マッチングアプリで唯一マッチングしたのが実姉だった件
久しぶりの投稿です。宜しくお願いします。
8月第3週の土曜日、俺・佐原賢太郎は1泊2日のゼミ合宿に参加していた。
サークルに入っていないこともあり、俺にとってゼミのメンバーは大学生活最高の仲間たちなわけで。そんな彼らと一緒に行く合宿は、勉学が目的であるにも関わらず、最早楽しい旅行と言って差し支えなかった。
日中は教授のありがたい講義を話半分で聞いており、そしてやって来た飲みの席。ぶっちゃけ俺たちからしたら、ここからが合宿の本番だ。
飲み会が始まって、30分。「あとは若者たちで楽しんでくれ」と、教授が早々に居酒屋をあとにする。律儀に全員分の飲み代を置いていくところは、見習うべきだと思う。
それと同時に拝ませて貰おう。ありがたやー、ありがたやー。
鐚一文も出していないのを良いことに、俺たちは普段なら絶対に飲まないような高い酒を次々と注文していく。
ある程度酔いも回ったところで、ゼミ生の一人がこんなことを言い始めた。
「なぁ。酒の席でする話といえば、何だ? それは勿論、恋バナだよな!」
何が勿論なのかわからないが、呼応するかのように周囲が盛り上がり始めたのでこちらとしてはツッコむタイミングを逸してしまった。
取り敢えず、皆に合わせて俺も小さな声で「おぉ」と呟く。
ここで「俺、パス」などと口にすれば、空気読めない男認定されてしまうに違いない。それだけは、なんとしても避けねば。酒の席だけに。
……仕方ない。彼らの恋バナとやらに付き合うとするか。
俺はジョッキのビールをグイッと飲み干し、酔いを更に加速させる。よし、戦闘準備オーケーだ。
「まずは言い出しっぺの俺からだな。俺のとっておきの恋愛談はな――」
「恋バナしよう」と言い出したゼミ生が、我先にと自身の恋愛について語り始める。
彼に続いて、他のゼミ生も次々と恋愛経験を語ってみせた。
年上美人とデートしたら、最終的にクソ高い壺を買わされた奴。内定先の社長の娘と寝た結果、社長の逆鱗に触れて内定取り消しされた奴。「俺は2次元キャラしか娶らねぇ!」と豪語して、ワンクールごとに離婚と結婚を繰り返す奴。本当、ロクなのがいねぇな。
過半数のゼミ生が恋愛経験を語り終えたところで、とうとう恐れていた事態が起こってしまった。
「それじゃあ次は、佐原の番な」
「……はい?」
俺は思わず聞き返す。この流れで回されるのって、ハードル高くない?
次はどんな話が聞けるのかと、ゼミ生たちは期待の眼差しを俺に向ける。そんな目を向けても、何も出てこない。
「悪いけど、俺にはお前らみたいなギャグ漫画的恋愛談はないぞ?」
「ギャグ漫画とは失敬な。ミリオン確実のラブコメだ。全米が泣くに決まっている。……別に俺たちは面白話を求めているわけじゃない。お前がしてきた恋愛について聞きたいだけなんだよ」
「俺がしてきた恋愛ねぇ……」
そう言われても、残念なことに俺には生まれてこの方彼女と呼べる存在が出来たことはない。
というかそもそも、誰かを好きになった経験自体乏しいわけで。最後に恋をしたのは……確か小学生の時だった気がする。
因みに相手は音楽教師。しかも既婚者。成就するわけないよね、うん。
初詣で「先生が旦那さんと別れますように」と子供らしからぬ願掛けをしたことは、墓の中まで持っていくつもりだ。
……いや、待てよ。
俺はふと、思い出す。
そういえばつい最近、失恋を経験したな。あまりに苦い思い出すぎて、記憶の奥底に封印してしまっていた。
彼らは恥も外聞も捨てて、黒歴史同然の恋愛経験を語り聞かせてくれたのだ。聞いてしまった以上、俺もまた恥をかく義務がある。そうでなければ、フェアじゃない。
俺と彼らは友人。友人であるからには、対等な関係でいたいのだ。
「……それじゃあ、話すぞ。俺が最近経験した、とっておきの恋愛談だ。題して、『恐怖! マッチング率90パーセントの女!』」
◇
ことの始まりは、姉のお節介だった。
「ねぇ、賢太郎。あんた、まだ彼女出来ないの?」
内心「余計なお世話だ」と吐き捨てながら、俺は姉の美鈴に「おー」と返す。本当に、余計なお世話である(大事だから2回言った)。
恋愛経験値ゼロという俺の回答に、美鈴姉さんは盛大な溜息で応える。
「大学生にもなって彼女いたことないとか、あんたそれでも付いてるの? 彼女いない歴=年齢の20歳とか、そんなのご飯のないオムライスみたいなものよ」
「いや、喩えがよくわからないんだが?」
そして世間一般では、それをオムレツと呼ぶんだと思う。
「ごちゃごちゃ言わない! ……あんたの大学生活って、充実してる? サークルにも入らず、講義を受けては自宅へ直帰するだけの変わり映えのしない日々。貴重な大学生活が、そんなもので良いの? いや、良くない! というわけで、はい」
反語表現を交えながら、美鈴姉さんは自身のスマホの画面を俺に見せてくる。
「私は賢太郎に、マッチングアプリをオススメしたいと思います」
「マッチングアプリ?」
「まさか、知らないとか言わないわよね?」
「俺の友達にもやってる奴がいるし、一応は知ってるよ。……って、美鈴姉さん、どうした?」
見ると美鈴姉さんは、口元に手を当てて今にも泣き出しそうな表情をしていた。
俺がマッチングアプリを知っていたことに、そんなに感動したのだろうか?
「あんた……きちんと友達がいたのね……。本当に良かった……」
喧しいわ。
閑話休題。
既にマッチングアプリに登録済みの美鈴姉さんは、俺にアプリが如何に素晴らしいものかを説明し始める。
「マッチングアプリは、恋人の欲しい人たちが登録しているわけだからね。普通に生活しているより、恋人が出来やすい筈よ。私も現在進行形で、複数人の男とメッセージを送り合っているわけだし。ほら、良い男ばかりでしょ?」
「本当だ。美鈴姉さんには勿体無いくらいのイケメンだね」
「はっ倒すわよ」
理不尽な。
「私のいいね数を見て貰えればわかる通り、マッチングアプリって、本当に凄いのよ? 小蝿取りみたいに、男がわんさか群がってくるわ」
男を小蝿扱いするんじゃねぇ。
ていうかその喩えだと、美鈴姉さんは生ゴミや死体になるんだけど良いのだろうか?
その後も美鈴姉さんのマッチングアプリ解説は続く。悔しいが、めちゃくちゃわかりやすかった。
「マッチングアプリを使えば恋人を作りやすくなることはわかった。でも、どうしてそれを俺に勧めるんだ? 正直今は、彼女が欲しいと思っていないんだけど?」
美鈴姉さんの比喩を用いるならば、現状俺はご飯のないオムライスだ。
でも、それで良いじゃないか。オムレツだって、十分美味しい。
しかし美鈴姉さんは俺と同じようには思っていないようで。
どこかムカつく表情で、「フッ」と笑みをこぼした。
「私はね、常々思ってるわけですよ。「いつまでも、小学生時代の恋を引きずっているんじゃない」って」
微塵も引きずってませんけど?
「マッチングアプリは良いものだけど、一つだけ注意事項があるわ。業者には、くれぐれも気を付けること。人の弱みに漬け込んでくる、タチの悪い奴らだから」
「詳しいのな」
「フッ。経験者は語るってやつよ」
格好付けているところ悪いが、ドヤ顔して語る内容じゃない。
兎にも角にも、俺はマッチングアプリをインストール&登録完了させた。半ば強引にさせられた。
さて。本当に俺なんかに、彼女が出来るのだろうか……?
◇
マッチングアプリのプロフィール欄には、登録する事柄が沢山ある。
出身地や年齢、職業。趣味や好きな異性のタイプ、交際したら何をしたいかに至るまで。
マッチングアプリを使う目的は、モテることじゃない。彼女を作ることだ。
虚構の自分を作り上げて、その結果形成された関係に意味なんてない。すぐに破綻するに決まっている。
だから俺は、プロフィール欄を素直に、ありのままの言葉で埋めていく。
しかしながら、顔写真を晒す勇気だけはどうしても出なかった。
俺は自分の容姿に、そこまで自信がない。寧ろ嫌悪しているくらいだ。
顔写真以外の項目を全て入力し終えてから、試しに10人くらい「いいね」をして、記念すべきマッチングアプリ初日は終了。
翌日。早速俺のもとに、「いいね」が返ってきた。マッチング成立というやつだ。
マッチングした相手は、「みーさん」という愛称の女性だった。
「「みーさん」、ね。何々……年齢は俺の一つ上なのか」
ということは、美鈴姉さんと一緒ってことになるな。
みーさんも俺同様、顔写真を登録していなかった。きっとシャイな女の子なのだろう。
プロフィールを読み進めていくと、俺と似ていたり同じだったりするところが他にも沢山あった。それ故のマッチング。
驚くべきは、そのマッチング率だ。
「92パーセント、だと……」
マッチング率90パーセント超えなんて、ほとんどドッペルゲンガーみたいなものじゃないか。もしくは並行世界の自分自身。
そんな相手と一緒にいて、楽しくないわけがない!
俺は早速、みーさんにメッセージを送ってみた。
『みーさん、こんにちは! よろしくお願いします!』
みーさんからの返信は、すぐに来た。
『メッセージありがとうございます、ケンさん(俺のことである)! これからよろしくお願いします!』
『こちらこそ! みーさんは、お休みの日は何されているんですか?』
『お恥ずかしい話、結構家でゴロゴロしています。インドア派です。ケンさんは何をしているんですか?』
『全然恥ずかしくなんてないですよ! 僕もインドア派です!』
とまぁ、そんな感じの繰り返すこと一週間。想像以上に仲良くなった俺たちは、週末に顔合わせすることになったのだった。
◇
やって来た、みーさんとの初対面の日。
どうやらみーさんの最寄駅は俺と同じみたいなので、折角の偶然(運命とも言えるのかもしれない)を活かして俺たちは駅前の喫茶店で落ち合うことにした。
初めから居酒屋に誘ったり、そのままホテルに連れ込もうだなんて考えちゃいない。
そう、俺は紳士なのだ。決してヘタレなわけじゃない。
初デートで女性を待たせるのは、男としてどうかと思う。なので俺は、約束の30分前に待ち合わせ場所に到着していた。
20分後。
集合時間より10分早く、みーさんからメッセージが届く。
『今駅に着きました! どちらにいますか?』
『理容室の前にいます! 改札近くの!』
『わかりました! すぐに向かいますね!』
「お待たせしました」と言われたら、「いいえ。丁度髪を切り終えたところです」とでも返そうか?
そんなジョークを頭に巡らせていると、何やら見知った人物がこちらに近づいてきた。
「あれ、美鈴姉さん? どうしてここに?」
「どうしてって、人と会う約束をしているのよ」
「へぇ。もしかして、デート?」
「……そうだけど、悪い?」
家ではいつもジャージ姿の美鈴姉さんが、珍しくおしゃれしている。ワンピースなんて、普段着ないだろうに。
それ故の推測だったわけだが、まさか本当にデートとは。嬉しいような、寂しいような、複雑な感情である。
「まさかとは思うけど、賢太郎もデート?」
「そうだが、悪いか?」
「ハンッ」
何だ、その鼻笑いは? イラッ。
「せいぜいヘマして相手の女の子に嫌われないように、気をつけることね」
「あぁ。お互いにな」
それから待つことおよそ10分。みーさんは、今なお姿を現さない。
……おかしいな。
改札から理容室まで、1分とかからない筈なのに。
首を傾げる俺に、美鈴姉さんは小馬鹿にするように言う。
「相手の子はまだ現れないようね。フラれたんじゃないの?」
「その言葉、そっくりそのままお返しするよ」
確かに一瞬ドタキャンされたのではないかという不安も頭をよぎった。
でも、マッチング率92パーセントのみーさんが、何の連絡もなしに約束を反故にするとは思えない。思いたくない。
きっと、迷っているだけなんだ。そうに違いない。
祈るように、俺はみーさんに『迷っちゃいましたか?』とメッセージを送る。
返信はすぐにきた。
『いいえ。もう理容室の前にいますよ。ケンさんこそ、どこにいますか?』
既に理容室の前に着いている?
俺は辺りを見回す。…………みーさんらしき人物は、見当たらない。
『本当ですか? 因みに、みーさんは今日どんな服を着ています?』
『ワンピースです! 久々に気合い入れておしゃれしちゃいました!』
ワンピース?
俺はその単語に、背筋の凍るような恐怖を覚えた。
一人、いるではないか。
ワンピースを着用し、理容室の前でデート相手を待っている一つ年上の女性が。
「……みーさん?」
恐る恐る、俺はその愛称を呟く。
俺の発言で全てを察したのか、美鈴姉さんも一瞬にして顔面蒼白になった。
「まさか……ケンさん?」
何という悲劇だろうか?
マッチング率92パーセントという超絶相性の良い相手は……実姉だったのだ。
『……』
俺と美鈴姉さんは、互いに黙り込んだ。
ここで何か言っても、自分の傷を抉るだけに過ぎない。
少しして、ようやく美鈴姉さんが口を開く。
「……飲みに行きましょう」
それはおおよそ、初デートの相手に、それも真っ昼間から言うようなセリフではなかった。
しかし俺は美鈴姉さんの申し出を否定しない。それどころか、全面的に肯定する。
「あぁ。ドギツいバーボンが置いてある店、紹介するよ」
初デートの思い出? そんなもの要らない。
それどころか、一刻も早く今日という日の記憶を消し去りたい。
俺たちは手を繋ぐことも、腕を組むこともしない。そして喫茶店ではなく、昼間から営業しているバーに向かうのだった。
◇
俺が恐怖体験ならぬ恋愛談を語り終える頃には、あれだけ飲んだくれていたゼミ生たちの手が止まっていた。
さっきから、酒の量が減っていない。
「実姉とマッチングするとか……」
「あぁ。恐怖以外の何ものでもないな。或いはトラウマか人生の汚点」
「酒の席とはいえ、よく人に話す気になったよね。鋼のメンタルだよ」
ゼミ生たちが、口々に感想を述べる。お前らにだけは言われたくない。
「一度デートしかけただけだし、それから姉弟仲が悪くなったわけでもない。だからこうして笑い話に出来るんだよ」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんなのさ」
ピロリン。スマホが鳴った。
着信音に真っ先に反応したのは、所有者の俺ではなく隣に座っていたゼミ生だった。
「何だ? 彼女か?」
「彼女じゃねぇ。……彼女候補ってところかな」
そう。あれだけ痛い目に遭いながら、俺は未だにマッチングアプリを続けているのだ。
相手が美鈴姉さんだったというのは結果論で、その恐ろしい真実が明らかになるまでのおよそ一週間、俺は非常に充実した日々を送っていた。
みーさんとのメッセージは、心底楽しかった。胸を張って、俺はそう言える。
みーさんにいいねは送らない。それだけ気を付けていれば、二度とあの悍ましい出来事は起こり得ないわけで。
それに、マッチングアプリ自体に罪はないしな。
……なんて、もっともらしい言い訳を並べてみたけれど、詰まるところ俺はマッチングアプリにハマってしまったのだ。
認めよう。彼女が欲しいです。
自分の欲求に素直になった上で画面を見ると、何やら新しい女性とマッチングしたとか。
新たにマッチングした女性との相性は、70パーセント。90パーセントとまではいかないが、かなり高いパーセンテージだ。
取り敢えず、相手が従姉妹でないことを願いながら、俺は『よろしくお願いします!』とメッセージを送るのだった。