第二十七話 それでも
地面に転げ落ちた照真は、呆然と妖の方を見る。
妖の口元は真っ赤に濡れ、その足元に動かなくなった子供が無造作に打ち捨てられる。血だまりは広がり続けていた。
(え…そ……うそ…なんで…)
身体に力が入らない。目の前が真っ暗になったように、何も考えられなかった。
泣き崩れていた男と子供の姿が頭をよぎる。悔しくて苦しくて、胸が張り裂けそうだ。
刀を持つ手に力も入らない。立ち上がる気力もない。
そんな照真に妖が一歩、近付いた。動く気配のない照真にまた一歩近づいた時、バシャバシャと水を蹴り近づいてきた足の主が、その妖へ一刀を繰り出す。
ツーっと頬に赤い筋を作りながらも、妖は距離を取った。ぴしゃりと振った尾の毛が逆立つと伸び始め、大きく太くなると、三本に分かれた。
その一本が、攻撃してきた咲光を打つ。その力に押され、咲光は照真の前まで弾き飛ばされる。刀を構えたまま、咲光は妖を警戒しつつ、後ろの照真へ声を上げた。
「立って!」
「…も……おれ……」
悲しみも。痛みも。無力さも。色んな感情が溢れて止まらない。どうしていいか分からないと、涙に暮れる痛ましい弟に、咲光も唇を噛んだ。
(照真。その気持ちよく分かるよ。私も同じだから)
血が滲む程に唇を噛み、刀を握り、咲光は弟を振り返る。
「一人で崩れるな! 一人で負けるなっ…! 二人で…っ…泣こうよっ…!」
濡れた声はこれでもかと張り上げられる。悲痛な声音と涙を流すまいとキュッと眉を寄せた表情が、まっすぐに照真を見つめる。
そんな姿に、照真は目を瞠った。
(…れ……俺は…)
妖の尾が、咲光を貫かんと振るわれる。キッと前を睨む咲光は一本を斬りつけたが、もう一本が襲い来る。避けられないと直感した時、白銀が尾を斬った。
ギャァと上がる妖の悲鳴が聞こえると、咲光は隣の立つ照真を横目に見た。
「…照真」
「…ごめん、姉さん。まだ、やれるから」
もう、涙は流れていなかった。その横顔を見つめ、咲光は「うん」と静かに頷いた。
血の滴る尾の痛みに、妖は顔を歪める。気力を失ったと思った相手は立ち直ったらしい。忌々し気に睨む先に立つのは、先程までとは違う、まっすぐ自分を睨む目。
ギッ…と奥歯を噛む音が、二人の耳にまで届きそうだった。
「行くよ」
「あぁ!」
力強い言葉と共に、二人は地を蹴った。
川辺の石による足元の悪さなどものともせず駆け、絶え間なく襲い来る尾の攻撃を、交互を助けるように斬りつけ、前へと進む。
一本を斬れば、もう一本をどちらかが斬り。同時迫りくる二本以上は円を描くように斬り。その勢いを失わず攻め続ける。
三本全てを攻撃出来ないよう斬り落とせば、妖から断末魔が上がる。その動きの隙を逃さず、照真は一気に斬り込んだ。止めを刺された妖がドサリと倒れ、消えていく。
照真はそれを見届ける事無く、納刀するとゆらりと歩き出した。刀を納めた咲光は妖が消えたのを見届けると、照真へ視線を向けた。
「………」
照真は、事切れている子供の傍に座り込んでいた。咲光はゆっくりその傍に近づく。
「ごめん…。ごめんな……」
子供の頭に優しく手を置いて、そう言い続ける照真の傍らに咲光は膝を折る。そして、照真の手に自分の手を添えた。
餓鬼の足止めをもっと早く突破していたら――
もっと早くこの場所を見つけていれば――
子供を助ける最善の判断を即座に下せていれば――
いくら思っても足りない。もしもばかりが浮かんでしまう。
(分かってる。それ全部、私達の力不足だから…。あぁだったらなんて、意味がない)
咲光は添えていた手を離すと、ぎゅっと照真を抱き締めた。頭が互いの肩口に埋まる。
「!」
咲光の肩が震えているのを、照真は確かに感じた。漏らすまいと嗚咽を堪えている。肩に沁みるあたたかい濡れに、照真の瞳も揺れた。
「うっ……うぅ…うわあぁぁ!!」
暗い空の下で、己の無力さに打ちのめされ、悲しみに暮れる二人の慟哭を、天上の月だけが優しく見守っていた。
その後、咲光と照真は子供の遺体を家族の元へ届けた。「野犬に襲われた」という事にして事態を説明し、野犬は追い払ったと添えておいた。
真っ赤に目を腫らした二人に、男は「尽力してくれてありがとう」と、二人より腫らした目を細めて言った。
それから二人は互いに何も言わず、清江の家に戻った。
それから数日後、清江もすっかり元気になり、咲光と照真は出て行く事にした。
「照真さん、咲光さん。お元気で」
「色々ありがとうございました。とても楽しかったです」
ぺこりと頭を下げる拓美と夏子。打って変わって雄一と晴正はシュンと眉を下げてしまっている。清江の傍で好子も同じようにシュンとしている。
そんな様子に照真は微笑み、スッと膝を折った。
「雄一、晴正。兄さんと姉さんの言う事ちゃんと聞いて、しっかり母さんを助けてあげるんだぞ」
「うん」
「兄ちゃん、また来る?」
「俺達は旅してるんだ。近くに来たらまた来るよ」
「絶対だよ? 約束」
「うん」
別れは寂しい。けれど、照真の笑みに雄一と晴正はパッと表情を明るくさせた。淋しそうな顔を最後に見たくはない。そう思っていた咲光も二人の笑みに、自然と笑みが浮かぶ。
立ち上がった照真を見つめ、清江は二人にしずしずと頭を下げた。
「本当に、色々ありがとうございました」
「こちらこそ、お世話になりました」
「お身体、大切になさってくださいね」
「はい。こんな家ですが、宜しければいつでもいらしてください。旅のご無事をお祈りしています」
深々と下げられた頭に、咲光と照真も深く頭を下げる。
大きく手を振り、「またね」と元気に声を出す子供達に手を振り返し、家を後にした。
「あの子たちと同じでさ、俺も別れるの寂しいや」
「…うん。私も」
旅の中の出会い。記憶に刻み込むように、そっと胸に手を当てた。
忘れない。絶対に。そう思い胸に当てた手をきゅっと握りしめる。一度目を閉じ、ゆっくり開いた時、照真はまっすぐ遠くを見つめた。
「姉さん。今度はちょっと大きな町へ行こうよ!」
「うん」
爽やかに澄み渡る青空の下を、咲光と照真は先へと進んでいく。




