第八十四話 狙うもの、狙われるもの
そう考えた咲光はある事を思い付き、智世を見た。
「少し外します。もしかすると一瞬だけかなり煩くなるかもしれません」
「はい…? 分かりました」
咲光はスッと外へ出るとすぐに屋根へ上った。
膝をつくのは丁度智世の部屋の上。腰の刀を抜き、スッと眼前へ掲げる。刃は月明かりに照らされ、白銀に輝いている。
流石に屋根に突き刺すのは憚られるので、眼前に掲げたまま、そっと目を閉じた。
(悪しきモノ、妖しきモノが、この屋敷へ立ち入りませんよう――)
雑鬼対策と、そして今智世を狙うモノから護る為、この地を清め、妖が近づけないようにする。しかし、決して何日も持つような手ではない。あくまでも、事の解決と総十郎が打つ手が成されるまで。
咲光はトンッと屋根から降りると、一声かけて智世の部屋へ戻った。室内では、智世が驚いた表情のまま戻って来た咲光と天井を交互に見た。
「今、すごい音がして……なんだか逃げて行ったようなんですが…」
「少しの間、妖が近づけないようにしました」
「そんな事が出来るんですか?」
「何日も持つものではありませんが、その場しのぎにはなります。今日はゆっくり休んでください」
「ありがとうございます」
何をしたのか、智世は問わなかった。ただ、咲光の笑みにホッとしたような顔を見せた。
そしてすぐ、咲光は穂華の姿が無い事に気付き、首を傾げた。
「穂華ちゃんは?」
「喉が渇いたって、台所に…」
智世が最後まで言うより先に、咲光は反射的に部屋を飛び出した。家人を起こさぬよう音をたてないよう注意しながら。
(おかしい…! 屋根の上からは感じなかったのに、どうしてこんな近くに…!?)
突然の妖気。それも屋敷のすぐ前から。
屋敷はついさっき清められ、妖は近づくのを嫌がる。だからこの妖気の主も入ってこようとはしない。しかし、屋敷の前にいる。
バッと塀を飛び越え川沿いの表通りに出た咲光は、つらりと頬に汗を流した。
目の前に、宙に浮いているというよりも、まるで泳いでいるような、魚型の妖がいた。口には牙が並び、広がった胸ビレはまるで翼のよう。その先端は尖っていて月明かりに光っていた。
その姿から視線を逸らさず、刀を抜いた。
(血の匂いはしない。大丈夫。穂華ちゃんは家の中…)
妖の妖気が肌を刺す。例えそれが、これまで戦って来た禍餓鬼や虚木、森の妖には及ばない程度のものでも、決して油断は出来ない。
妖の眼光が咲光を睨む。屋敷に近づけず苛立っているのはよく分かった。ギリギリと牙が合わされ、ガサガサと不気味な音が鳴る。それが鱗から鳴っているのだと解ると、咲光は瞬時に飛び退いた。鋭く伸びたヒレの先端が咲光が居た場所を貫いた。
退いてすぐ、咲光は距離を詰めるため地を蹴った。もう片方のヒレの先端が伸びてくる。先端を避け、過ぎゆく針を横から斬る。そうすればパキリと針が折れた。
(強度はそれほどじゃない)
水中で泳いでいるかのように妖はスイスイと動き回る。自由なその動きを追いながら、咲光は刀を振るった。
♦♦
雑鬼達が話してくれた二体の妖。町や町のはずれを探し回り、やっとそれらしい妖気の残滓を掴んだ照真と総十郎は、町のはずれまでやって来ていた。
(妖気は二種類あった。一つは追えなかったが、もう一つはこの辺り……)
いかに総十郎であっても、消えかけている残りから探し回るのは苦労する。ここまで来たが、その妖気の主が必ずいるかは分からない。
周囲を何も取りこぼさぬよう睨んでいた総十郎は、ある一点を見つめた。「神来社さん」と照真も小さな声をかけてくる。二人は頷き合うと、その妖気のする方へそっと足を進めた。いつでも抜けるよう刀に手を添えておく。
隠れようとしているのか、妖気は抑えられている。が、それが完全に消える事はない。僅か感じる気配を探る。
進んだ先で、草木の間に身を潜めるように、その妖はいた。スッと開かれた目が二人を見つめる。
「万所の人間か…」
照真と総十郎は、油断なく妖の前へ出た。
それは、大きな獣型の妖だった。白い毛と鋭い眼光。その体は犬や猫より遥かに大きく、人が一人や二人は乗れそうだ。
が、その姿を視て照真は内心で首を傾げた。
(あれ…? 妖気は、それほど強くも弱くもない。でも、人を襲ってるような禍々しさもない…。何だろう、この感じ)
少しだけ違和感を覚えた。自分にとって、おっかないという表現はこの妖には結びつかない。が、あくまでそう言ったのは雑鬼。感覚の違いかと自分を納得させる。
その隣で、総十郎が一歩前へ出た。
「最近、町で妖による行方不明事件が起きてる。お前の妖気も残っていた」
「だろうな。町には何度も行っている。だが、言っておくが、人間とは関係がない。俺の目的は人間じゃない」
「目的?」
その言葉に、総十郎が眉間に皺を刻む。同じ表情を見せる照真にも「そうだ」と妖は頷いた。
「もう一体の妖の妖気も残ってた。そいつを知ってるか?」
「知っている。あれは俺の獲物だ。万所の人間でも邪魔はさせない」
その一瞬、妖は照真と総十郎を睨み上げた。僅か強くなる妖気から、充分な位威嚇が伝わる。
が、だからといって引く事はできないのが二人の仕事。
「どうやら、同じ目的のようだ。悪いが、邪魔になると言われても俺達も引けないな」
「勝手にしろ」
そう言ってすぐ、妖が耳をピンと立てた。サッと立ち上がるとどこかを睨む。急に空気の変わった妖を視て、照真と総十郎も身構える。
妖が睨むのは町の方。その目はどこまでも鋭い。
(何だろう。嫌な感じがする…)
もやもやと正体の掴めない不安が急に生まれる。
いてもたってもいられず、照真は駆け出した。その後をすぐに妖と総十郎が駆け出した。




