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縁と扉と妖奇譚  作者: 秋月
第三章 遭遇編

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第二十八話 闇の住人は目的の為動く

 とある深い森の中。人も立ち入らない重暗い空気の漂うその森で、ある場所だけ動物の気配も鳴き声もしていなかった。木の葉の擦れる音だけが不気味に木霊する。暗い夜の空に浮かぶ月は、その場所からは隠れていて見えない。


 そこに立つ一際立派な樹。根本には大きな岩がある。

 その岩に、一人の女性らしい影があった。森の闇のように深い黒色の髪を後頭部で高く結い、金色の瞳が怪しく光る。見える耳は尖っていた。身軽な装束しょうぞくをまとい、腰から下はひび割れのような模様の腰巻で覆い、腰紐で縛っている。腰巻の間からのぞく足を上下に動かし、まるで暇を持て余すかのように後ろに腕をついている。


 人も立ち入らない場所に居るその姿は、余計に不気味さを感じさせる。

 不意に、女は頬を膨らませると苛立いらだち交じりに吐き捨てた。



「おっそい」


「刻限を指定した覚えはない。遠方だった」


「知らないわよ。そっちが急に呼びかけて来たんでしょ」



 不満を隠さない声に返されるのは、淡々とした男の声。その返事に、女は一層眉間に深く皺を刻んだ。

 つんっと顔をそむける女に、大樹から女を見下ろしていた男は胸の内でため息をついた。



(火に油か…。余計な話はしないでおくか)



 あぁ言えばこう言う眼下の女との論戦は疲弊ひへいすると知っている男は、肩をすくめた。


 大樹の枝に腰掛け女を見下ろすのは、一人の男。白い髪に金色の瞳。身軽な装束の上に、袖のない丈の長い上着を着て腰紐で縛っている。

 世間話はすっ飛ばそうと、男は早速本題に入る。



「俺達と対峙たいじした万所よろずどころの人間は、総じて同じ反応をする。他のあやかしなどとは比べ物にならない、俺達の妖気を浴びて」


「当然ね。私達は()()()()の力と功績から生まれたんだもの。私達を前にした時の人間の、あの恐怖と絶望に染まった表情、大好きだわ」



 ねていた表情が一転、酔いしれるようにうっとりとしたものに変わる。艶やかでありながら恐ろしいその表情。頬に当てられた手は白く、ふふっと笑う女の表情は心底楽しそうだ。

 そんな表情は、見ずとも手に取るように分かる男は、変わらぬ口調で淡々と続ける。



「退治衆。それも大した実力も持たぬ弱者の中に、二人、俺を睨んでくる目があった」


「は?」


「俺を倒すつもりだった」



 男の言葉に、女は初めて頭上を仰いだ。周囲が暗くともはっきりと映る視界に、男の姿は見えている。


 腰掛けた枝から頭をずらして自分を見下ろしている男。見下ろされる事に少々ムッとするが、それよりも、男の言葉の理解に苦しみ、その表情を見つめる。

 男の口端が僅か上がっているように見えた。



(いつもは淡々としててあんまり変わらないけど、珍しい…)



 男はいつも淡々としている。それが女の知る表情であり、今見える表情に女は僅か目を瞠った。



(よっぽど面白い二人だったのかしら? そういう奴って、実力者ばっかりなんだけど)



 女は、自分も男も強い事を知っている。妖の中でも群を抜き、万所の者達も多くほふって来た自負がある。そうして長い時を生きてきた。


 そんな妖力を持つ者と対峙した時、人は恐怖と怯えに身を竦ませる。歪んだ表情。震える体。腰を抜かして、歯が噛み合わず言葉も出ない。

 そうでないのは、万所に属する僅か数名の実力者だけ。経験も実力もあるからこそ、平静を保ち戦う意志を失わない。だのに――



(実力のない弱者、ね…。()()()()()()じゃないなら面白いけど、分を弁えないならしゃくに障るわ)



 頭上を見上げていた視線を前へ戻し、女は「ふ~ん」と息を吐く。

 心地良い闇の空気に身を委ね、女は変わらぬ調子で頭上へと言葉を投げた。



「で、その二人殺したの?」


「いや。退屈しのぎに遊んでみた」


「へぇ。面白い上に珍しい事するわね」


「…………」



 クスクスと喉を震わせる女に、男は渋面を作った。

 いつもならそんな事をしない自覚もあるので何も言わないが、次第に女に声を上げて笑われ、不愉快よりも呆れが強まり、男は隠す事無くため息をついた。


 笑いが収まっても、まだ表情が抜けていない女を見やり、男は枝から降りると、女の傍に着地した。驚いた風もなく女は男を見る。その口元は笑みに彩られている。



「どう? 面白かった?」


「毎回遊んでいるお前と一緒にするな」


「随分ね。私とどう違うの?」



 ピクリと片眉を跳ね上げた女は、不満を表すように足を上下に動かした。



「あの御方の為、あぁいう人間をとしてやろうと考えた」


「あら。私だって毎回遊んでるわけじゃないわよ。人の恐怖や絶望をいっぱい作りたいじゃない」


「同意する。一人は堕ちたと思ったんだがな…」


「失敗ね」



 素っ気ない言葉にも男は表情を変えず、「そうだな」と肯定すると、先日の()()を思い出していた。


 自分が強制参加させた二人組。どう動き、どう戦うか。何を失うか。男は全て見ていた。

 思うように事は進んだ。餓鬼がきの足止めも、妖気に当てられた妖を駒にしたのも。

 だのに、結果は思ったものではなかった。

 あのまま気力を失った少年が、妖に食われれば、もう一人が絶望し、同じように食わるか、絶望のまま彷徨うかとなって、その行く末は暗闇だったはずなのに。



(あの御方に申し訳が立たぬ。急ぎ次を考えなければ)



 胸の内ですぐ意識を切り替え、男は前を見据える。


 自分達には為さねばならぬ事がある。失敗に落ち込んでいる暇などないのだ。



「そちらはどうだ」


「次の手は考えてるわ。北に行ってくる」


「そうか」



 タンッと女は岩から飛び下りた。難なく着地すると男を振り返る。お互いの金色の瞳がかち合う。



「ねえ、禍餓鬼かがき。その二人生きてるんでしょう? どんな奴?」


「男と女だ。姉弟らしい。男は照真しょうまとか言っていたな。白い羽織の男と赤い羽織の女だ」


「そいつら、私が殺してもいい?」


「好きにしろ。ただし、遊びすぎるなよ。虚木うつぎ


「どうかしら」



 クスクスと笑い声を残し、虚木と呼ばれた女は姿を消した。

 それを見送り、いささか困ったように息を吐くと、禍餓鬼と呼ばれた男もまた、スッと姿を消した。


 誰もいなくなった森の中で、ザァッと木々が風に揺れた。






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