第六十話 心
「ここお願いしますっ!」
「は……おい、待て!」
咲光が言うより早く照真が飛び出し、続けて咲光も飛び出した。
舌打ちしたい衝動に駆られながらも、総十郎はすぐに動いた。戦う日野の傍へ瞬時に移動する。
「日野。ここを頼む」
「…分かった。奴よね?」
「あぁ。咲光と照真が先に向かってる」
それだけを告げると総十郎の姿はもうなかった。
総十郎同様、日野も気付いていた。この感じ取りづらい妖力が充満する中。感じ取ったのは自分達だけだと思っていた。
『咲光と照真が先に向かってる』
日野の口端が上がる。
「全くもう…」
総十郎に一言だけ告げた咲光と照真は、森を駆けていた。無視できない、するわけにはいかない妖気。
(間違いない。アイツだ)
(この感じ、これが虚木…)
照真の脳裏によぎるのは不敵に笑う虚木。遭遇した事がない咲光も、肌が感じる妖気にすぐに理解できた。
キュッと唇を噛み、急いで駆ける。目は慣れていて勢いが落ちる事は無い。急いで急いで進んだ先に、見えた。
虚木と八彦の姿。小柄な八彦の首に手をかけ、冷たく見ている虚木。その目が、自分に向かって来る咲光と照真を捉え、光った。
瞬時に、勢いを殺さず照真は刀を振り下ろす。が、それを余裕を感じさせながら、虚木はひらりと避けた。
照真が襲い掛かると同時、虚木から解放された八彦を抱え、咲光は数歩下がる。
「大丈夫?」
「…う……ん」
見たところ大きな怪我はない。それを確認しホッと息を吐き、咲光はすぐに照真の隣に立り、刀を構えた。
かつて感じたものとよく似た、圧迫感を感じる妖気。それでも呼吸と心臓を落ち着かせる事は意識できる。グッと刀を握る二人に、虚木はコテンと首を傾げた。
「あんた達、照真と、その姉?」
突然の問いにピクリと眉が動くが、二人は油断なく虚木を睨むだけ。
最初から答えを求めていなかったのか、それとも承知していたのか、答えない二人を気にした風もなく、虚木は「ふーん」と口端を上げた。
「禍餓鬼が言ってたの、あんた達ね」
「……禍餓鬼…?」
「そう。私と似たような妖力を持つ妖と戦ったんでしょう? そいつの事」
こぼれた照真の言葉に、虚木は頷いて見せた。
禍餓鬼と虚木。知っている者同士なのか、仲間なのか。咲光と照真に緊張が走る。手に力が入り、頬を汗が流れる。妖気が肌を刺して、心臓が煩い。
(いやっ。やるんだ。神来社さんも日野さんも、あっちで戦ってる。決して楽じゃないんだ)
後悔と反省は終わってからしろ。と自分を叱咤する。
咲光と照真は虚木を睨むと地を蹴った。そんな二人に、虚木はニッと三日月をつくる。
「会ったら殺すわねって、もう言っちゃったの。その首、“頭”に届けてやるわ!」
刀と拳が空気を裂く。虚木の拳に刀を振り下ろしても、その先へ刃が進まない。何度も何度も咲光と照真は挑んでいく。
森の中で両者がぶつかり合い、草木も虚木の妖力の衝撃に吹き飛ばされる。
なんとかギリギリで拳を避けるが、気を抜けば直撃しかねない。同時に刀を振るっても、虚木に傷を与えるまでにはいかない。
(っ…! 日野さんは障壁を破れるくらいだった。今の俺とじゃ神威の強さが全く違う! 完全に力不足だ!)
ただの神威の差ではない。扱う者の差だ。
こうして戦い、ひしひしとそれを感じる照真は唇を噛む。それは咲光も同じだった。
だが、止まるわけにはいかない。咲光の刀を避けた虚木の、身体を捻った蹴りが照真に沈んだ。
「ぐっ…!」
呼吸が止まる。蹴られた勢いのまま、照真の身体は後ろへ吹き飛び、樹にたたきつけられた。肺の空気が押し出され、一瞬視界が暗くなる。
ゲホゲホと咳が出る照真の前に、虚木が躍り出た。
「まずは一匹!」
「照真!」
痛みで身体が悲鳴を上げる。蹴られた時に肋骨が折れたかもしれない。
それでも、言う事を聞かない体に鞭を打ち、刀を構えようとした時、照真の前に大きく手を広げ、八彦が立ち塞がった。
「駄目だ!」
恐ろしいだろうに、それでも必死で、唇を噛んでキュッと前を睨んでいる。
後ろから照真が手を伸ばす。咲光が走って来る。それがとても、ゆっくりに見えた。それでも、その二人よりも、目の前の“何か”の方が早いのだと、八彦はなんとなく解っていた。
♢♢
いつもは何かをする時、まず考える。だからこうして咄嗟に身体が先に動いたのは初めてだ。
考える事はいつも同じ。人に迷惑をかけてしまう。気を遣わせてしまう。そういう事ばかり。そう思うようになったのは、母さんが死んでからのように思う。
母さんとの暮らしは決して裕福じゃなかった。むしろ、毎日ギリギリだった。だから生活する事が大変な事は解ってた。
母さんが亡くなってからは、町には自分を引き取ろうとしてくれる人がいた。それは分かっていた。だけど消極的な性格だから、「お願いします」とは言えなかった。
子供一人を養うのは大変だ。ありがたいけれど、迷惑にならないだろうか。他人の子供だ。気を遣わせてしまわないだろうか。
だから、そう考えて、一人で生きて行こうと思った。
元々、森に出入りする事はあったから。森には食べる物もある。水もある。寝床も探した。勿論大変だった。でも、心は少しだけホッとしてた。
町の人達は心配してくれて、出会うと食べ物をくれたり、新しい服をくれたりした。嬉しくて、申し訳なかった。「家においで」と言ってくれた人もいたけれど、頷けなかった。
人と話すのは苦手だ。上手に喋れないから。
『いつでも来ていいのよ。住職も私も楽しみにしてるから』
日野さんは、山で暮らしてる俺に「ふ~ん」って顔をしただけだった。山が危ない時はよく声をかけてくれた。話しやすい人。
『俺も姉さんも旅してて、野宿する事もあるんだ。食べられる実とか植物、教えてもらえないかな?』
『山の傍で暮らしてたから少しは分かるんだけど、知らない方が多くて』
『…う…ん……。えっと…』
『あ。描いてみる方がいい?』
昨日会った照真という男の子と、姉の咲光という女の人。初めはすごく緊張して、言葉があんまり出なかった。
でも、二人は気にしてなくて、俺が話す事にも、心配するより、驚いたり「凄い」って言ってくれた。嬉しかったけど、身体がくすぐったかった。
日野さんも、それに神来社って男の人も、そんな俺達を暖かい目で見ていてくれた。
俺も、胸があったかくて。ずっとずっと、このぬくもりを大事にしたいって思った。
だから。だから俺は――
♢♢




