第八十三話 二手に分かれ
(……何で、忘れてたんだろう…)
あの時が初めて、妖と話をした瞬間だった。今なら、あの時ニッと笑みを浮かべていた二匹をはっきりと思い出せる。
昨晩も、今朝も。それに昨日の昼間も。これまでも。
(とっととまるまるは、ずっと……。私、忘れてたのに……)
出し切ったと思った涙がぽろりと零れた。それをそっと拭い、智世は揺れる瞳で頷いた。
「はいっ、はいっ…! 分かります。ずっとっ…ずっと助けてくれました……!」
涙に濡れても、その笑みはすっきりとしていて嬉しそうで、咲光達もあたたかな笑みがこぼれた。
涙が収まると、総十郎は表情を引き締め、智世にそっと真剣に告げた。
「智世。妖が視えるという事は危険もある。夜は一人で出歩くな」
「はい。分かりました」
「それと、さっき妖が家の中に出るように言ってたが、それはよくあるのか?」
「はい…。家に入り込んで来て物を倒したり、私が寝ていると、天上裏を走り回ったり…」
出てくる内容に、総十郎の眉間に皺が刻まれていく。それは咲光も照真も同じ。
それはとても見過ごせんな。三人の表情が同じ事を言っているのを見て、智世も穂華も三人を順に見やりながら、何と声をかけようか迷う。
ふむ…と刹那思案した総十郎が、すぐに対処法を示した。
「それについては俺が手を打つ。後数日だけ辛抱してくれ」
「はい…?」
疑問符を浮かべる智世と穂華だが、それ以上は言わず、総十郎は咲光と照真へ視線を向けた。
「昨夜の事もある。智世の警護と主犯の捜索を同時に行うのも手だと思うが、どうだ?」
「賛成です。私が智世さんの警護をします。神来社さんと照真で捜索をするのが適任だと思います」
「姉さん…」
「大丈夫。照真、お願いね」
「…分かった」
主犯には実力ある総十郎が向かうのが適任。そして何よりそちらに人員を割き、早急に決着をつけたい。智世の警護も同性の方が智世も安心できるかもしれない。そう判断した咲光に、総十郎も頷き、照真は少し心配そうながらも頷いた。
今後の行動が決まり、咲光は智世を見る。
「昨晩の事もあります。今夜は、私が天城家で智世さんの警護をします」
「! けいっ…そんなとんでもない!」
「いいえ。これが仕事ですから」
「ですが……」
申し訳なさそうな顔をする智世だが、全く苦でも面倒でもないという咲光の表情と声音に、最終的には頷いた。
本人から承諾を貰え、咲光はホッと一安心の息を吐き、スッと背筋を正される思いだった。
その夜。咲光はこっそり天城家にお邪魔した。
昼間の内に堂々と、というのも考えたが、隠密行動が基本であり警護の内容が内容なだけに、そうも出来ない。なので昨夜のようにこっそりやって来て、庭にスタッと着地したのだ。
周囲に人はいない。家人も起きていないようだと気配を探る。念のため、智世の部屋の前まで行き、室内の気配を窺った。
「咲光さん…?」
中から小さな声が聞こえた。まだ起きている事に少し驚きながら、咲光はそっと縁側に膝をつくと、「はい」と小さく返事をした。
そっと襖を開ければ、智世と共に眠いのを我慢している穂華もいた。その眠たそうな目は咲光を見てハッとし瞼を擦った。
スッと室内へ入りすぐに障子を閉める。室内の灯りは、他の家族に配慮してか、蝋燭の灯りだけだった。
「お休みにならないんですか?」
「…なんだか眠れなくて」
「そうですか…。穂華ちゃんは寝ないの?」
「…はい。お姉ちゃん、心配だから」
妹の言葉に智世は優しく見つめる。我慢しながら傍に居る。そんな姿が微笑ましい。
「確か、お兄さんとお姉さんは信じてくれているんですよね。仲が良いんですね」
「はい。兄も姉もいつも優しいです。その分厳しさもありますが、「何かあればすぐ言え」って言ってくれて」
不思議な話でも信じてくれる兄姉と、我が子の言葉とはいえ視えないものを信じられない両親。
無理もない。兄や姉に今の事態を話せばきっと心配してくれるだろうと思うと、咲光は照真を思い浮かべた。
少しだけ沈んでしまった空気に、穂華が「あの…」と声を小さく咲光に問う。
「照真さんと神来社さんは?」
「二人は別行動中。もう一つ、しなくちゃいけない事があるから」
「そうなんですか…」
何をしているのか。聞いてみたいけど聞いていいのかな。そう思っていた穂華は、智世がビクリと肩を跳ねさせ、咲光の視線が天井に向いたのを見て首を傾げた。
「……これですか?」
「…はい。夜はよく…」
「これは……眠れないですね」
ドタドタドタッと走り回る足音。踏みつけるような大きな音。それが響いて来る。
それを聞きながら、咲光は少し考えるようにじっと天井を見た。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「…今ね、天井裏から走り回るような音がしてて…」
穂華も天井を見るが、何も聞こえない。視えない事が少しもどかしい。自分も何かしたいのに。
二人の会話を片耳で聞きながら、咲光は総十郎に言われた事を思い出す。
(雑鬼達はたぶん苛立ってる。昼夜問わず外には出づらいし、常に恐れが近くにあるから)
だから智世へのいやがらせが増してくる可能性があると、総十郎は言っていた。
手を打つと言った総十郎は、昼間どこかへ手紙を書いていた。それは式となって飛んで行った。本部に何かを伝えたんだろうと思われる。
その返事が来るまで、何か出来る事はないだろうか。




