第八話 未来を掴み取る為に
「守れ、照真。これからを。咲光との明日を。妖相手は心配するな。俺達がいる」
総十郎の力強い表情に、照真は何も言えず視線を下げた。
昨夜の総十郎の戦う姿が浮かぶ。恐れもなく、堂々としていて、圧倒的な力で相手を斬った。
思い出しながら、照真は僅か頷いて顔を前へ戻した。それでもどうしてか視線は上がらなかった。
(そうだよな…。神来社さんなら強いし、妖を退治する事も出来る。…俺なんかとは違う。もし、俺じゃなくて…神来社さんが姉さんと居ても、必ず守れるだろうし…)
ぎゅっと無意識に二の腕を掴んだ。
勿論、神来社が咲光を連れて行くわけじゃないし、これからも姉弟で暮らしていく。これまでと変わらない。
(……本当に変わらないのか…?)
自分の思考に、どうしてか漠然とした思いが沸き立った。
朝起きて、二人でご飯を作って、畑仕事をして、村に出掛けて、夜は休む。本当に何も変わらないのだろうか…。
ギッと照真は唇を噛んだ。
(変わるだろ…。俺はもう知ったんだ。また妖が出たら、姉さんが襲われたらって、きっと思う)
下がっていた視線は頭ごと地面に向く。一度だけ強く、強く唇を噛み、二の腕を掴む手に力を籠めた。
「……神来社さん」
「何だ?」
「…俺でも……妖を退治する事は、出来るんですか…?」
強い風が二人の間を吹き抜けた。髪や草木が揺れる。
互いの表情は知らない。ただ、照真の言葉に少し長い沈黙が返ってきた。
「……妖を知り、退治する道を選ぶ者はいる。でもな、その多くは、戦って命を落とす」
どこまでも静かな声音が、照真の耳に届く。
俯きそれを聞いていた照真は、頭を上げる事は無くじっと聞いていた。
刀を持つなら、戦うなら。それを考え照真はそっと目を閉じる。
「照真」
不意に穏やかな声が耳に入り、照真はハッと顔を上げ振り返った。総十郎も振り返る先に、咲光が立っていた。
静かで、穏やかで、それでどこか悲しそうな顔をしていた。
「姉さん…」と届くか分からない小さな声は、総十郎には聞こえ、照真の目に咲光は優しく目を細める。
「ちょっといい?」
「…うん」
呼ばれた照真は、迷うと思っていた総十郎の予想とは裏腹に、素直に姉に駆け寄った。二人の足はそのまま庭の桃の木の下で止まる。
何か話をしている二人から視線を逸らし、総十郎は手をつくと空を仰いだ。
真っ青な空に白い雲が浮かんでいる。飛んでいる鳥はいつも優雅だ。見るとなくぼんやりと見つめる。
昔、同じ事を聞かれ、頼み込まれた。
『俺を弟子にしてください!』
頑張り屋だった。努力して努力して頑張っていた。痛ましい程に頑張っていた。周囲の声に応えようと頑張って頑張って。そして、死んでいった。
決して忘れる事のない顔は、いつも心にある。
「神来社さん」
呼びかけられた声に振り返る。そこにまっすぐ自分を見つめる眼差しが二つあった。
すぐに解ってしまった。隠れた拳をぎゅっと握り、唇を噛む。
「妖を退治する方法を」
「大切な人の未来を護る方法を」
「教えてください」
最後は、口を揃え放たれた。
総十郎から離れた兄妹は向かい合う。桃の花びらがひらひらと舞い降りていた。
まだ家族が皆生きていた頃から、ずっと見守ってくれていた木。花見をする時も。弟がよたよた歩いている時も。ずっと見守ってくれていた木が今、姉弟の決意を見守る。
少し赤い弟の目を、咲光は優しく見つめた。きゅっとその手を握る。
「照真。いつも私を大事に思ってくれてありがとう」
「ううん。姉さん、子供の頃からいつも傍に居てくれた。手を繋いで、優しくて厳しかった。俺、姉さんにいっぱい貰ったから」
物心ついた頃から一緒だった人は、嬉しい時も辛い時も手を繋いでくれていた。そのぬくもりが沢山の事を伝えてくれた。
だから照真は、今もこれからも咲光の手を離さない。
咲光はそんな手を見つめ、そっと目を閉じた。
(もう、この手が私を引っ張ってくれてるんだって。照真はいつ気づくかなあ)
優しい眼差しは、その手から照真の目へ上げられる。
優しい弟に、咲光は己の想いを打ち明けた。
「照真。私ね、神来社さんに妖を退治する方法を教わろうと思う」
「!」
驚きと、少し傷つきが混ざったような表情に、咲光は眉を下げた。それでも照真から視線は逸らさない。
「知ってしまえば知らなかった頃には戻れない。このまま暮らす事もできる。家族を失った者として、害をなす妖を許せないとも思う。でもね。お前の…」
「俺も行く」
「!」
「俺だって姉さんと一緒だよ。姉さん、いっつも俺を守ってくれる。俺にも守らせてよ! 二人で頑張ろう! どんな道でも二人で手を取ってって、母さんの言葉だよ?」
最期の時まで笑みを崩さなかった母。「幸せ者ね」と満たされたように言っていた。残された時間も少ない中、枕辺に自分達を呼んで最期の言葉を伝えてくれた。
『決して…一人で無理しない…。二人で…手を取り合って…生きなさい…。いつだって…お前達を…見守っているから…。お父さんと弟を…お願いね…』
涙でボロボロの目で、それでも頷いた自分達に母は笑顔のまま逝った。その言葉は今もしっかり刻まれている。
戦いの中に身を置く事になる――自分で選んだ道だ。
甘い覚悟では許されない――立派な覚悟がどういうものか分からない。
ただ、自分には譲れないものがある。
半身をもがれる日が来るかもしれない――悲しみに暮れるだろう。
でもきっと思う。みっともなく蹲っては、想いを無駄にしてしまうと。
死を想像する事は恐ろしい――目の前のこの人の存在が、生きる力になる。
だから思う。
今、何より、この人の未来を――
「妖を退治する方法を」
「大切な人の未来を護る方法を」
「教えてください」