第七十二話 恐れるな、前を見ろ
かつて、神来社家を始め多くの術者達によって封じられた妖。
そして今、長い歴史の中である事態が生じていた。
「封じが、少しずつ弱まっている」
「!」
総元の言葉に、咲光と照真は息を呑んだ。総十郎の表情も険しい。
「私も力を注いでいるから、すぐどうにかなるという事は無い。だけれど、術自体が何分古いものだ。この地の神の力もあって保っているけれど、ここは人が多く来る。世に不安や恐怖が蔓延し、人々の心を侵してしまうと、それは妖の好物になる」
「死や負の感情ですね。それはやはり、神の御力に影響が…?」
「ある。神はそういうものを嫌われる。神の威を削いでしまうから」
「禍餓鬼や虚木はそれを狙っている。一柱でも神に影響があれば、必ずどこかに歪みが生じる。世の中は繋がってるからな」
総元の言葉は重く深刻だ。総十郎も、絶対に阻止するという想いを滲ませている。
隣で照真が険しい表情を見せる中、咲光は考えるように総元を見た。
「封じの術が弱まる事は、あらかじめ分かっていたんですか?」
「代々の総元達が、封じを強化させるよう力を注いで来た。今の事態は想定はしていたけれど、正直に言うと、深刻だ」
少し濁すように言う理由が、なんとなく咲光には分かった。
言葉には力がある。神の威を削ぐような事を、万所総元が口には出来ないのだろう。
「代々力を注いで来たのに、そうならどうして……」
「この事態はここ数十年で進んでる」
総十郎の言葉に、咲光と照真は考えた。
ここ数十年の出来事。そう昔ではない最近だ。封じが弱まり、神の威が削がれ始める程の事態。神の威を削ぐのは……。
「! 国の戦……!」
「!」
ハッと言葉の出た口を覆う咲光に、照真もハッと目を瞠った。
国を大きく様変わりさせたのは、数十年前に始まった戦だ。当然多くの人々が犠牲となり、悲しみと怒り、憎しみを生んだ。血に濡れた所業に集うモノが、今なら分かる。
「妖相手ならともかく、国の戦は…俺達にはどうにもできない」
総十郎の言葉は、どこか悲し気で無力感を滲ませていた。それが胸を衝く。
それでも、悲しんでいる訳にも絶望している暇もない。キリッと咲光と照真は顔を上げた。
「だから、今は一つでも妖による被害を解決させて、人々を安心させなければいけないんですね」
「なら、俺達が沈んでるわけにはいきません!」
力強い二人の言葉に、総元と総十郎は少し目を瞠る。と、フッと揃って笑みをこぼした。
少し落ち込んでいた空気が、暖かなものに変わる。
(術だけなら、たぶん時間をかけて破る事も出来るはず。今重要なのは、神の支えと人々の心)
(だから色んな場所で事を起こしてるんだ。人の多い所なら、それだけ奴らの思う通りになるはず)
負を心に抱く人々が神の元へ赴けば、それは神に影響を与えてしまう。
ここもまた、人々が多く参拝する神社。今は影響が少なくても、禍餓鬼と虚木が大きく動けばどうなるか分からない。
事は重大案件だ。そう認識する咲光は総元を見た。
「これは、他の衆員は知っているんですか?」
「知らないよ。知っているのは、私、“頭”の四人、そして君達だけだ」
ゆっくりと首を横に振られ、「え…」と咲光と照真は固まった。
万所上位陣に混じって、下位の自分達が何故。口には出ずともそんな言葉が表情から読み取れ、総十郎はクスリと笑みをこぼした。
「俺が総元に言ったんだ。お前達に話したいって。これまでの戦いも、臆せず前を向いて走って来れたお前達なら、話してもきっと大丈夫だと思ってな」
「…………」
「今さっきも、それを確信した」
どうしてとか。自分達なんてとか。そんな想いを吹き飛ばすくらいまっすぐ、総十郎がまっすぐ見つめて伝えてくれる。
だから、咲光と照真の胸にはふつふつと熱い想いが沸き上がってきた。
(応えたい。この信頼に)
二人の眼差しに総元は目を細め、総十郎と二人を見つめた。
総元と総十郎の話が終わってから、咲光と照真は再び総十郎に稽古をつけてもらった。話の所為か、一層真剣に稽古する二人に総十郎も手加減しない。
途中で浩三郎もやって来て、総十郎から指南を受けたりもした。稽古する総十郎の姿を縁側から明子が眺め、休憩時には、そんな明子と咲光が笑って話をする姿も見られた。
稽古で疲れた体も、風呂に入り夕食を食べれば回復する。心の充足を得ながら、照真も南二郎や浩三郎と楽しそうに話をした。
月が空に浮かび、周りからは生き物や風の音が聞こえる中、咲光は建物から伸びる東屋にいた。
腰までは壁があるが、それより上に壁はない。壁沿いは座れるようになっており、咲光はそこに座って外を眺めていた。
整えられた庭は美しい。咲光はどうしてか自分の家の庭を思い出して、そっと眉を下げた。
「どうした咲光?」
そっと声をかけてくれたのは総十郎。視線を向ければ、そこには寝間着にいつもの羽織を肩にかけた姿。いつもは三つ編みに結ってある髪も、今はそのまま背に流れている。
やって来てそのまま咲光の隣に腰掛け、同じように庭を眺める。
「昼間の事か?」
「…はい、少し。でも、照真や神来社さん、総元、鳴神さんや日野さん。皆さんを信じる事が今一番出来て、大事な事だと思うんです。だから、大丈夫です」
「そうか…」
大丈夫。それが多くの事を指しているのだと解る。だから総十郎はそれ以上を言わず、ただ頷いた。
そんな総十郎に、咲光はにこりと笑みを向けた。
「神来社さんは、私や照真にとって、憧れであり尊敬する方です。だから全力で頑張ります」
「……あぁ。ありがとう」
笑みと向けられた言葉に面食らい言葉が遅れる。そんな総十郎に咲光はクスリと笑みを返した。
参ったなと言いたげに眉を寄せる姿は、少しだけ普段の総十郎とは違って、咲光は新発見をしたようで嬉しくなった。
そんな表情を消した総十郎は、同じようにニッと笑みを浮かべる。
「それじゃあ、明日からまた厳しく鍛錬だな」
「はい!」
頼もしい返事に、総十郎は笑みを浮かべ、咲光も笑みを返した。




