第九十九話 今度はただいまを言いに
妹の決断に、智世は嬉しいような寂しいような想いでそっと目許を拭った。
穂華の決断に強く頷いた照真は、そのままクルリと咲光と総十郎を見た。座る二人が浮かべるのは怒りでも呆れでもない。どうしてか、困ったような泣きそうな嬉しそうな顔をしていた。
「…うん。照真がそう決めたなら。もう異論はないよ」
「分かった。お前の決断を信じよう」
「ありがとうございます」
咲光と総十郎も認めてくれた。穂華はホッと息を吐くと、身体から力が抜けた。見た目にそれが分かり照真はクスリと笑う。
が、すぐに「穂華」と総十郎に呼ばれ、ピシリッと背を正す。
「一緒に来るなら、一つだけ条件がある」
「条件…?」
「絶対に家族全員から了承を得るんだ。俺達も挨拶には行くが、説得はお前がしろ」
「! はいっ…!」
出された条件に穂華はしっかり頷いた。
♦♦
智世と共に神社に来なかった数日の間に、穂華はすでに自分の決意を家族に伝えていた。
智世には妖というモノが視えている事。同じように視える人が困っている智世を助けてくれた事。自分の所為でその一人が大怪我をした事。一緒に旅に行きたい事。両親と兄姉に全てを伝えていた。
が、当然最初からいい返事などもらえるはずもなく。元々信じていない両親の反応は特に良くなかった。唯一、兄と姉はその後も訴える穂華の話をちゃんと聞いてくれた。
「……分かった。お前がそこまで言うなら」
「うん…。穂華、いつの間にかそんな風に思う子になってたんだ」
そして、穂華の背を押してくれた。その優しさに涙が出たが、穂華は続けて両親を説得し続けた。
が、承諾は得られず、先に咲光達にお願いする事にした。ここで駄目だと言われれば、穂華の決意は水の泡となる。緊張しっぱなしだったが、照真が承諾してくれた。
残るのは、両親の承諾のみ。
「……あんたらが、穂華を連れてく気か。妖なんて訳分かんねぇモン言い出して、いるわけねぇだろう」
穂華の同行を承諾した数日後、咲光達は天城家を訪れていた。今日は堂々客として正面から入って来た。
穂華の両親、二人の兄と、姉、智世と穂華。そして咲光、照真、総十郎が集まっている。どこかピリピリと緊張した空気が室内に漂うが、咲光達は全く気にした風はない。
大事な娘が訳の分からないモノを信じて出て行こうとするのだ。当然だろうと総十郎も内心頷く。視えない人々の反応はこれまでにも多く見て来た。
総十郎の傍らで、咲光は静かに口を開いた。
「お父様が仰る事は尤もです」
「咲光さん…」
「ですが、妖を信じ、それを知る為に穂華さんは旅に同行したいわけではない。という事はどうかご理解下さい」
両親と子供達で喧嘩はして欲しくない。それで家族の間に亀裂が入ってしまうのは、自分達も望まない事だから。
自分達がここへ来たのは、同行する者として、しかと伝えなければならない事があるから。
「旅において、穂華さんの身の安全は確保します。危険な事は私達がします」
「穂華さんは、守られて、後ろに隠れている自分を変えたいと願っています。穂華さんの気持ちだけは聞いてあげて下さい。お願いします」
照真の言葉に兄姉が僅か目を瞠った。「穂華…」と小さな声が穂華に向けられるが、穂華はぎゅっと膝の上で拳をつくるばかり。
結局、両親の返事はなく、咲光達は天城家を後にした。それから数日。穂華は両親の説得に奔走した。
さらにしばらく経った頃。そろそろ鳴神の所へ行かなければという日に、穂華が嬉しそうに「両親から許可が出た」と報告に来てくれた。咲光も総十郎も一安心し照真も喜んだ。
♦♦
出発の日。神社で神主に挨拶し、三人は天城家へ向かう。準備があるだろうという事で、こちらから迎えに行く事にしたのだ。
店は忙しい時間を抜け少し落ち着いているようだ。すぐに智世が三人を見つけて駆け寄って来た。
「皆さん。…もう行かれるんですね」
「はい」
「智世。あれから雑鬼は来てないか?」
「はい。大丈夫です。鳴神さんに頂いたお守りも、こうして首から下げられるようにしたんです」
「それ良いですね!」
これなら失くさないし忘れる事もないと智世も笑う。
そんな話をしていると、他の兄姉がやって来た。
「皆さん。智世を助けていただいて、本当にありがとうございました」
「穂華の事……お願いします」
「はい」
深々と下げられた頭からは、それだけの想いがにじみ出ている。大事な妹を預かるのだ。咲光達も身が引き締まる。
店の奥から慌てたように穂華が飛び出して来た。
「遅れてごめんなさい!」
橙地に笹の葉の着物、藤色の袴に黒い羽織。旅をしやすいようにと、これまで着ていた可愛らしい着物から様相も大きく変えた。
肩より少し長い髪を揺らし、背に鞄を背負って三人の元へ走って来た。出発にも慌てて出て来た妹に、兄も姉も心配そうに眉を寄せる。
「忘れ物ないだろうな?」
「薬持った? 日持ちする食べ物は?」
「皆さんに我儘言っちゃ駄目よ。お転婆も程ほどにね」
「もーっ! 大丈夫! 心配しすぎ!」
プンスカと怒る穂華にも兄姉は当然という表情。そんな様子に咲光もクスリと笑みがこぼれた。
微笑ましい光景の後ろから「穂華」と呼ぶ声が聞こえ、穂華はハッと視線を向けた。そこには両親がいた。何度も何度も話して、説得して、そしてやっと頷いてくれた。
(分かってる。心配してくれてるんだって。でも行くの)
鞄を背に立つ娘に、父も母も不安そうに目を細める。そんな家族を、咲光達も少し離れてそっと見守った。
「………皆さんに、迷惑かけるんじゃねぇぞ」
「うん……」
「くれぐれも…気ぃつけろ」
「うん……」
「いつの間に、こんなに大きくなっちゃって……。子供なんて…もう言えないね…」
「ううん…。私まだまだ子供だよ。だから行くの。もっと立派になって、帰って来るね」
「穂華……」
決意を目にまっすぐ見つめて来る目。いつの間にこんなにも成長したのか。少しの寂しさと嬉しさが胸でざわめく。
ぽろりと一筋涙を流す母に、穂華はギョッとしながら必死に宥める。そんな二人に、父も兄も姉も少しだけ瞳を潤ませた。
「……行ってらっしゃい。穂華」
「うんっ…。行ってきます!」
大きく手を振って、穂華は旅を始める。
咲光達も天城家の面々に頭を下げ、穂華と共に歩き出した。その姿が見えなくなるまで、智世達家族は見つめていた。
初めての旅。弾けるように明るい穂華の表情が微笑ましい。
「これからどこへ行くの?」
「鳴神さんの所に行くんだ。神来社さんに頼みがあるんだって」
「鳴神さんの? おうちの神社?」
「うん」
コテンと首を傾げる穂華に照真は頷いた。
これからの旅の中、穂華にも話しておかなければならない事がいくつもある。それは鳴神の元に着くまでにゆっくりしていこう。
「これからも、楽しい旅になるといいですね」
「そうだな」
咲光に言葉に、総十郎も笑って答えた。




