第六十一話 落ちこぼれ
(絶対に、死なせないっ…!)
目の前で襲い来る“何か”に、それでも八彦は退かない。体中が震えていても、目はその“何か”を睨んだまま。
虚木の拳が八彦に当たる直前、急に虚木が飛び退いた。ガキィッと衝撃波が吹き荒れ、青い羽織がはためく。
「大丈夫か!?」
「神来社さん…!」
僅か焦燥を見せながら首だけ振り返る総十郎に、咲光も照真も驚きと安堵の声が出る。総十郎はすぐに距離を取った虚木を睨んだ。
パッパと刀とぶつかった腕を払うように動かしている。その眉がキュッと寄せられ総十郎を睨んだ。
(やっぱり一筋縄ではいかないな。腕斬り落とすつもりだったんだが…)
もっと神威を強めなければ。そう思い刀を握る。
しかし、人が扱える神威には限界がある。神威を容赦ない強大なものとして扱えるのは神だけ。神のものは人には扱い切れない。
虚木の意識が総十郎に向いている隙に、咲光がすぐ戻り、総十郎の隣に立つ。その後ろでは八彦に支えられながら照真が身を起こした。
「神来社さん、すみません……」
「いや。照真、無事だな?」
「はい。八彦君、ありがとう。危ないから下がってて」
心配そうな八彦にしっかりと頷き、照真も総十郎の隣に立つ。
自分には戦う術がない。八彦は数歩下がりながらも、この場を去ろうとはしない。
総十郎に邪魔をされた虚木は、咲光達など見えていないかのように総十郎だけを睨んだ。
「神来社……。そう。あんたね」
零れた声音は重くまとわりついてくる。咲光と照真の全身から嫌な汗が噴き出た。ドクドクと隣の総十郎に聞こえるのではないかと思うほど、心臓が煩い。
先程までとは違う。虚木の敵意と殺気に満ちた視線と妖気が、容赦なく全身に絡んでくる。
今までとは違う、底冷えするようない殺気を感じるのに、その声音はとても静かだ。その目はただ総十郎を睨む。
「禍餓鬼が言ってた。神来社家の人間のくせに、退治人をやってる落ちこぼれ」
見下すように、嘲笑うように放たれる言葉にも、総十郎は表情を動かさない。
それが余計に癪に障ると言いたげに、虚木の形相が鬼のように変貌した。
「嫌い嫌い嫌い! 神来社の人間は殺す! その血も絶やさせて殺し尽くす! あの御方が受けた仕打ち、絶対にその身で贖わせてやる!」
一体何がどういう意味だ。分からない咲光と照真は、禍々しい呪いの言葉に身の毛が総立つ。言葉だけでない。全身から呼応するように禍々しい妖気が放たれてくる。
(何で。どうしてそんな神来社さんを…?)
咲光はちらりと総十郎を見た。特に変わってもいない表情が何を想っているのか、咲光には読み取れない。
虚木の言葉は、身体だけでなく、心にまで重く侵入してくるようだった。
(…だ……駄目だ…駄目だっ……!)
何が、なんて分からない。でも本能が、そう訴えてくる。
「神来社の落ちこぼれ! 力不足! 無能! 醜い恥さらし!」
「違う!」
虚木が吐き出す言葉より大きな声が、それを遮った。掻き消すように響いたそれに総十郎も少し驚く。
ただ、咲光も照真も虚木を強く睨んでいた。
(この妖にとって、神来社さんがどういう相手なのかは分からない。でも…)
今、隣にいる人は自分達を導いてくれた人なのだ。
「神来社さんは力不足でも無能でもない! 優しさも強さも持ってる! 私達を救ってくれた、大事な人だ!」
姉の叫びに、弟も叫んだ。
「神来社さんは俺達の大事な仲間だ! お前が神来社さんを傷つけるなら、俺達が…」
「一緒に戦う!」
守ってくれた人よ。導いてくれた人よ。今は隣に――
二人の重なる言葉が、泣きたくなる程胸に沁み込んだ。今すぐに抱き締めたくなった。
『俺、頑張ります! 周りの皆を見返せるようになります!』
不意に、耳の奥に懐かしい声が蘇った。周りの期待、重圧を受け、頑張って頑張っていた。笑っている時間は楽しかった。だけれど、一人で稽古する姿が痛々しく見えてしまう事があった。
知っていた。自分の弟子になって苦しんでいた事を。周りに言われる度、「頑張ります」と言いながらも、その手が震えていた事を。
だからもう。そんな風に潰してしまいたくなくて、弟子をとらないと決めた。
(あぁ――…)
どこまでも遠くに駆け出してしまいたい。この地の果てまで――
今、隣にある存在に、総十郎は柔らかな笑みを浮かべると、一歩前に出た。
反論してきた咲光と照真を睨み、妖力を放出させる虚木に、心は揺るぎはしなかった。
「行くぞ。咲光、照真」
「はい!」
緊張で張った弦が弾かれるように、両者が地を蹴った。
誰よりも早く飛び出した総十郎の刀が虚木を襲う。直情的な形相とは裏腹に、刀の軌道を見極め、蹴りが繰り出される。それを避けた総十郎が再び繰り出した刀と虚木の拳がぶつかり合う。衝突した両者の間には衝撃が生まれ、それは離れている八彦にも嵐のように襲って来た。
総十郎の刀は一切勢いを衰えさせる事無く、鋭く速く走り続ける。その一撃を避け時、虚木の視線が動いた。
横から体勢を低くさせ斬りかかって来た照真。足を斬りつけるように振るわれる。
(跳べばそこを神来社に斬りかかられる。コイツの神威は弱い。なら……)
虚木は足元に妖力を集中させ、避ける動きを見せない。
渾身の力と神威を乞い、照真は刀を振るう。それでも、ガキィッと刀は弾かれた。強い妖力が逆に照真の肌を細かく切り裂く。
「っ……!」
打ち砕けない。簡単にいくとは思っていないが、それでもやはり悔しい。
悔しさを顔に見せる照真に、虚木は嘲笑うように笑みを浮かべる。その背後から一点の光が虚木を襲った。
咲光が背後から突く。それでも傷を与えるまでにはいかない。肌を切る細かな傷の痛みに僅か顔を顰める。
が、それでもいい。
「!」
虚木がハッと息を呑んで振り返る。避ける事が難しい程近くに、すでに総十郎が距離を詰めていた。
ガキィッと咄嗟に交差させた腕と刀がぶつかり合い、衝撃が一帯を走る。
咲光と照真が見守る先で、バキリッと何かにヒビが入るような音がした。その瞬間、全員を凄まじい妖力の渦が襲った。
「っ!」
その衝撃に総十郎も弾かれ、距離が開く。すぐ咲光と照真を見れば、二人も同じように弾かれていた。
渦が消えた中心には、虚木が忌々し気にこちらを睨んで立っている。
「ほんっと……他の奴らと違って、神来社は面倒くさい」




