第八十二話 蓋をした記憶
涙が収まった智世は、すっきりとした表情を見せた。それにホッと安堵しながら、席へ戻った照真は問う。
「智世さんが視えているのは、ご家族は承知なんですか?」
「いえ…。兄と姉、それに穂華は知っていますし、信じてくれています。ですが、両親は…」
「そうですか…」
「皆さんも、視えているんですよね…? 昨晩のあれは、何なのですか? 皆さんは一体何をなさっているんですか?」
問われても、すぐに答える事は出来なかった。
万所は隠密行動が基本であり、無闇に妖について口外してはいけないとしている。絶対ではなくとも、それが望ましいとされている。
昨晩の事。狙われている事。それらを鑑みて、総十郎は思案する。そして、隣から向けられる迷う視線に、「妖の事だけな」とそっと返した。
それを受け、咲光と照真は頷くと、智世の問いに答えた。
「智世さんにちょっかいを出してきたり、昨晩の件は、妖という存在によるものです」
「あやかし……?」
照真の言葉に、智世も穂華もコテンと首を傾げる。聞いた事もない呼称だ。それでも怪しいモノなのだと何となく分かる。
二人に、咲光がゆっくりと説明を続けた。
「人の生活の片隅に生きているモノ達です。視える人や視えない人がいて、視える智世さんが珍しくてちょっかいを出してくるんです」
「私が…視えるから……」
「けれど智世さん。決して、そんな妖ばかりではありません」
ふと沈んでしまった智世に、咲光ははっきりと告げた。
その声音に智世が顔を上げる。不思議そうな智世の目に、咲光は笑みを向けた。
「昨夜、二匹の妖があなたを守ろうとしてくれました。昔、あなたに命を助けてもらったから、他の妖からのちょっかいから助けるんだって言ってました」
「え………」
視える事も、視えるモノも恐怖でしかないのに。
怖いけれど、昨夜の事を思い出す。自分の前で手を広げていた小さな妖が居た。その時は恐くて恐くて、助けてようとしてくれたなんて考えも及ばなかった。
(だけど、咲光さん達がここに居るって、教えてくれたのも…)
今朝部屋を出ると、庭の石の陰で寝息をたてていた。思わずその姿にビクリと肩が跳ねた途端、その二匹は目を覚まして、目が合った。
近付いて来る事もせず、ただ「退治人なら神社だぞ」とそれだけを言って去って行った。まるで、怖がっているのを分かっているかのように。
(でも、どうして……。助けたって…いつ…)
視えないフリをし続けてきたこれまで。それよりも前の記憶を掘り起こし、ふと思い出した。
♢♢
そこに居るんだって、言っても言っても信じてもらえない日。自分にしか視えない事に、どうしようもないような苛立ちや無力感、孤独感を抱えていた、ずっとずっと子供の頃。
他の人には視えない。だから「変な子」って陰でずっと言われていたのを知って、一人になりたくて、私は広場にいた。
膝を抱えて蹲って、ただじっと座っていた。
(なんでこんなの視えるんだろう…。もう嫌だな…)
視えなきゃいいのに。そう思ってぎゅぅっと膝を抱えた時だった。
「うわぁぁぁ! 助けてくれぇ!」
「!」
いきなり泣き叫ぶ声が聞こえて、私は驚いた。
誰かが助けを求めてる。すぐにそれが分かって、思わず声のする方へ走った。でも、走って行っても困ってるような人はいない。人の少ない広場の中で、皆のんびり過ごしてる。
「げぼっ! たっ、助けてぇぇ!」
また聞こえた。声のする方へ走っていった私は、視えたものに肩が跳ねて思わず足を止めた。
広場の中にある池。そこに小さくて人じゃないモノが二匹、バシャバシャ水しぶきを上げていた。溺れてるんだってすぐに解った。
「たっ、助けっ…!」
「し、しっかりしろぉ…!」
今にも沈んでしまいそうな二匹。でも、私は助けられなかった。
私の傍を一人の男の人が通り過ぎていく。池に目もくれないで。
ぎゅっと握った手に、汗がにじんだ。ここで、池に入ったら、一人で池に飛び込んだ変な子になる。また、そう言われる――
(み、視えないフリ…。視えないフリ…すればいいの……)
そうすれば、周りと一緒。
そう思って、池から離れようと、
「げふっ。ぶふっ、げ、ごぼぼ……」
「おい、とっと! とっと! 頑張れ死ぬな!」
「っ……」
――出来なかった。
子供なら池の底に脚はつく。そこをバシャバシャ掻き分けて入って、その二匹をすぐに抱えて水際まで戻った。
水から上げてあげると、二匹はじっと私を見ていた。でも、私は声なんてかけられなくて。
水から上がろうとした時、近くにあった岩に滑ってすってーんと転んだ私は、びしょ濡れになって家に帰る羽目になった。
家に帰れば、母に怒られた。体が冷えて少し体調を崩してしまった私に、「一人で何池なんか入ってるの」ってため息ついてた。
布団に休んでいた私は、「おーい」って声が聞こえた気がして、布団を抜けて庭に面した障子から顔を出した。
「あ、いた!」
「本当だ。いた」
そしたら、溺れてた二匹がやって来た。私は驚いて言葉が出なかったけど、二匹は気にしてないみたいに話し出した。
「ありがとうな。助けてくれて。危うく死んじまう所だった」
「ありがとな。俺、まるまる」
「俺、とっと」
「……ううん」
とっと、と名乗ったのは手足の短い生き物で、まるまる、と名乗ったのはその通り丸い生き物だった。
ちょっと驚いていた私にも二匹は構わずにお喋りだった。
「礼しようと思ったんだけど、人間の子供は何が良いのか分かんなくてさ」
「……いらない」
「そっか? んじゃ、何かあったら言えよ。今度は俺達が助けに来るから!」
いらないって言ってるのに。
言いたい事は言ったから帰る、と言いたげにクルリと背を向けたとっとが、不意に私を振り向いた。
「俺達はちゃんと知ってるからな。お前は、俺達を助けてくれたんだって」
そう言うと「じゃあなー」とててっと屋敷から出て行った。
♢♢




