第三十四話 万所という組織
風呂からあがってすぐ、運ばれて来た夕食を食べ、四人は一階の部屋へ降りた。霊はいつ出てくるか分からないので、後は辛抱強く待つだけ。
鳴神は部屋の障子を開け、中庭を眺めている。咲光と照真は菅原と共に、霊が出る例の文机とは別に用意してもらった文机を囲んでいた。万相談承所の組織編成について教えてもらうためだ。
まず、菅原は紙の中央上に『万相談承所』と書いた。
「万所は、祓衆と退治衆で構成されています。全国各地の神社仏閣は俺達に協力してくれますし、多くの仕事は彼らから依頼されるものです。万所や妖については知っている所も多いので、異変時にはすぐ相談してくれます」
菅原は、『万相談承所』から二本の線を引いた。『祓衆』と『退治衆』と書き加える。
ここまでは咲光と照真も知る内容で、二人も頷いた。その反応に、菅原は続いて『祓衆』と『退治衆』の下にそれぞれ『頭』と書き加えた。
「あたま…?」
「いえ。“とう”と読みます」
「って何?」
「祓衆、退治衆の中でも、経験も実力も他の衆員よりも優れている方の事です。祓衆と退治衆には、そう呼ばれる立場の方がそれぞれ二人ずついらっしゃいます。衆員の階級は「一」が最も上ですが、頭はその上です。全ての衆員の上官ですね」
「へえー!」と咲光と照真が驚きと感嘆の声を上げた。階級が一番下の自分達にとっては、まさに雲の上の人達だろう。
もやもやとしてか浮かばない人物像に、照真はむむぅ…と腕を組む。咲光は『頭』の文字を見てから菅原を見た。
「それじゃあ、万所をまとめているのはその頭の方々になるの?」
「いえ。戦闘においては頭が最上位ですが、統率しているのは“総元”と呼ばれる御方です」
菅原は『万相談承所』のすぐ横に『総元』と書き加えた。咲光と照真はその文字をじっと見つめる。
「といっても、俺もお会いした事はありませんが…。古くから続く術者の家系の方だそうですよ」
「じゃあ、祓衆…?」
「戦われればそうなりますね」
クスッと笑って言う菅原に、照真も感心の息を吐いた。
今まで漠然としか知らなかった、万所という組織の事が今少し分かって来た。
(総元と頭の方々か…。どんな人達なんだろう)
これから会う事はあるだろうか。少し楽しみでもあるような、緊張するような。そんな不思議な気持ちになる。
教えてくれた菅原に礼を言うと、それまで中庭を眺めていた鳴神がクルリと振り向いた。
「それ、あんまり堅苦しく考えなくていいぞ」
唐突の言葉に、咲光と照真はキョトンとする。
「…そうなんですか?」
「そうなんですよ。要は、指揮命令系統をはっきりさせるためにあるわけだから。そこ押さえときゃ、命令無視や生意気しない限りは怒られないだろうし。ま、人にもよるけど。俺も怒られた事なんてちょっとしかないから、気楽にしとけ」
ハハッと笑うのを気楽というように受け取れず、咲光と照真は何とも言えない。
呆れるようにため息をついた菅原にまで「ちょっとは怒られてるんですか」と言われるが、「ちょっとだよ」と鳴神は変わらずハハハっと笑う。
そんな二人を見て、咲光と照真は顔を見合わせてクスリと笑った。
日付が変わる頃、文机を置いてある部屋の隣室へ移った四人は、襖からそっと文机の前を覗いていた。霊はいつ現れるか分からない。ただじっと待つのみ。
僅かな月明かりだけを頼りに室内を窺う。咲光と照真は帯に刀を差し、静かに待ち続けていた。視えるかどうかは分からないが、もしもの為に。
夜も更けた頃、隣室を覗いていた鳴神の目が鋭く細められた。真剣な目が何かを見つめる。同じように隣室を覗いていた咲光と照真は眉間に皺を寄せながら、室内に目を凝らす。
「来たぞ」
小声で伝える鳴神の言葉に、咲光はそこに何かがいるのだと意識を集中させる。
文机の前にゆらりと見える陽炎。朧気でまだ形ははっきりとしては視えない。だが、何かがいる。
視えないモノを探るように感覚を研ぎ澄まし、集中する。捉えようとする咲光と照真は、やがて文机の前に視えた陽炎が形を成して視えた。目を瞠りそれを見つめる。
四人の視線の先、文机の前に女が座っていた。何をするでもなく、ただじっと座っている。
細い隙間から見えるのは、女の斜め後ろの姿だけ。その表情は髪に隠れ見えない。
「あの人…」
「?」
「泣いてるのかな……」
ぽつりと零れた照真の言葉に、咲光と菅原は驚いたように瞬き、鳴神も女の霊に視線を向けながらも僅か目を瞠った。
鳴神はフッと頬を緩めると、不意に立ち上がって照真の肩に手を置いた。何だろうかと問うてくる視線に口では答えず、そっと襖を開けると照真の肩に置いた手を後ろから押し、隣室へ入った。
何事かと驚く照真は鳴神を振り返る。が、それにニッと笑ったまま何も言わず、鳴神は照真をその場に座らせた。
後ろでの、静かだが当事者達はドタバタな事態にも、女の霊は振り返る事もない。
突然の鳴神の行動には咲光も驚き、思わず隣室に入る。その隣では菅原が片眉を上げて鳴神を見やる。そんな菅原の視線に鳴神は落ち着いた様子で静かに頷きを返した。そして咲光にも大丈夫だと伝えるようにしっかりと頷く。
そして、困惑交じりで自分を見上げる照真に、鳴神はスッと女の霊を指差し、そして照真を指差す。その動きにパチリと瞬いた照真は、数秒後に、俺!? と目を剥いて自分を指差した。返って来るのは鳴神の「そうそう」と言いたげな頷き。
(え…お……俺がやるの…?)
何でそうなった。そう思いながら悶々と思考に陥る。
が、照真はブンブンと頭を振った。後ろには咲光と菅原の気配。隣には鳴神が居る。
意を決し、照真は振り返らない女の霊にそっと言葉をかけた。
「なぜ、泣いているんですか?」
静かな夜の室内に、その声は静かだがしっかりと聞こえた。
照真の言葉に少し間を開け、女の霊がゆっくりと振り向いた。
腰まで伸びる長い髪に隠された表情が初めて見えた。控えめで大人しそうな顔立ち。その頬には涙の筋が残っている。今も絶え間なくその目からは涙が流れている。
悪意は感じない。だけれど、どうしてか悲しい気持ちになってしまう。
(こういうのも、波長なのかな…?)
霊を視たのは初めてでよく分からない。
女の霊は照真を見ると、徐に口を開いた。何かを伝えようと口が動く。が、照真は眉を寄せた。
(聞こえない…。何て言ってるんだ?)
よく聞こうと身を乗り出しかけた照真の肩に、そっと手が置かれ、動きを制された。照真が視線を向ければ、女の霊をまっすぐ見つめる鳴神の横顔があった。
女は何かを伝えるように口を動かし続けると、やがて陽炎となり、消えた。
「あっ……」
思わず声に出てしまう照真の隣に、それまでの真剣な表情を消した鳴神が、よいせっと腰を下ろした。




