第七話 吐き出す気持ち
お茶を淹れ直すと席を立った総十郎がいなくなった居間で、咲光と照真はぐったりとちゃぶ台に突っ伏していた。呆然からは抜け出せても、衝撃の余韻がまだ残っていた。
「こういうの、頭が追いつかないって言うんだろうな…」
「そうだね…」
「俺、昨日は薄い靄しか視えなかった…」
「私は黒い靄に視えた…」
こぼれるような声音はため息に繋がっていく。今日だけで何度ため息を吐いているのか。
照真は突っ伏していた頭を上げ、力無く俯いた。
「神来社さん、凄かった…。あんな事出来るんだ…。あぁやって…人を守って…」
「照真…?」
机から頭を離し、咲光は照真を見つめるが、俯いた表情は見えない。いつも元気な声音は沈み切って、机の上で握られた拳は微かに震えていた。
照真の様子に咲光が口を開くより先に、「ちょっと出て来る」と照真が居間を飛び出した。入れ替わり総十郎が戻ってきた。
淹れ直した茶を咲光の前にもコトリと置く。
「いいのか? 追わなくて」
「…はい。たぶんあれは…」
心当たりがあるようなのに、それ以上は咲光の口から出てこない。力無く浮かべられた、少し困ったような表情に、総十郎も何も言わない。
湯のみを手に一口お茶を飲んだ咲光は、一呼吸分の間を開けると、総十郎に振り向いた。
「神来社さん。照真をお願いしてもいいですか? 私には話しづらいと思うので」
「あぁ。いいよ」
快く引き受けてくれた総十郎に、咲光は頭を下げた。
すぐに太陽が中天に差し掛かる。その日差しの下、照真は家の前の畑のへりに腰掛けていた。
土を耕したばかりの畑からは、土の匂いがする。苗が植えられるのを待っているようにすら見えた。畑の一角に咲き誇っている花々は照真が植えたもの。
尤も、自分ではなく姉の為に。その花をよく両親の墓前に供えたり、室内に飾って、嬉しそうにしている。
穏やかな風が頬を撫でる。それが唯一、頭を冷やしてくれるものだった。
「照真」
「…神来社さん」
後ろからかけられた声に振り返る。「隣いいか」と問うと、照真の頷きを見て総十郎は腰を下ろした。
青色の羽織が眩しくも美しく、照真は前に視線を戻した。総十郎も照真を見る事はなく、眼前の畑を見ていた。
「この畑は二人で?」
「はい。姉さんは繕いの仕事とか、頼まれて子供に字を教えたりもしてるから、時々俺一人で」
「大変だな」
眼前に広がるのは畑ばかりだ。勿論見える全てが二人のものではないが、区画一つはそれなりの広さがある。大人の手がない二人の苦労を察し、総十郎は目を細めた。
(そうやって長い間、二人で支え合ってきたんだな…)
家族を失って悲しんだだろう。辛かっただろう。だからこそ、二人で支え合っているのかもしれないと思う。
そんな二人に、どうしようもない愛おしさを感じた。どこまでもまっすぐで、健気で、笑い合って。
意識せず、総十郎はポンッと照真の頭に手を置いて撫でた。軽く伝わる振動に意表を突かれながらも、どうしてか胸が苦しくなるようで、照真はそれを隠すように俯いた。
(似てる…。あったかい手、同じだ…)
自分よりずっと大きくて硬かった父の手は、いつもこうして誉めてくれた。惜しみない愛情を教えてくれた。
父とは違い、隣の人は何も言わず、ただ優しくぬくもりをくれ続けた。
長いような短いような時間そうしてもらい、やがて照真が顔を上げた時、総十郎も手を離した。そしてゆっくり、言葉を紡ぐ。
「照真。実を言うと、俺は咲光が妖に捕まった瞬間を見てたんだ」
「!」
衝撃の言葉に目を瞠り、総十郎を見る。照真の視線が自分を見ているのを感じても、総十郎はただ前を見ていた。
その横髪を風が揺らす。申し訳なく眉を下げるのではなく、静かな瞳がそこにあった。
「すぐ助けねえとと思った。でもそれより先に、お前が動いたんだ」
「…………」
「怖かっただろ。それでもお前は動いた。姉を助けようとした。諦めるなと言った。そしてそれが、咲光の力になった」
「…そ…んな事…」
「なったよ。じゃなきゃ、咲光はあそこで反撃できなかっただろうからな」
総十郎はゆっくり照真を見つめた。俯きかけていた視線は、動いた総十郎の視線につられて上がる。
息を呑む照真の前に、笑顔があった。本当に嬉しそうな屈託ない笑顔。
「お前は凄い! 照真。誰にもできる事じゃない事を、お前はやったんだ」
その笑顔に、その言葉に、照真は瞳を潤ませ袖で目元を覆った。震える体を総十郎は優しく見つめ、そっと肩に手を置いた。
震える口から、堰切ったように言葉が溢れ出す。
「俺っ…姉さんがいなかったら…動けなかったっ…! 何もできなかった…っ、あのままだったら姉さんがっ…」
嗚咽の混じる言葉が、その気持ちを痛烈に伝えて来る。痛みも。恐怖も。
だから総十郎はただじっと、その言葉に耳を傾ける。
「俺じゃっ……姉さんを守れなかったっ……!」
苦しそうに吐き出された。
ただの人は妖と戦えない。そのための力を持っていないから。だとしても、それを「仕方ない」と今の総十郎は言えなかった。
失ってしまえば戻らないのが命。もうすでにこの姉弟は失って、だから互いを大切に、失わないように大切に想っている。
互いを知り、分かり合い、想っている。ただ数日で総十郎にもよく分かった。
「守れ、照真。これからを。咲光との明日を。妖相手は心配するな。俺達がいる」
「神来社さん……」
そんな姉弟の為に出来るのは、自分が不安なく過ごせるよう妖を退治することだけだ――