第八十話 守るモノ、狙うモノ
(いや……もう嫌っ…!)
ただただ恐ろしくて仕方がない智世の耳に、空気を裂く音と、すぐ傍でしたトンッという小さな音が耳に入った。そして――
「もう大丈夫ですよ」
昼間と、同じ声がした。
恐怖の中で、その声は柔らかくて、智世はハッと顔を上げた。すぐ傍で咲光が微笑んでいた。
「……さ…くや…さ」
「はい。突然お邪魔してすみません」
何故、なんて言葉は出てこない。喉が震える中で、智世は咲光の視線が動くのに合わせて、庭の方へ視線を向けた。
「!…ぇ……」
「遅いぞ! 危なかったじゃないか!」
「悪かったな。にしても、よく出て来たな」
「本当に。昼間も今もありがとう」
庭に照真と総十郎がいた。しかも、その手には白銀に光る刀が握られている。
状況が全く分からない智世は、庭で妖と対峙する二人と咲光を交互に見つめた。震える体から何とか言葉を絞り出そうとした矢先、照真と総十郎が動いた。
妖の舌が素早く伸びてくる。が、それに掠る事もなく、総十郎は刀ではなく鞘を抜くと、妖の腹に滑らせ振り上げた。ぐえぇっと息が漏れ妖の身体が宙に舞う。
同じように鞘を使い、照真が屋敷の外へ妖を叩き落した。照真はそのまま戦いに向かい、総十郎は咲光を振り返えると頷き、すぐに照真の後を追った。
それを見送り、咲光は視線を智世に向けた。
「智世さん。ひとまず横になりましょう。大丈夫。もう怖がることはないですから」
まだ少し放心状態な智世は、咲光を見てそっと頷いた。
智世を支えながら部屋に戻り、咲光は智世を支えながらゆっくり布団に横にした。智世はやっと落ち着いて来たのか、ほぅっと息を吐くと咲光を見た。
「咲光さん達は……あの…生き物が…視えているんですか…?」
「はい」
「その…刀は…?」
「…すみません。それはお答えできません。ですが誓って、人を傷つける為のものではありません」
二人の様子を、縁側から二匹の雑鬼が見つめていた。その気配をずっと感じながら、咲光は智世の傍を離れ、部屋を出ると障子を閉めた。
待っていたと言うように、雑鬼は揃って一歩前に出てくると、声を小さくさせた。
「なぁなぁ大丈夫なのか? さっきの奴ってもしかして……」
「襲われた人間もこの子も…」
どちらも言葉を最後まで言わない。それでも咲光には分かった。企みがあるようには全く感じられない、雑鬼の素直な心配心。その目は心配そうに室の中へ向けられる。
そんな二匹に、咲光も声を潜めた。
「あれは主犯じゃないよ。多分別にいる」
「! やっぱり…。妖気違ったもんな…」
「おっ、俺! 今日は屋根で見張りする!」
「それいいなっ! 俺もやる! 何かあったら叫ぶから、すぐ来てくれよ!」
「分かった。智世さんの為に、ありがとう」
「当たり前だぞ。あの子は、俺達の命の恩人なんだから」
最後はニッと笑って雑鬼達はタタッと駆け出して行った。それを見送り、咲光もすぐに屋敷を出た。
静かになった室の中では、ぎゅっと握られた拳が震えていた。
川沿いの表通りでは、照真と総十郎が妖と戦っていた。
照真は攻撃を斬り、素早く妖を斬る。周囲に被害が出ないよう警戒していた総十郎は、その手際を満足そうに見つめていた。
が、すぐにその表情はスッと引き締められる。それは照真も同じだった。総十郎が、納刀する照真に近づくと照真は一度視線を向け、すぐに消えゆく妖を視た。
「主犯ではないですね」
「あぁ」
総十郎の視線が動く。丁度咲光が戻って来た。最後の塵となり消えた妖を一瞥し、咲光は二人を見つめる。
「恐らく今の妖は主犯の使い走りだ。もしかするとまだ居るな」
「大きな群れでしょうか?」
「いや。大きいとそれだけ妖気も増す。それほどなら雑鬼にも伝わっているはずだ」
視える人間は稀だ。あまりに群れが大きいと、それだけ分裂や仲間割れの危険もある。だから人を襲う妖程、大きな群れは作らない。
狙われているのは智世だ。まだ手下が襲ってくる危険がある。油断出来ないと認識した直後、感じた気配に三人の視線が鋭さを増した。
「退治人ー! マズイ…マズイぞ!」
「いっぱい来るよぉー!」
天城家の屋根の上で雑鬼達が叫んでいる。咲光はそれに頷くと、総十郎を見た。
集まって来る妖気。一つひとつが強大という程ではないが油断は出来ない。
「一匹たりとも屋敷に入れるな」
「はい」
三人はすぐに、天城家を守るように三方に立った。じりじりとこちらを窺ってくる気配。それを前に咲光は刀を抜いた。同じように、二匹の雑鬼が震えながらも気丈に相手に威嚇している。
ミシリ…と一歩を踏み出した足を引き金に、戦いが始まった。
襲い来る妖を斬り、またすぐ刀を振るう。前だけでなく左右も、見過ごす事などしてはならない。決して、この屋敷に足を踏み入れさせてはならない。天城家の人々の為、智世の為に。
総十郎の速く鋭い一閃が妖を斬り、照真の力強い刃が敵を怯ませ、咲光の柔軟で鋭い刃が敵を突く。
一体ずつ、確実に倒す。総十郎の言葉通り、相手の数は何十と言う程ではない。長くない戦闘は、最後の一体を斬り捨て、終了した。
周囲の妖気を確認し、納刀した三人は天城家の屋根の上に集まる。足元では、雑鬼達がホッと息を吐いて緊張から解放されていた。
「群れとしては十分な数だな。残りは主犯だけだと思ってもいいだろうが、油断はするな」
「はい。でも、その主犯を探さないと」
照真の言葉に咲光も深く頷いた。
主犯を倒さなければ、終わりではないのだ。




