第二十六話 痛みの連鎖
人だかりの視線の先には、男と子供がいた。男の腕には血を流し動かない女性が抱かれていた。
「うぅ…っ…」
「か…ちゃっ…母ちゃ…」
涙に暮れる男と、母親にすがりつく子供。ピクリとも動かない女性は、すでに事切れているだろうと察せられた。痛ましいその光景に、人々も言葉をかけられずにいる。
その光景に、咲光と照真は、唇を噛んで拳を握りしめる。
(間に合わなかった…)
照真は悔しさに顔を歪ませる。咲光は目の前の三人から隣の男性へと視線を向けた。
「何があったんですか?」
「さあ? 俺らにもよく分かんねえんだよ。悲鳴がして駆けつけたらこうさ」
「そうですか…」
事情を知る者はいないらしく、周りの人々は誰もが首を傾げているだけ。
それを見て、咲光は視線を下げ思案する。
(この女性は妖に出くわして…。でも、どうしてこんな時間に外に…?)
疑問に思う咲光の隣では、町人が片眉を跳ね上げ、咲光と照真を不審気に見やる。
「あんたら、この辺りじゃ見ない顔だけど、どこのモンだ?」
「あっ! あんた清江さん所の子らと一緒にいた…」
「はい。旅をしていて、今お世話になっている者です」
昼間、照真を見かけていた男性の言葉で不審な視線も消えていく。
それにホッとしながら、二人は視線を合わせ頷き合うと、泣き崩れる男の元へゆっくりと足を進めた。
(昨日の奴の妖気も少し感じる…。でもそれじゃない妖気も…)
(襲わせる。本当にその通りみたい)
傍まで行くと、二人はそっと膝を折った。見知らぬ二人に、泣いていた男は視線を上げる。
涙に濡れた視界は、その二人の表情をはっきり映してくれない。それでも、二人の表情はどこか苦しそうに見えた。
言葉が出てこない男の耳に、静かだが辛そうな、痛みをはらんだ声音が届く。
「旦那さん。どうか…どうか、気を強く持ってください」
「その子を、守ってあげてください」
苦しそうな、切なそうな表情に、男の喉の奥で出て来ようとした言葉が絡まる。喉が熱くなって何も出てこない。
目の前の二人は見知らぬ相手。だからこそ、なぜ、と疑問ばかりが駆け巡る。
出てこない言葉の代わりのように、男の手が咲光の腕を掴んだ。震えるその手にそっと自分の手を添え、咲光は瞼を震わせる。
突然大切な人を失う悲しみも、胸を抉るような痛みも――
咲光はそっと男の手を離すと、照真と共に立ち上がった。男の視線も釣られるように上へと向く。ぺこりと頭を下げ背を向ける二人に、男の口が震える。
「むっ…息子が…息子がいないんだ!」
必死に紡がれた言葉に、咲光と照真は驚いて振り向くと、すぐに表情を引き締めた。
「助けます!」
言うや否や、二人は走り出した。その突然の速さに、集まっていた人々が目を瞠る中、男は祈るように頭を下げた。
僅かな気配を辿って走る。これまで以上に感覚の網を張り巡らせ、集中し続けて走る。逸る心だけは押しとどめ、今は集中。
大切な人が一度に二人いなくなる。その痛みに、咲光と照真の脳裏には父と弟の姿が浮かぶ。
穏やかで、物事を優しく丁寧に教えてくれた父。母が亡くなった時は、見た事が無い程に落ち込んでいた。けれど、自分達三人をぎゅっと抱きしめてくれた。
家族皆に愛され、懐いていた弟。中でも照真といる時はいつも楽しそうに笑い声を上げていた。照真も兄としてよく面倒を見ていた。
そんな、優しくて穏やかな日が、ずっと続くと思っていた。
胸が痛み苦しくなる。それでも必死に二人は走り続けた。
(どこだ。どこにいる)
全方位、気配も音も匂いも、感覚を総動員させ僅かな異変も見過ごさないよう、今までにないくらい広く探る。
そして、その感覚が突破口を見つけたように光る。
「姉さん!」
「見つけた!」
落ちることのない速さは、そのまま気配の方へ向かう。町を抜け、小さな森を抜けた拓けた川辺に、それはいた。
白い毛に覆われた犬か狼のような体。尻尾がいやに長く、口元には鋭い牙がのぞく。
その牙が小さな男の子を捕まえていた。
「その子を放せ!」
すかさず刀を抜いた照真と咲光が斬りかかる。
妖はそれを忌々し気に睨むと、咥えていた子供を突然宙に放り投げた。
二人の意識が子供へ向くのを見逃がさず、妖は駆け出す。
「飛んで!」
咲光の判断が早かった。照真より先へ駆けると、手を組み膝を折る。その行動から察した照真も、走る勢いを殺さず、咲光の手に足を乗せると放られる勢いで跳んだ。
子供に手を伸ばす。
(後少し……!)
必死に伸ばす手が、子供の着物に触れる。同時に「照真!」と下から姉の叫び声が聞こえた。
照真の目の前から、子供が白い影に攫われ、消えた。照真の手が空を切る。
咲光の驚きと悲痛が混じる表情も。地面に下りていく妖の姿も。空気の流れに揺れる子供の着物も。噴き出す赤い血も。
まるで時の流れが変わったように、とてもゆっくりに見えた。




