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縁と扉と妖奇譚  作者: 秋月
第五章 北の争乱編

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第六十五話 後悔しない道

「何やってるんだ?」


神来社からいとさん。八彦やひこ君」



 ひょいと顔を覗かせた総十郎そうじゅうろうの後ろからは、八彦も姿を見せた。ずっと怪我人の手当てなどを手伝ってくれていると日野ひのから聞いていた。


 八彦はうめいている照真しょうまに心配そうに駆け寄り、総十郎は咲光さくやの布団の傍に腰を下ろした。照真に駆け寄った八彦は、オロオロと手を彷徨わせている。



「…だ……大丈夫…? 怪我……痛む…?」


「だ…大丈夫…。これは自分の所為だから…」



 ヒィヒィと痛みをやり過ごそうとする照真に、総十郎も思わずクスクスと笑う。


 なんとか痛みが治まって来たらしい様子に咲光もホッと息を吐いた。そして改めて総十郎を見る。額には包帯が巻かれているが、それ以外に目立つ怪我はないようだ。それを確認してホッと安堵の息を吐く。



「大丈夫だ」


「はい」



 咲光の視線に、総十郎は安心させるようにしかと頷いて見せた。しかし、咲光は見た目の怪我には安堵出来ても、表情はまだ少し晴れない。そんな様子に総十郎は首を傾げた。

 だから咲光は、意を決して問うことにした。



「大丈夫ですか…? 私達が扱うのとは…全く違う強い神威を、扱っていたようなので…。神威は扱える強さが人によって違いますが、あの時は……まるで…」



 最後は言葉にならず、咲光は視線を下げて拳をつくった。その言葉を最後まで聞かなくても、総十郎は困ったようでも優し気に眉を下げた。


 多分きっと、咲光は感じ取っている。元々感覚は良いようだから。

 照真も少し心配そうに自分を見ている。安心させるように、総十郎は優しくもしっかり二人を見つめた。咲光も視線に気付いて顔を上げる。



「大丈夫だ。休んだから、体調も良い。あの時は、久しぶりに限界まで神威を強めたから、それで疲れただけだ。な? 大丈夫だろ?」



 ほら、と言うように片腕で力こぶをつくる真似をする総十郎に、咲光も力なく眉を下げて笑みを浮かべた。

 八彦だけは、少し眉を寄せて総十郎を見つめていたが、咲光も照真も、総十郎を見ていてそれには気付かなかった。



「俺よりお前達だ。完治するまではここで治療に専念するように通達が来てるから、気兼ねなくそうしろ」


「分かりました。ただ、神来社さん。ここでの仕事の最初の目的は虚木うつぎでした。別のあやかしを討伐したとはいえ、まだ仕事の完了では……」


「その事なら心配するな」



 咲光の不安に、総十郎はすぐに答えた。どういう事かと首を傾げるのは照真も同じ。

 最初の撃退目的だった虚木。その虚木にそそのかされたらしい妖を討伐するに至ったが、肝心の虚木には逃げられたまま。



総元そうもと、俺、日野の結論から言って、虚木はもうこの近隣にはいないだろう。退治できればそれに越したことはなかったが、そう簡単にはいかないから、撃退も最初から含めてた。それが完了されたって事だ」


「そう…なんですか……? でも…本当にもういないんでしょうか…?」


「勿論、数日警戒は続ける。が、手傷を負わせし妖力も削った。しばらくは回復に専念するだろうと見ていい。ここから離れないと、専念しようにも俺達にすぐ見つかるだろう? これは総元の判断でもある。総元の判断は外れない。優れた術者だからな。だから安心していい」



 確かな総十郎の言葉に、咲光も照真も頷いた。

 会った事のない人だが、“とう”である総十郎の言葉だ。信用しない理由はない。



「神来社さん。虚木との戦闘では、助けてくれてありがとうございました」 


「当然の事だ。あんまりあんな無茶してくれるなよ? こっちが肝冷えるから」


「すみません…」


「八彦君。俺を守ってくれてありがとう」


「…え……う…うん……」



 咲光の礼に総十郎も切実に願う。そんな様子に咲光は身を小さくさせるしかない。照真の礼に、八彦は落ち着きなく視線を動かし、それでもキュッと拳をつくっていた。








 それから一同は、怪我を治す為の療養の日々が始まった。

 日野と総十郎は念の為、森の警戒を続けたが、虚木に遭遇する事も、退治しなければならないような妖に遭遇する事もなかった。


 仕事の終了は全員に伝えられ、怪我の癒えた者の中には、家へ帰る者、次の仕事へ行く者、旅へ戻る者と、寺を去る者も多くいた。旅をしている者の中には、もう少し滞在する者もいるようで、手伝いや稽古に励む者もいた。

 照真は、同じ班で仕事を共にした赤羽と山本を見送った。「またな」と笑って手を振ってくれた二人に、照真も再会を楽しみに手を振って見送った。


 八彦は、怪我人が少なくなっても寺に留まり、山に戻ろうとはしなかった。照真と咲光の部屋で一緒に話をしているのを、日野や総十郎はよく見かけていた。


 そんな八彦は今、寺にある墓地にきていた。目の前には一つの墓石。

 それを見つめ、八彦は山で摘んできた花をそっと挿した。そして何も言わない墓石を見つめる。


 母の死後、住職が丁寧に埋葬してくれた。寺に来る事を勧めてくれたが、頷けなくて。住職は無理強いせず、穏やかに笑って「いつでもおいで」と言ってくれた。

 三日に一度墓参りにやって来て、それから少しずつ話をするようになった。他愛ない世間話をして「気を付けてね」を見送ってくれた。

 その優しさに、いるのかも知らない父を想像した時もあった。



「母さん……」



 墓石は何も答えない。


 八彦は視線を下げた。答えが欲しいわけじゃない。でも、言わずにはいられなかった。



「俺……どうすれば…いいのかな……。やっぱり…迷惑に…なるのかな……」



 優しい風だけが吹いていた。



「何も…出来なかった…。俺は…何も知らないから……。でも……ありがとうって…言ってくれたんだ…」



 嬉しかった。悔しかった。

 初めて胸の中を色んな想いが駆け巡った。



「八彦君。お参りかい?」


「……住職さん…」



 優しい微笑みを浮かべた住職がやって来た。住職はやって来ると、墓石に手を合わせる。

 そしてゆっくり顔を上げると、視線は墓石に向けたまま、八彦に声をかけた。



「お母さんに何か報告だったのかな?」


「…う……ううん…。俺……どうすればいいかな…って」


「どうすればいいか、か…」



 八彦の言葉をゆっくり繰り返し、住職はやっと八彦を見た。その視線に、オロオロと視線を彷徨わせる八彦は、少しだけ目を合わせる。

 そんな八彦に、住職は笑みを深めた。



「八彦君は、どうすれば一番後悔しない?」


「……後悔…?」


「うん。君は相手の事を想う事ができる優しい子だ。でも、相手の事を考えすぎて、自分の事を二の次にしてしまう事がある」


「………………」


「だから、そういう時は、後悔しない道を選びなさい。生きる人が進める道は一本だけだ。戻り道はない」



 一瞬だけ、風が強く吹き抜けた。備えた花の花びらがはらりと一枚舞い落ちる。



「自分にしたい事ができたら、それを大事にしなさい。後悔のない人生はないと言うけれど、最期は笑っていられるようにしなさい。君のお母さんのように」


「! 母さんは……」



 一人で自分を育ててくれた人。いつも笑っていた。最期の最後まで。


 母にも後悔はあったのだろうか…。そう考えて墓石を見つめた。

 母の笑みがぼんやりと見える気がした。



天音あまねもね、そうだったんだよ」


「日野さん…も……?」


「苦しんで、自分の想いも閉じ込めて過ごして来た。でも、それじゃ駄目だと声を上げて体を動かした。勿論、彼女にも後悔はあるだろう。だけど、きっと最後まで“自分”の心に従って生きていくだろうね」


「…………………」



 住職の言葉に、八彦は一度だけ視線を下げると、次にはまっすぐ墓石を見つめた。



「母さん。俺、行く。俺……力になりたい人がいるんだ」



 言うと、八彦は駆け出した。その後ろ姿を、住職は優しく見つめていた。






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