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縁と扉と妖奇譚  作者: 秋月
第五章 北の争乱編

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第六十六話 次会う時は

 警戒から帰った日野ひのは、墓地から駆け出して来た八彦やひこを見て瞬いた。目が合うと「あ……」と何か言いたそうな顔を見せる。

 そんな八彦を見つめ、日野は「また後でね」と共に警戒に出ていた総十郎そうじゅうろうと別れた。


 総十郎が建物に入っていくのを見届け、日野は身体ごと八彦を振り返る。



「…の……日野さん…」


「えぇ。何かしら?」



 声をかけたはいいが、まだ少しもぞもぞと口を動かす八彦を微笑ましく見つめ、日野は本堂の前にある階段に腰掛けた。

 八彦を手招き、並んで座る二人の間にしばし沈黙が落ちる。苦でもない沈黙だったが、思い出したように日野が声を出した。



「もう山は安全だから、戻っても大丈夫よ」


「…う…ん」


「ここしばらく手伝ってくれてありがとう」


「……うう…ん。俺は……お礼…言われる事…なんて…してない」


「そんな事ないわよ」



 八彦の視線が下がり、足元に落ちる。そんな八彦を一度だけ見ると、日野は視線を前に戻した。



「君がいなかったら、村雨むらさめ君と赤羽君は重傷を負っていたし、最悪な事態になってたかもしれない」


「…………」


「あのあやかしのねぐらを教えてくれたのも君。虚木うつぎから村雨君を守ったのも君。怪我人の為に奔走してくれたのも君。ほら。皆お礼を言いたい事ばかりじゃない」


「!」



 日野の言葉に励ましの声音はない。ただ、事実を述べているという声音だった。


 八彦はぎゅっと膝の上で拳をつくった。日野はそれを横目にじっと見ていた。

 八彦に初めて会った時、視線も合わせてくれずすぐ去って行った。変わった子だと思っていたし、住職から「山で暮らしている」と聞いて、その印象はさらに深まった。しかし、それを住職に言うとクスリと笑われた。



『貴族の娘さんが生活を捨ててお寺にいる事も、周りにとっては変わっているかもしれないね』



 そう言われ、それもそうかとストンと素直に納得した。墓参りに来る八彦とは自然少しだが話をする機会も増えて行った。

 人と話すのが苦手なのかとすぐに分かった。同時に思った。



(いつか、自分の想いを声に出せるといいな…)



 そう思って見守っていた。どうしても、会話の初めには言葉に詰まってしまう姿は微笑ましかった。



「…の……俺…」


「うん?」



 思わず懐かしんでいた心が、八彦の言葉で引き戻される。

 八彦は、長く視線を合わせられない様子で彷徨わせながらも、日野をそっと見た。



「俺……照真しょうまと…咲光さくやの……力になりたい…。俺も……妖…と…戦えるように…なりたい…」


「!」



 何かをしたいと口に出す八彦に、日野は目をみはった。そしてその目は優しく細められる。

 そんな日野に八彦は驚いたのか気まずさを覚えたのか、オロオロと視線を彷徨わせ、また俯いて、それでもちらりと日野を見た。


 そんな八彦に、日野は静かに言葉を紡ぐ。



「危ないわよ?」


「うん……」


「君の命も」


「うん……」


「それでも?」


「うん」



 最後は強く、しっかり頷きが返って来た。その答えに日野は瞼を伏せた。



(どうして、なんて野暮ね。この子にとってそれだけ意味のある大事な事)



 八彦と楽し気に話をする咲光と照真の姿が浮かんだ。この数日何度も見た光景。

 共に戦いたいと望む八彦にとって、この言葉は少し違うかもしれない。でもきっと、今の咲光と照真にとってはよく合う言葉がある。そしてきっと、八彦にとっても初めてかもしれない言葉。



「八彦君にとって、二人はそんなにも大事に想える友達なのね」



 今度は、八彦が目を瞠った。


 友達。その言葉にどうしてか胸が苦しくなって、息が少ししづらくなった気がした。

 まだ母が存命だった頃でも、消極的で上手く人と関われなかった。森ではずっと一人で、町でもあまり人と関わらなかったから。


 笑う咲光と照真の姿が浮かんだ。



(友達……二人が…俺の……)



 今の胸のぬくもりは、二人と話をする時の楽しいと思う気持ちに少し似ている気がした。

 だからとても、とても嬉しかった。


 まるで、喜びを宝石のように胸に抱える八彦を見つめ、日野も決意を胸に立ち上がる。その手に持つ刀にも少しだけ力がこもった。



「私が、君を立派な退治人にしてあげるわ。容赦しないから、覚悟しなさいよ」


「! うんっ!」



 立ち上がり、自分を振り返る日野の姿は、いつもより大きくて眩しかった。








 日野の元で修行し、退治人になる。その決意は八彦が直接、咲光と照真に伝えた。二人は驚いた顔をしながらも、「俺達も負けない」と笑って返した。


 療養の日々が過ぎ、怪我が癒えてきた二人は少しずつ体を動かしていた。

 今日もまた、総十郎が鍛錬の相手をしてくれている。今は照真が一人、総十郎に木刀を振っている。それを見つめながらも、縁側に座る咲光の脳裏には、虚木の言葉が繰り返されていた。



神来社からいと家の人間のくせに、退治人をやってる落ちこぼれ』


『嫌い嫌い嫌い! 神来社の人間は殺す! その血も絶やさせて殺し尽くす! あの御方が受けた仕打ち、絶対にその身であがなわせてやる!』



 忌々しく、苛立って、呪いを吐くように総十郎に向けられた言葉の数々。



(どうしてあそこまで神来社さんに……。あの御方って誰なんだろう…)



 考えても考えても答えは出ない。総十郎に聞いてみようかと思ったが、言葉が出なかった。限界まで神威を強めたという疲弊ひへいしきった姿が浮かんでしまうのだ。大丈夫だと笑っていた総十郎。

 思い出して、一抹の不安と同時に、ぽつりと穴が開いたような心地になる。



(神来社さんの事、何も知らないんだ……)



 そう思わされてしまう。

 万所よろずどころに属する人。退治衆の“とう”。強くて、自分達を導いてくれた人。知っているのはそれだけ。


 そう思って、どうしてか視線が下がってため息が出てしまった。



「…や……咲光」


「っ!?」



 突然、視界に総十郎の顔が入って来て、咲光の心臓が飛び出そうになった。慌てて引き戻す。それでもなかなか心臓の驚きは治まらず、「ど…どど…」と言葉にならない単語ばかり出てくる。

 咲光の様子に、照真は隣に座って一緒に心臓を宥めた。想像以上に驚いた咲光に「悪い」と総十郎も謝る。


 フッと心臓が落ち着いた頃、咲光は改めて総十郎を見た。



「すみません。それで、何ですか?」


「あぁそう。二人とも、ここを出たら一緒に来てくれ」



 頭に疑問符を浮かべて首を傾げる咲光と照真に、総十郎はただ口端を上げていた。








 それからしばらくして、怪我もすっかり癒えた咲光、照真、総十郎は寺を出る事にした。

 住職に世話と手当の礼を告げ、日野からは「頑張って」と背を教えてもらい、八彦とはまたの再会を誓う。



「が……頑張る…。俺も。だから…近いうちに…きっと」


「うん! 俺も待ってる」


「またね、八彦君」


「うんっ…」



 八彦が日野の元で鍛錬し、退治人になり、また再会できる日を楽しみに想う。


 互いに手を振り合い、三人は寺を後に歩き出した。その後ろでは、八彦が力強く鍛錬に戻って行った。


 歩き出した咲光と照真は、総十郎を見上げた。三人で歩くのは初めてだ。



「神来社さん。どこへ行くんですか?」



 照真の問いに、総十郎は前を見た。こうして三人で歩く。この瞬間にどうしても喜びを覚える。

 総十郎の視線は青い空へ向けられた。



「万所本部。俺達を取りまとめる人がいる場所だ」






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