第七十一話 扉を隔て、対峙する
少し柔らかくなった空気の中、咲光は絵図の一角を指差した。それは禍餓鬼と虚木のすぐ後ろ。
「総元。この、禍餓鬼と虚木の後ろの妖は?」
その問いに総元が僅か目を細め、照真も指差す先を見た。
そこにはもう一体の妖が描かれている。長い黒髪はうねっていて、その表情は横髪に隠され見えない。その妖の周囲は赤や白などで地を裂くような光が描かれている。
絵図は全体が曇っていて、どこか重暗い印象を与える。
咲光に総元が重々しく答えた。
「遥か昔、海の向こうからこの国へやって来た妖。虚木と禍餓鬼が主を仰ぐモノ」
「主……」
総元の言葉に思い出すのは虚木の言葉。
『嫌い嫌い嫌い! 神来社の人間は殺す! その血も絶やさせて殺し尽くす! あの御方が受けた仕打ち、絶対にその身で贖わせてやる!』
虚木が言っていた「あの御方」とは、主であるこの妖の事なのだろうと解った。
そして、ふと咲光は総元と総十郎を見た。その視線にまっすぐ二人の視線が返される。
「虚木は、随分と神来社さんを嫌っていました。神来社家は、その妖と何か深い関係があるんですか?」
その言葉に照真も深刻そうに辛そうに二人を見た。
二人の眼差しに、総十郎は優しく二人を見つめた。優しく下げられた眉に、咲光と照真は一瞬だけ瞳を揺らした。
「負傷した身を癒す為、この国に来て人を殺すその妖と、当時の術者達が総出で戦った。だが、退治するに至らず、封印するのがやっとだった」
「……虚木と禍餓鬼は、その時逃亡を…?」
「あぁ。何とか封じ、半狂乱で襲って来た二体にもかなりやられたそうだ」
それが今に通じる。
そう考え咲光は瞼を震わせた。
(封じたなら、まだどこかに…? もしそうなら、禍餓鬼と虚木が何もしないなんて事はある?)
胸の内になんだか嫌な感じが生まれていた。
総元と総十郎の話は、何かもっと重要で深刻なもののように感じられる。無意識にぎゅっと膝の上で拳をつくった。
同じように思うのか、照真もまっすぐ総十郎と総元を見つめた。総十郎の言葉を引き継ぎ、総元はゆっくりと話す。
「神来社家は、昔から力ある術者の家系でね。その戦いにも封じの術にも加わっていたんだ」
「まぁ、うちはそれに加えて、万所の総元やってるからな」
「あ。そう言えば、総元は力ある術者の家系だって、菅原さんも言ってました」
「だから神来社家を目の敵に…」
主を封じた者の一人。納得を覚え咲光も頷いた。そしてその主という妖の事を考える。
虚木と禍餓鬼が仰ぐモノならば、二体よりも強いのだろう。日野と総十郎でも倒せなかった虚木。体の震えた禍餓鬼。絵図に描かれている姿がひどく恐ろしく見えた。
神来社家の先祖や当時の術者達でも、封じるのがやっとだった相手。そう考え咲光は一つの疑問を覚えた。
(総元も、南二郎さんも術者。綾火さんも浩三郎君も術を使えるって言ってた。なら、どうして神来社さんは退治人に…?)
家系で言うならば、総十郎も術者として十分なはず。そう思ったが、視線を向ければ「ん?」と首を傾げる総十郎に、それを問う事はどうしてかできなかった。
(何か理由があるのかもしれないし、綾火さんも万所には入っていないそうだから、必ずって決まりはではないんだろう)
そう思い自分に納得した。進む道は色々ある。それに、総十郎は今、退治人として強く頼もしい人だ。
咲光の隣で照真が身を乗り出す。
「じゃあ、他にも封じに関わった家が、今も残ってるんですか?」
「いや。もう力がなかったり、視える人がいなくて妖退治をしてなかったり、血筋が途絶えたりして、もう残ってない。そういう家とは、ずっと繋がりがあったんだけどな」
「もう、残っているのは神来社家だけなんだ」
総十郎も総元も、どこか寂しそうに肩を竦めた。長い時代の中だ。そうなるのも致し方ない。が、そうなると……。
「神来社家、凄いな…」
思わず照真の口からそんな言葉がこぼれてしまう。それを聞き総十郎はクスリと笑みをこぼした。
「これには理由があるんだ」
「理由…?」
「あぁ。神来社家の役目が関係しててな。それを決して途切れさせないために、神が差配してくださってるんだよ。縁結びとか、霊力の繋がりとかな。じゃなきゃ、血はどこかで途絶えててもおかしくないし、霊力も弱まってきておかしくない」
笑いながらなんだか凄い話をされた。咲光も照真もギョッと目を剥く。あわわ…と言葉が震えた。
「か…かっ……神に認められた血筋!?」
「違う違う」
目玉の飛び出しそうな二人に、総十郎は冷静に否定の手を振った。
純粋な二人の反応に思わず総元も笑う。驚いたままの二人に、総十郎は「いいか?」と続けた。
「正確には、血も力も途切れさせないようにするから、しっかり役目を果たせって神の意があるんだ」
「? 役目…?」
「言っただろ。神来社家には役目がある」
少しずつ落ち着いてきた二人に、総十郎はゆっくり話してくれた。僅かに開けた間に無意識に唾を呑む。
「封じを守り続ける役目だ」
その言葉は、静かな空間に重く強く落とされた。
ふわりと体を抜けた言葉は、一秒二秒と経つごとに重たい衝撃となって襲ってくる。
(ちょっと待ってちょっと待って。この妖の封じをずっと…? 確かに強力な妖の封じをそのままには出来ないだろけど……)
(ずっと、神来社さん達一族が…? ずっとずっと昔から……?)
一体どれほど昔からなのかは分からない。表の歴史にもそんな話はないから。
人々の知らない歴史の裏側。そこにいた人々。そこにいる人々。
(あぁ……なんて…)
胸が痛くて、溢れる想いは言葉にならない。
痛そうな、辛そうな、哀しそうな、泣きそうな。そんな表情を浮かべて俯く咲光と照真を、総元と総十郎は優しく見つめていた。
「総元。神来社さん。大変な役目を繋いでくれて…」
「ありがとう…ございます」
声を揃え、頭を深く下げる二人を見つめ、総十郎はそっと二人の肩に手を置いた。万感の想いを湛える瞳を、咲光と照真は泣きそうに優しく見つめ返す。
四人を包み込むように、優しい風が吹き抜けた。




