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縁と扉と妖奇譚  作者: 秋月
第六章 天城編

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第八十七話 引きづられない、信じてるから

「ありがとうございます。でも、このまま戻ると、姉に叱られますので」


「……照真しょうまさん」



 何かあったのだ。それは何となく分かる。なのに照真は…。

 智世さよはキュッと唇を引き結ぶと、少しだけ強くはっきりと告げた。



「では、後三十分だけお願いします。穂華ほのかはたぶんこのまま寝てしまうので、私ももう休みます」


「分かりました。では、三十分後には声をかけず、俺は戻ります」


「はい」



 照真の姿はすぐに消えた。それを見送り、智世は震えそうになる体を叱咤して、穂華を連れて部屋へ戻った。








 三十分が経ち、照真は静かに屋敷を後にした。幸いにも、一連の事は家人にも気づかれていない。


 屋根から屋根へ跳び、照真は神社へ急ぐ。それでも、不思議と三十分前程心は焦ってはいなかった。



(姉さんと二人だけだったら、すぐにでも飛んで行ったかも。でも今は、神来社からいとさんが居てくれるから)



 今もきっと咲光さくやの傍に付き添ってくれているだろうから。

 総十郎そうじゅうろうの存在がとても頼もしくて心強い。ありがたいような泣きたいような気持ちになった。


 血を流していた咲光の姿が脳裏をよぎる



(でもさ、やっぱり怖いよ。覚悟はしていても、やっぱり……)



 もう失いたくないのに。咲光を見て、妖と戦うのとは全く違う恐怖に襲われた。

 そこまで考え照真はブルブルと頭を振った。



(悪い想いは悪い方へ引きづられる原因! 大丈夫大丈夫! 俺が信じなくてどうする!)



 自分にそう言い聞かせ、照真は神社へ急いだ。






♦♦




 神社へ一足先に戻った総十郎は、咲光を抱えたまま神主の部屋へ飛び込んだ。

 夜遅い事を詫び、急いで医者を呼ぶよう頼むと、咲光を見て顔色を変えた神主はすぐさま動いてくれた。


 医者が到着するまで、総十郎は部屋に咲光をうつ伏せに寝かせると、冷えた体を温めるために手拭いで水気を拭いた。



「悪い、咲光」



 無礼を承知ですぐに夜着に着替えさせ、傷に触らないよう布団をかけ身体を温めるようにする。同時に暖を取れるよう炭をくべる。


 咲光は意識を失っているが、その表情は苦し気だ。髪を除けて見える傷口からは少し血が出ている。



「咲光、頼む。頑張ってくれ…!」



 大丈夫。傷は深くない。ただ少し開いてしまっている。

 ずっと腕に感じていた冷えた体。苦し気な表情。悪い気を払うように総十郎は首を振った。



「大丈夫。お前は大丈夫だ」



 悪い気は良くないものを引き寄せる。人の手でどうにかできる事態でなくても、心が堕ちてはいけない。

 だから総十郎は心に想い続ける。信じ続ける。それが時には良い事を引き寄せる力になると知っているから。


 そこへ、慌てた神主と医者が飛び込んできた。すぐに医者と交代すれば処置が始められる。医術に関して総十郎が出来る事はないので、医者の手伝いに回った。



「神来社さん! 姉さんは…!」


「処置中だ。大丈夫」



 それから少し、戻って来た照真はすぐに総十郎と共に駆け回った。



「照真。血の付いた布は焼き捨てるからまとめといてくれ」


「はい。でもこれ、焼くんですね」


「血はそのまま捨てると良くない。連想させる負が強いからな。浄化の意味を込めて焼く」


「成程」



 小さな焚き火を作ってすぐに焼き捨てる総十郎。えっさえっさと手伝いに奔走する照真。

 焚き火の灯りを前に、総十郎は照真を見た。出会ったばかりの頃は畑の傍でうずくまっていた姿が今はどうか。


 朝日が昇る頃、処置を終えた医者と神主が部屋から出て来た。それに気づいた照真はすぐに駆け寄る。不安で仕方ないという表情は、その後ろにいる総十郎も同じだった。



「先生。姉さんは……!」


「安心せい。処置は上手くいった。後は傷がこれ以上広がらんように絶対安静じゃ。よう持ちこたえた。立派な姉さんじゃ」


「っ! ありがとうございますっ…!」



 何かあればすぐに来るよう念押しし、医者はひとまず帰って行った。同じように何かあればすぐにと念押しし、神主も戻っていく。残された照真と総十郎はそっと部屋の扉を開けた。


 空気がよどまず、咲光に直接風が当たらないよう、少しだけ部屋の扉や窓を開け二人は咲光を見つめた。

 顔色も随分良くなっている。表情も穏やかで呼吸も落ち着いている。



「……っ、はぁー…っ」



 照真と総十郎、揃って安堵の息が深く長く零れて床に座り込んだ。目許を覆ったり、天井を仰いだり、二人もやっと緊張から解放された。



「よかっ……本当に……」


「あぁ…。照真。少し休め。ずっと緊張してただろ?」


「神来社さんだって…。先に少し休んでください。俺なら…」


「これくらいの徹夜は慣れてる。ほら」



 そう言って、照真の背を押した。そのぬくもりとどこか姉に似た空気に、照真は咲光が落ち着いているのを見て眉を下げた。

 きっと総十郎は先に休まないだろうなと姉との経験から分かる。それが少しだけ嬉しいような悔しいような気がした。



「分かりました。先に少し休みます」


「あぁ」



 言葉に甘え、照真が隣室へ入って行った。それを見送り総十郎は咲光を見つめた。

 うつ伏せにされ、布団の代わりに総十郎の羽織をかけている。

 そっとその頬に触れれば確かに温もりがあって、総十郎は優しくも泣きそうな表情で咲光を見つめていた。






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