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軍艦『駿河』物語  作者: 立積 幸赤柱
始動編
1/5

1・夢見る新戦艦

 わたしは大海原を駆け回りたかった。

 そのために生まれ、育つ予定だったからだ。


 でも……適うのであれば、青い海原を思いっきり走りたい!

 金剛(お姉様)の代わりとして、生を受けたからには……。


 わたしが誕生したときは、街はお祭り騒ぎだったそうです。


 でも……わたし達、姉妹は、恵まれることがなかった。

 ワシントン海軍軍縮条約(での決めごと)で、わたし達は(こん)(ごう)お姉様達の代わりとして、誕生する予定だった。

 だけれど、その後にあった第二次ロンドン海軍軍縮会議(での決めごと)で、わたし達は否定された。


 わたしの名前は、戦艦〝駿(する)()

 戦艦〝金剛〟の代わりとして、誕生するはずだった最強の超弩級戦艦。

 最大排水量三九五〇〇トン。全長二三七メートル。最大幅三二メートル。

 四五口径四〇センチ三連砲を三基装備。

 四軸のタービン機関は七三〇〇〇馬力を誇り、最大速力二六ノット。

 ……。


 それがわたしの本当の姿……いえ、なるはずだった姿。

 今は、呉の港の片隅に浮かぶ、ただの鉄の塊。


 他の姉妹も……。

 すぐ下の妹〝常陸(ひたち)〟は横須賀で。三女の〝()()〟は神戸。四女の〝()(わり)〟は長崎で、同じ運命だと聞いています。

 いつ解体されるかも分からないわたし達の運命。

 仕方がないことです。

 ロンドンの決めごとは、人間達が話しあった大切なこと。

 (ふね)でしかないわたしが、どうこう言うことではない事です。

 今は、不景気で世の中が厳しいと聞きます。

 人々を守るために生まれたわたし達が、率先して奉仕する覚悟はあります。


 でも、いつか……。

 いつか、わたしの魂が生まれ変わるのであれば、青い海原を思いっきり走りたい。

 わたしはそう願って、静かに眠りにつきます。


○▲■


 一九三四年(昭和九年)――。


 呉の港でふたりの人物が、〝駿河〟に成るはずだった船体を眺めていた。

 ひとりは紺色の第一種軍服を纏っている。

 男は木戸と言った。今は、海軍二等兵曹の身だ。

 男の特徴といえは、その巨大であろう。昭和一桁台の平均的な日本男児と比べて、頭ひとつ分を軽く越える一八〇センチ台の身長。それに肩幅も広く、鍛えられた筋肉が軍服の上からでも伺える。

「番長よ。僕たちの夢はダメになったかな……」

 と、隣にいるもうひとりの男は、ため口で呟いた。その男の顔は暗く落ち込んでいる。

 こちらは白鳥と言った。今は、背広にネクタイ、コートを羽織っているが海軍の造船大尉。こちらは木戸二等兵曹とは対照的に、小柄で身長も平均と比べたら低めだろう。身体検査をギリギリ通れるぐらいだろうが、彼の頭の中は別だ。

 帝国大学の工学部を卒業し、技術士官として海軍に入った身だ。

「番長よ……」

 白鳥は再び、隣にいる木戸に声をかける。彼の顔を見ると、ギュッと口を一文字に結んだままだ。

(番長か……)

 木戸は子供の頃、そう呼ばれていたのを思い出し、口を開こうとした。

 懐かしいあだ名で呼ばれて、応えたかった。しかし、海軍の厳密な階級社会では、いくら技術士官の大尉であったとしても、一介の二等兵曹がタメ口で話すのは、はばかれるだろう。

 ここは呉。海軍の鎮守府も置かれている場所だ。

 今は、見たところ他の者はいないが、いつ誰が後ろを通るか分からない。

 白鳥が私服を着ているからといって、下手にそんなところを見られたら、どんな仕打ちがあるのか分かったものではない。

「――白鳥造船大尉。まだ終わっちゃいません」

 木戸は、葛藤の末、何とか絞り出した。

 それを聞いた白鳥はハッとした顔をする。そして、再び〝駿河〟を見た。いや、彼と顔を合わせられなかった。

(自分は木戸に迷惑をかけてしまった……)

 士官と下士官の見えない壁がある事を、改めて気づかされた。

 木戸と白鳥は同郷の幼なじみであったのだが、しばらく合わないうちにふたりの間には、大きな壁が出来てしまったようだ。

 自分は大学から下士官を飛び越えて士官になった。だが、木戸は……今の姿を見れば、すぐに理解できた。高等小学校を卒業して、すぐに海軍に志願したのだろう。そして、まさに血と汗で、今の海軍二等兵曹の地位に這い上がってきた。

(それも、あの夢のためかも知れない)

 それは、子供の頃の戯言といってしまえば、お終いなのかも知れない。だが、このふたりは子供の頃語り合った夢を掴むため、ここまで来たのだ。


○▲■


 ふたりの夢……。

 山奥の小学校で、ガキ大将として子供達を纏めていた木戸。

 あるとき、彼のいる小学校に白鳥が遠くから転校してきた。

 小柄でひ弱な白鳥であったから、子供達のいいカモだ。

 いじめの対象になろうとしたとき、ふとしたことであった。

「なんだ、これ?」

 子供の頃、木戸が見たこと無い物を白鳥は持っていた。

「――ぐっ、軍艦だよ」

 絵を描くのが趣味だった白鳥が持っていたのは、一冊のスケッチブック。

 それに書かれたのは、山奥の里では見たことのない青い世界。そのど真ん中に書かれた巨大な船。

 白鳥が、ここに転校する前にいた港街で書いた軍艦のスケッチだった。

「お前が描いたのか?」

「そっ、そうだ……」

 木戸は初めて見る青い大海原。それに大きな城のような軍艦に心を持っていかれた瞬間であった。

 その後、白鳥を質問攻めにする木戸は、親友になった。そして、彼の興味は、見たことのない海へ……海軍へと進む。入ったことのない学校の図書館に二人で行っては、海に関することや軍艦に関することなどの本を読みあさった。

 いつしか、ふたりで夢を語った。

「僕は軍艦を造る」

 白鳥の言葉に、木戸はこう答えた。

「だったら、俺はお前の造った戦艦に乗りたい!」


 それがふたりの夢……。

 海軍兵に志願した木戸と、大学に進学し造船士官となった白鳥。

 入ってすぐにふたりの夢は、そう簡単に適うものでは無いことを思い知らされた。

 木戸は歯を食いしばり、ゆっくりとであったが十数年かけて下士官まで上り詰めた。

 白鳥は帝国大学に進み、造船を学んだ。仕官してからも並々ならぬ努力を重ね、この新戦艦〝駿河〟の設計部門に末端ではあったが加わることが出来た。

 しかし、彼等の夢をつかみかけたところで、頓挫してしまった。

 これは、ふたりでは……一兵士と一士官では、どうすることも出来なかった。

 世界情勢が、その夢を叶わせなかったのだ。


○▲■


 一九二一年(大正一〇年)から各国で話し合いが行われた。

 このワシントン海軍軍縮条約で、戦艦の新造は条約締結後一〇年間凍結。例外として、艦齢二〇年以上の艦を退役させる代替としてのみ、建造が許可される事となっていた。

 ちょうど金剛型戦艦の四隻が、一九三〇年代にその艦齢二〇年がやってくる。

 日本で新造艦が出来ると言うわけだ。

 条約締結時に分かっていたことであるが、その年が迫ってくると、アメリカとイギリスが待ったをかけてきた。それに制限の掛からない補助艦――巡洋艦や潜水艦など――の性能向上も、目に余るものがあったのであろう。

 一九二七年(昭和二年)に再度、軍縮会議がジュネーブで開かれることとなる。

 会議を始めてみれば、日本の新造艦に対してよりも、アメリカの比率主義とイギリスの個艦規制主義が対立。平行線のまま決裂寸前になったのだ。

 この会議ではむしろ日本が両国の間を取り持ち、締結に至ることになる。

 そこで決まったことの詳細は省略するが、補助艦のカテゴリー化と合計排水量の分配。戦艦については、各国共に何隻かの廃艦または練習艦にすることでの保有を認めた。

 そして、戦艦の建造中止措置の五年延長を努力する、となった。

 曖昧な言葉を使うのは良くなかった。

 そう『努力』という言葉が、後で問題になってくる。しかしながら、この『努力』という言葉によって、日本は新造艦の建造の権利を獲得したことになる。

 翌年から日本の海軍艦政本部は、新造艦『A一四〇』のちの駿河型となる戦艦の建造に向けて設計を開始した。

 新造艦の設計は、藤本造船大佐(当時)を中心としたグループで行われたのだが、ここに白鳥造船中尉(当時)も加わることになる。

 しかし、一九三〇年(昭和五年)この計画が中止に追い込まれようとしていた。

 米英が、軍縮条約の再討議を求めてきたのだ。

 後の世でいう第一次ロンドン軍縮会議であるが、この会議は日本とフランス、イタリア――この時の接触がイタリアとの関係の始まり――の反対で、ジュネーブ会議での決定事項を継続することのみとなった。

 一つ目の危機を越えて、翌年一九三一年に新造艦『A一四〇』の一番艦が呉工廠で、二番艦が横須賀工廠で起工した。

 続いて、翌年の一九三二年には三番艦、四番艦がそれぞれ神戸と長崎で起工。

 順調に工事が進む中、その時がやってきた。


 一九三三年になって国際連盟を通じて、再度軍縮会議を開くこととなった。

 再びロンドンに集まった海軍国家。のちに第二次ロンドン軍縮会議と呼ばれるものは、ほぼ米英の思惑通りになったと言えるだろう。

 求めたのは駿河型の廃艦。すでに一番艦、二番艦が同年に進水していた。

 理由は、中国大陸で日本軍が起こした事変。それに伴い誕生した満州国の建国だ。

 当初、中華民国の訴えにより、米英を伴う国際連盟は満州国の建国を容認しない方針だった。だが、国際連盟理事会が満州に派遣したリットン調査団は、とんでもないものを見つけてしまう。

 調査団に接触した住民は親日家で、気を利かせたのだろう。だが、それか世界を変えてしまうとは思ってもみなかったようだ。

 その者は、黒竜江省哈爾浜(ハルピン)市の西に油田があることを彼等に教えたのだ。

 元々、調査団はそんなものを見つけるつもりはなかった。

 政治状態を調べる目的だったのだから、関係ないといえばそれまでだ。しかし、興味を示した調査団の一部が調べてみると、莫大な量の油田がそこに眠っていることを突き止めたのだ。

 黙っていることも出来たかもしれない。だが、人の噂には蓋が出来ない。

 中国大陸で見つかった大油田の情報は、世界を駆け巡った。

 満州国の油田は、実質上、日本国の支配下での事。

 昨日まで油が無いと、嘆いていた国が一夜にして、原油産出国となったのだ。

 とはいっても、原油では船も、飛行機も、車も動かすことが出来ない。

 原油を加工して、重油なり、ガソリンなりにしなければならない。しかも、日本の貧弱な加工技術や設備では、満州から採れる莫大な原油を処理することが出来なかった。

 結局、加工技術のある欧米へ持ち込まねばならない。

 ここで問題になっているのは、人件費の安い満州産の原油が市場に溢れることだった。


 自国の経済を守らなければならない。


 そこで欧米は、そろって尋常ではない関税をかけた。

 さらに、原油だけではなく、日本が加工技術を手に入れるための資材や設備などにも、関税をかけたのだ。

 横暴と思えるやり方に、日本は憤慨した。だが、駿河型戦艦の廃艦と引き換えに、関税の段階的な撤廃と、満州国の承認を通達してきたのだ。


 戦艦を取るか、原油を取るか。


 アメリカで始まった世界的な大不況からの脱却は、未だ適わず。

 それに長年の放漫な政策と、日露戦争での国債の借り換えなどで、日本の財政は厳しいものがあった。

 駿河型戦艦の廃艦は、自ずと決まった。


 これだけでは、白鳥造船大尉が呉に飛ばされることはなかっただろう。

 そう、彼は艦政本部からここに左遷された、と感じていた。

 理由はこの年に起きた、いわゆる友鶴事件だ。

 訓練中の水雷艇〝友鶴〟が転覆を起こし、多数の人員が事故死した事件が起きた。

 これを重く見た海軍は、原因を徹底的に調べることになった。

 その結果、仕様上は充分な復原力を保持していたが、過重な兵装と未熟な工作技術による重心上昇(トップヘビー)と復原性不足を負っていたことが、原因とされた。その背景として、物理法則を無視した用兵側の要求――軍令部の非現実的な性能要求――に追従し、根本的欠陥を抱えた艦船を多数送り出してしまっている設計側――ジュネーブ軍縮会議内に納めようとし無理をした――の状況が指摘された。

 これにより海軍は、この数年間に設計された艦船を中心に、復原性・重心対策改修をしなければならない事態になっていた。そして、関係者には何らかの処分が必要と感じたようだ。とはいっても、用兵側の処分は難しい。

 そこで矢面に立たされたのは、同型艦の設計監督をしていた藤本造船少将だ。

 同少将を謹慎。その他、関わった部員の艦政本部からの追放をもって、人事の処分が終わった。


「――白鳥造船大尉。まだ終わっちゃいません」

 白鳥は、木戸の声で我に返った。

 とはいっても、白鳥造船大尉の呉での仕事は、恐らく修理や整備だけであろう。

 新造艦の設計の夢は諦めるしかない。

 失意のままこの地に訪れた白鳥は、呉の街で十数年ぶりに木戸にあった。そして、何気なくふたりは埠頭に着てしまった。

 見えるのは、改修を待つ艦……そして、廃艦が決定した戦艦〝駿河〟だ。

「――終わったさ。あいつのように、錆びて朽ち果てるだけだ……」

 白鳥がようやく口に出来たことは、木戸とは違ってあきらめであった。


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