第九十六話 もう、逃げない
咲光はもう少し総十郎の事を知りたいと思い、視線を向けた。
「神来社さんはいつ頃“頭”に? 入所して三年程で、だとは聞いていたんですが…」
「……日野だな。言ったの」
首を傾げた咲光に、総十郎は少しだけ眉を寄せた。少し機嫌を損ねてしまったのかと不安になったが、総十郎はすぐに記憶を手繰るような表情を見せ、そのまま腕を組む。
「……もう六年くらいになるか」
「そんなに長く…!?」
驚きを露にする咲光に、総十郎は「長くない」と笑った。
「実力があれば、十年二十年も務めた人もいる。今の“頭”の中じゃ、祓衆“頭”、雨宮さんが一番長く務めてる」
「雨宮さん…」
「ただ…」
続けられた言葉に咲光は首を傾げた。そこで何故「ただ」という言葉が出て来るのか。
胡乱気な視線に、総十郎は今結界を張っているだろう同僚を思う。
歩んできた道は知らない。してきた努力も苦労も計り知れない。視えないのに。視えなかったのに…。何故この道を選んだのかも本人の口から聞いた事はないが、総十郎は「これかもしれない」というその断片は知っている。
「ただ、時間以上に、鳴神は努力を重ねて“頭”になった奴だ。アイツは凄いぞ」
♦♦
「っ…えっくしゅん!」
「大丈夫ですか? 風邪?」
穂華と照真が鳴神を見る。鳴神は大丈夫だと身振りで伝えた。
「大方、神来社が俺の話してるんだ」
「お二人は仲良いんですね」
「まぁな」
ニッと笑う表情はまるで子供のようで、照真も胸がほっこりとする。
結界を張り終え、これで大丈夫だと智世に伝えたばかり。鳴神は術に用いた数珠を智世に渡した。
「俺がいなくてもこれが術を維持させてくれる。大事に持っておいてくれ。もし、色が濁ったり亀裂が入ったりしたらすぐ知らせてくれ」
「分かりました」
「それから、出歩く時はお守りを持ってるといい。今はこれを渡しておく」
鳴神は智世の手にお守りを渡した。細かな刺繍が施されてある美しい袋で、中には護符が入ってあるのだという。
その表面に同じように刺繍されている神社の名前には聞き覚えがあり、智世は鳴神を見た。
「わざわざこの神社で頂いて来てくれたんですか? それとも、この神社のお守りが良いんでしょうか?」
智世の問いに鳴神は「ん?」と首を傾げたが、すぐに納得がいったように「あぁそれな」と笑った。
刺繍されているのは、ここから馬を急いで走らせても、慣れていないと一日半はかかるような場所にある、大きな神社の名前。
穂華もお守りを見て「わっ」と智世と同じように驚く。それを見て鳴神は笑った。
「うちの神社だから。御守りはどこのでもいいけど、うちがいいなら毎年贈るぞ?」
「あぁ…鳴神さんのご自宅のものなんですね。それなら良か……え?」
「え?」
「………えーっと、鳴神さんは神社の方……なんですか…?」
「うん、そう。っていっても、兄貴が継いでて俺は手伝いしてるだけだけど。妖退治が本業だから」
照真、智世、穂華が口を開けて目を剥いて固まる。え、そうなの。初耳。と言いたげな表情に「言ってないもん」と笑って返される。
(神来社さんもだけど……。やっぱり神社やお寺の人が多いのかな…?)
まさか鳴神もそうだったとは…。驚いていた智世も、お守りと数珠、そして鳴神を見て深々と頭を下げた。
「本当に…ありがとうございます」
「仕事だ。気にす……」
「いでぇーっ!」
急に耳に入った悲鳴に、鳴神も言葉が止まった。続いて「まるまるぅ!」と涙に濡れた悲鳴が聞こえる。
三人の視線が揃って塀の向こうに向き、穂華は首を傾げて智世を見た。「声がして…」という智世に、妖かと少しだけ身構えてしまう。
登れないよう覗けないよう結界は張ってある。なので声だけが外から聞こえる。塀向こうの雑鬼の日常会話くらいなら気にならない距離が庭によって確保されてあるので、叫ばなければ声も届かない。
が、今回は違うようである。
「まるまるどうした!? 誰にやられたぁ…!」
「けっ…結界がぁ! なんであるんだよぉ…」
「何だとぉっ! ど、どこだ…? 確かに嫌な感じは…いだぁ!」
「とっとぉ!」
「はっ、鼻削れたぁ!」
鳴神と照真が何とも言えない表情で声のする方を見つめる。声だけ聞いてればなぁ…と思うが、鳴神は照真に問う。
「……えーっと、あれがそう?」
「…いえ。あれはどちらかというと、智世さんを助けてくれていた雑鬼です」
「あー、そうなの。……そんな子らいたの?」
「はい。ちょっかい出す側と、それを撃退していた側が」
照真は大雑把に二つの雑鬼の集団を説明した。その話に少しだけ鳴神も珍しいなというように「へぇ」と息を吐いた。
好意的で助けてくれたり力になってくれたりする雑鬼。心当たりは鳴神にもある。少しだけ口端が上がった。
「…あの、鳴神さん」
「ん?」
「あの子達も、もうここには入れないんですよね……? 結界があるから…」
「あぁ。………入れたいか?」
キュッと胸の前に握った手に、鳴神は智世の意を察した。
首を傾げる鳴神に、智世は少しだけ力なく笑みを浮かべた。下がった視線は暖かさをもって、昔を懐かしむ。
「子供の頃に、溺れていたのを助けた事があったんです。そのお礼を…これまでずっとしてくれていて。私はずっと忘れていたのに…」
「………………」
「ずっと、視たくないって思って視えないフリをしてきました。でも……皆さんに会って、もう、視えないフリはやめようと思ったんです。もう、したくないんです」
まっすぐな目が自分を見つめる。
ずっと視えていたから、智世がそうしてきたのは仕方ない。けれど、これからは向き合おうとしている。
それを見て、鳴神は優しくもあたたかなものを見つめるように、そっと目を細めた。




