忙しい。過労死しないのが不思議なくらいだ。
「うーん……まず喜美子に連絡してみる。それでも駄目だったら連絡、する、かも」
「喜美子先輩は忙しいんだから迷惑かけないって言ってなかった?」
あぁ、はい、その、言いましたね……。でもだからといってすぐに唯山に連絡するというのがどうも私には……。
「あとで私が代わりに送っておくね」
「……え?」
「喜美子先輩通して、刺繍男子とつながったんだよねー。お姉のことだからどれだけ頼れって言っても頼らないだろうからって」
にやりと笑う紗里が悪魔に見えてきた。母も口元が笑ってる。子供の大事には習い事なんてどうでもいいと言っていた母が、フラメンコがと渋るのは、既に紗里と情報を共有していたからに違いない。
「落ち着いたら手川さんにはお礼をしないといけないわねぇ」
まるで貴婦人のように、おほほと笑う母も恨めしい。
「本当に、ちょっと待って。いつかはまたそういう気持ちになるかもしれない。いきなり明日一目惚れしちゃうかもしれないけど、こんな風に外堀を埋めるのはどうなの?」
一目惚れというのはものの例えで、本当にそうなるなんて微塵も思っていないけど。
「別に埋めてないわよ」
「そうそう、埋めてないよ」
どの口がと言い返そうとしたら、母は笑った。
「私も紗里も、利害が一致しているだけよ。事が済むまで唯山さんに協力してもらう代わりに、貴女は唯山さんのパートナーのフリを一時的にする」
「刺繍君はそこに、今後の望みがくっついてて、今のところ私もお母さんも好意的に受け止めているってだけ。おかしなところがあったら即止めるつもりだから」
ぐぅの音も出ない。
確かに唯山はパートナーと関係が破綻してしまったから、代わりになってほしいと言っていた。重要な案件のためにもパートナーが必要なのだと。
でも、そうか、一時的にパートナーのフリをする代わりに助けてもらうのは、ありといえばありなのか……いや、本当にありか? 冷静になれ自分。
唯山の口説くうんぬんは、なんとなく本気になれないというか、まさか私なんかをあの唯山がという思いがある。刺繍やら編み物ぐらいで唯山の価値が下がるとはどうしても思えない。嫌な女性もいる、というかいたんだろうけど、そこまで嫌なものなのだろうか。その感覚が理解できないから、唯山は私の中ではイケメン、モテて異性に困らない男子のままなのだ。
「異性には強く出るけど、同性には弱腰になる男性って結構多いっていうじゃない? この際利用できるものは利用するべきよ。刺繍君の知人がお姉の次のお相手かもしれないわけだし!」
……それは紗里が狙っていることじゃ、と咽喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「それにしても刺繍だなんて、凄いわね。お父さんなんて針を見てもどれが刺繍用かそうじゃないかも分からないと思うわよ」
さりげなくディスられている父は、男ならとでも言いたそう顔をしているけど、部下を持つ身だ。多様性だなんだと言われるこの時代、そんなことを言ったら問題になるんだろう。複雑な表情をしてる。
お父さんがもっと若い時は男らしさを求められたりもしたんだろうに、時代というか世の中というのは移り気で、ついていくのもひと苦労だと思う。
私が子供の時、女の子はランドセルは赤しかなかった。選択肢なんてなかったのに。今や沢山の色があって羨ましいぐらいだ。こうやって先人というべき私達の思いや苦労なんかが次の世代に影響を及ぼしていったのかもしれない。
「モテる男性のほうが頼るにはいいのよ。勘違いしないから」
あぁ、うん、そういうのもありますね。
従姉の絵里ちゃんの身に起きたことが思い出された。
「絵里ちゃんはその後どうなったの?」
「新しい人を見つけて付き合ってるらしいわ」
凄いな。怪我を負わされるような目に遭ったのに、新しい人を受け入れられているなんて。臆病者な私は同じ場所で足踏みしてしまうというのに。
光太郎と唯山は別の人間なんだから、同じように見てはいけないよなぁ、と思う。相手の問題というより、自分が傷付きたくないだけなんだと分かってる。
でも、傷付かずに生きていくって、無理なんだよね。私だって無意識に誰かを傷付けてしまってるんだろう。
新しいスマホを手にして、唯山にメッセージを送った。遠回しに助けてもらうような言い方はしたくなかった。阿津子の得意技だったことまで思い出して一瞬イラッとする。
挨拶も早々に本題を切り出す。上手いこと自然に会話をもっていくとか、苦手だ。
『この前の頼れという言葉が社交辞令じゃないなら、光太郎達のことで、可能であれば助けてもらえると嬉しいです』
送ってすぐに既読の文字が表示される。
『何かあった? 電話のほうが話しやすいならかけようか?』
確かにメッセージでやりとりするより、直接電話をしたほうが早いかもしれない。
「ちょっと連絡してくる」
「え? 誰に?」
「唯山に」
母と紗里が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。まさか私がこんなことを言うなんて思わなかったんだろう。私もね、元々はそんな人間じゃないんです。でも、それじゃ駄目なんだって分かってるし、このままじゃまた同じ失敗を繰り返す気がする。
私も、幸せになりたいんだって、この年になって気付いた。




