第四十一話 想いを繋げて、標を願え
夜が更け、宿の皆が寝静まった頃。唯一起きている咲光達四人は、文机のある一階の部屋の障子を開けた。
昨夜と変わらず、その文机の前に微かな光を放つ女性の霊がいた。僅かな隙間から部屋を覗く鳴神はその視線を自分の足元に向けた。
「どうだ?」
「間違いないぞ」
ぶんぶんぶんと勢いよく頷くのは、簪を持って来た雑鬼達。関わったからと最後まで見届ける事を選んだのだ。
雑鬼達の肯定に、鳴神は振り返って菅原を見る。
「お前が送れ。出来るな?」
「はい」
力強い菅原の頷きに、鳴神はフッと口端を上げた。
これで女の哀しみを癒さなければ、無理やりに送り出す事になる。
(鳴神さんは、それを本当の最終手段にしかしない。今、俺がやるべき事は行く道の標を作る事と、次の一手につながる観察)
祓人二人のまとう空気が変わる。それを感じ取り、咲光と照真も気を引き締めながら、邪魔にならないように少し下がった。祓われてはたまらないと言うように雑鬼達も照真の足元に隠れる。
そうして四人はゆっくりと室内へ足を踏み入れた。
下がる咲光と照真の気配を感じながら、鳴神は霊の傍に膝を折った。それに気づいたように霊もゆっくり鳴神に振り向いた。
変わらず、哀し気に眉を下げ、涙を流している。その表情に照真達だけでなく、雑鬼達も悲し気な顔を見せた。
泣き続ける霊を見つめ、鳴神は優しく安心させるように告げる。
「もう、泣かなくていい。あの人の最後の贈り物、受け取ってくれるか?」
そっと、鳴神は霊に簪を差し出した。
それを見た霊の目が僅か見張られる。言われなくても、見た事がなくても、解ったのだろうか。
手の中の簪が僅か震えた気がして、鳴神は目を細めた。
(あぁ…。心が残ってる。随分弱まってるが、まだいけるか…)
手の中の簪に意識を集中させ、鳴神が小さく何かを紡ぐ。その微かな声に菅原は眉を上げたが、何も言わずじっと鳴神を見つめた。
呪文に呼応するように感じる力に、菅原は鳴神に重なるようにゆらめく影を見た。
(あの簪には、男の想いが強く残ってたんだな…。たぶん霊になってしまう程に…。埋められていたからか視えなかったみたいだし、もう弱まっているけど)
霊になってしまう事はなくても、物には想いが宿る事がある。それは、その人の心の欠片のようなもので。
(死を前にした人が持つ、心の在り方なのかもしれない…)
遺品や思い出の品。それを見て亡き人を想う事も、そこにその人の心の欠片があるからかもしれないと、この仕事をするようになって菅原は思うようになった。
霊になってしまう程に強い想いを残した女と、弱まっていっても想いの欠片を失わなかった男。
目の前の光景を見つめる。簪を見て、それまでとは違う涙を流す女の霊。鳴神に重なる微かなゆらめき。
(鳴神さん…。その欠片にまで波長を合わせて姿を見せるなんて、なんて無茶を…)
全身から冷や汗が噴き出す。
霊に波長を合わせ、身体を貸す事は術を用いれば可能である。が、弱まった心の欠片を正確に感じ取り、波長を合わせるなど、とんでもなく高難度な技である。霊の想いが強くても弱くても、下手をすれば、集中しすぎて引きづられかねない。
菅原はフッと強く息を吐くと、胸の前で人差し指と中指を立てるように片手を上げた。
霊は涙を流しながら、目を細めて笑みを浮かべた。本当に嬉しそうに。鳴神の中で、男も嬉しそうに笑っていた。その手には鳴神が持つものと同じ簪があった。男の想いそのものだ。
男は、それを優しく女の髪に挿した。鳴神の手も同じように動く。が、鳴神が持つ簪が実際に挿される事は無い。
自分の髪に咲いた清楚な花に、女は満開の笑みを咲かせた。涙に濡れていたその頬を、男が優しく触れる。その手に自分の手を重ね、二人は笑い合った。
その瞬間を逃さず、菅原が唱える。
「時の中巡りて。彼岸への道、風、火、音の如く。往く羽に、標あらんことを――」
これは願い。まじない。この世に留まり続けた想いが今、あるべき場所へ迷いなくたどり着けるように。旅立つ二人への贈り物。これで迷うことなくたどり着けるだろう。
男と女はその笑みを、見守っていた三人へと向けた。何かを伝えるように口元が動くが、咲光と照真にはそれは聞き取れなかった。
やがて二人は、静かに消えて行った。
「咲光さん、照真さん。お疲れ様でした。これで終了です」
「私達は何も…。お疲れ様でした」
互いに労い合う三人の耳に、バタンッと何かが倒れる音がした。
「鳴神さん!?」
ぐったりと鳴神が倒れていた。疲労困憊な様子に、雑鬼達が「大丈夫かー?」と心配そうに駆け寄って行く。
そんな姿にやれやれと息を吐きながらも、菅原はひとまずホッとした。
(他の祓い人ならまずやらないだろうな…。本当に、凄い人です。時々本当は馬鹿なのかと思いますが、貴方って人は…)
菅原の視線の先では、雑鬼達と一緒に照真と咲光も鳴神を介抱している。「もー無理疲れた」と起き上がる気力もない鳴神の様子に、仕方ないので菅原も介抱する事にした。
動く気力がないので、そのまま布団を敷いて寝かせる事にする。「仕方ないなぁ」となぜか雑鬼達も鳴神の布団に入って眠っている。そんな光景に咲光はクスリと笑った。
翌朝には、事態が解決した事を女将さんと旦那さんに伝え、四人は感謝された。何もしていないと咲光と照真は申し訳なさそうだったが、「素直に受け取っとけ」と鳴神に言われ頷いた。
そして、鳴神の頼みで、文机の開かなかった引き出しを職人に頼み、開けてもらった。中には一通の手紙が入っており、流麗な女性の筆跡に鳴神は眉を下げた。
「ただただ、どうしようもなくて、溢れて来る想いを書き綴ったんだろうな…」
その想いが女をこの世に留まらせ、文が入った文机の前に霊となり現れるようになった。その文を見て咲光と照真も女を想った。
文と簪は鳴神が「きちんと供養する」と言い引き取った。
仕事も終わり一息ついていた頃、咲光達の元を式が訪れた。鳥の形をした二羽の式は、一羽は咲光と照真の元で、一羽は鳴神の元で式文に変わる。鳴神は自分の文を読むと、咲光達を見た。
「仕事か?」
「はい。緊急みたいです。私達、すぐに行きます」
「あぁ。俺達ももう滞在する理由もないから、帰るか」
「そうですね」
一足先に宿を出る咲光と照真を、鳴神と菅原は見送る。宿の前で二組は向かい合った。
「では。仕事に協力してくださって、本当にありがとうございました」
「いえ。初めて祓いの仕事を拝見できて、色んな事を知れました」
「緊急って事は厄介な案件だろう。気を付けろ」
「はい」
「鳴神さんに振り回された後は、大体どんな仕事でも落ち着いてやれるので、大丈夫でしょう」
「どういう意味!?」
目の前の二人がいつかのようなやり取りをする。「そのままの意味です」「俺はいつでも冷静です!」と言い合う二人はいつも緊張を和らげてくれる。咲光はクスクスと喉を震わせた。
「では、またいつか」
「お元気で」
手を振って咲光と照真は歩き出す。そんな二人に鳴神と菅原も手を振った。その姿が小さくなって見えなくなっていく。
と、鳴神はスッと表情を引き締めた。
「小太郎。俺も緊急招集がかかった。総元の元へ行ってくる」
「! 分かりました。このまま?」
「あぁ。馬借りてひとっ走りする。先帰ってろ」
「分かりました。師匠」
尊敬する師匠の言葉に、菅原は強く頷いた。




