第四十二話 四人の“頭”と総元
火ノ国。異国風な煉瓦造りの建物や鉄筋の建物、人々の様相も様々で、国の中でも中心的な町。
その町の中には、広大な敷地を有する神社がある。歴史も古く格式高いその神社は、遥か昔から人々の多くの信仰を集めていた。
敷地の周囲は森のように木々が育ち、入り口となる参道前には大きな鳥居が立ち、参道も長い。玉砂利の境内のあちこちには境内社が多く在り、一番奥には最も大きな本殿。参拝者は本殿に近づく事はできず、その前の拝殿でお参りをする。境内のあちこちも緑が豊かで、空気が涼やかで澄んでいる。
国内でも三指に入る神社の境内で、一人の子供が泣いていた。常に多くの参拝客が訪れるここでは、時々迷子が出てしまう事もある。
泣いている子供の傍に、一人の男が近づき、そっと膝を折った。
「どうした? 母さんか父さんとはぐれたか?」
「うぅ……母さっ…」
「そうか。じゃあ一緒に探すか」
そっと差し出された手に、小さな子供は泣きながらもきゅっとその手を取った。握ってくれた手は大きくて、そしてとても硬かった。
「母さんとお参りか?」
「んっ…。でも……いなくなっちゃった…」
「大丈夫だ。母さんもきっと探してくれてる」
「ほんと?」
「あぁ。きっとだ」
子供は、自分の手を握って、優しく話しかけてくれる男を見上げた。
紐で繋がった葛籠を肩に掛け、背中には細長い荷物を背負っている。三つ編みにした髪が背中で揺れている。青い着物を着ていて、その目はとても優しい。
少しの間二人で境内を歩いていると、心配そうな顔で周りをキョロキョロする女性と目があった。その顔がハッとなって駆け寄って来る。
「もっ…! どこ行っていたの? 心配したのよ?」
「ごめんなさい…。でもっ、このお兄ちゃんが母さん探してくれたよ」
「本当にありがとうございました。目を離した間に…」
「いやいや。早く気付けて良かった」
母親が何度も頭を下げるのを、男は手を振って大したことではないと宥めた。その目は子供を見つめ「もうはぐれるなよ?」と優しく告げる。
大きく子供が頷くのを見届け、親子と別れると、男はその足で神社の奥へ足を向けた。周囲を一般の参拝客が歩いている。その中を歩き続ける男は、やがて人気のない所までやって来た。
この神社では、一般参拝客の立ち入りが許されているのはごく一部。一般の参拝客には立ち入りを許可されていない神社の奥まで、男は勝手知ったる所のように進む。
やって来たのは、人の喧騒も届かぬ静かな場所。神社の中でも特別な意味を持つその場所へ、男は髪と羽織をひらめかせて急ぐ。
その先に、建物が見えてきた。
建物は三棟。全て外廊下で繋がっている。中央は壁のない吹き抜けの造りになっている。外廊下が縁側にもなっており、室内との境は必要によっては御簾で遮れるようになっているが、今はその御簾も上げられている。
左右にはそれぞれ、平屋の和造りの少し大きな建物と、少し小ぶりな建物があった。平屋造りの建物の縁側からは外廊下が伸び、その先は東屋のようになっている。
男は歩いて来たまま庭へ入ると、そのまま中央の建物の縁側にひょいと腰掛けた。荷物と刀袋を脇に置いておく。
「間に合った。間に合った」
「お? 神来社がギリギリなんて珍しいな」
どこか笑みを含んだ声音に、神来社総十郎は「まぁな」と振り返ることなく答えた。声の主はすぐ後ろに立っていて、腰に手を当てて覗き込んでくる。
草履を脱ぎ、総十郎はクルリと振り向いた。見下ろして来るその人を見上げれば、二っと子供のような笑みが向けられる。
「何々? 手こずる仕事でもあった?」
「いや。参拝してからこっち来てたら、迷子の子供がいてな。親探してた」
「成程。こっちの仕事まであると大変だな」
「お前もだろ? 鳴神」
「俺は兄貴達に任せてるから」
「お前な…」
呆れる表情を隠さない総十郎に、万相談承所、祓衆“頭”の一人、鳴神一心はクスクスと笑った。
本当なら、こうして庭を突っ切って来る予定ではなかった総十郎は、思わぬ事態に少しだけ慌てていた。間に合ってホッとしたのを鳴神には見られていたようで少し居心地が悪いが、それも一瞬の事。フッと息を吐く。
(コイツは本当によく見てるし、感覚が鋭いんだよな。敵わん)
祓人は感覚が鋭い。が、それでも総十郎が知る中でも鳴神は群を抜いているといえる程だった。
そんな鳴神が、ストンッと総十郎の傍に膝を折った。
「なぁなぁ神来社、神来社」
「ん?」
「この前、弟子と仕事に行ったんだけどよ。その時…」
「ちょっと二人とも。いつまでお喋りしてるの?」
ワクワクと目を輝かせて話そうとしていた鳴神の言葉を遮った、少し怒っているような呆れているような声。総十郎と鳴神の視線が自然とそちらに向く。
吹き抜けの建物の室内。畳の大広間に二人の女性が座っていた。
声音通りの表情を総十郎と鳴神に向けている、万相談承所、退治衆“頭”の一人、日野天音。肩につくくらいの短い茶色の髪。さっぱりとした丸い瞳。袖にゆとりのある服を着て、総十郎と同じように細身の下衣を履いている。服の上には、肩口までの袖がある膝丈の上着を着て、腰で縛っている。
日野の言葉に「悪い悪い」と鳴神は笑み混じりに謝り、いそいそと室内へ戻る。
「直に総元がいらっしゃいます。神来社さんもこちらへ」
日野の斜め前に座る、万相談承所、祓衆“頭”の一人、雨宮蓮が、総十郎を見て静かに告げた。伏せがちの瞳は物静かな印象を与える。長い黒髪が背を流れており、巫女のように白と赤の着物と袴を着ている。
鳴神は雨宮の隣に座り、総十郎もすぐに室内、日野の隣で雨宮の前へ座る。そして総十郎は改めて“頭”の面々を見た。
「皆息災そうだな。冬以来か」
「あら。神来社さん以外は春以来よ」
「…そうか。俺いなかったな」
「そうそっ。例年は冬に会議も済むんだけどな。半年でまた召集って何かあったのか?」
「恐らく…」
例年、冬に「入所の試し」が行われる。その合否は“頭”の面々と総元で判断され、ついで万所全体についての会議が行われる。それが“頭”の年に一度の集合である。
が、稀に、そんな一度以外にも召集がかけられる事がある。それは“頭”が申請した臨時の入所の試しの場合であったり、緊急事態への対処である事もある。
四人は、“頭”全員が揃っている事から、すでに臨時の入所の試しの可能性は消している。臨時の入所の試しでは、申請者である一人がいない。春に申請した総十郎のように。
外廊下から一人の人物がやって来るのが見え、雨宮の視線が動く。総十郎もやって来る気配に自然と口を閉ざした。
やがて、やって来たその人物は、総十郎と雨宮の傍に腰を下ろした。室の奥に飾られた花を背に座るその人物が、万相談承所、総元である。
表向きはこの神社を取り仕切る役目を担い、裏では妖による仕事を引き受ける。大柄な体格に見えるが圧は感じない。穏やかながらも、どこか気迫を感じる眼差しは四人をゆっくり見回すと、うんとゆっくりと頷いた。
「急な召集にもすぐに集まってくれて、ありがとう」
「いいえ。“頭”として当然の務めでございます」
品良く頭を下げる雨宮に同意するように、総十郎達も強く頷いた。その意志に総元は嬉しそうに眉尻を下げた。
吹き抜ける風がふわりと髪を揺らす。少し緊迫する空気の中を、一瞬だけ風が強く吹き抜けた。それを感じ総十郎が瞼を震わせる。
「本当は、皆の近況を聞いたり、話を楽しみたい所だけれど、今回は早速本題に入る」
声音こそ穏やかだが、総十郎達に緊張が走る。
四人の、じっと自分を見る真剣でまっすぐな目に、総元がその表情に険しさを見せた。
「北にある山の麓で、虚木の姿が確認された」
それは、“頭”が追っている、厄介でとても強い妖の名前だった。




