第二十四話 こんなものはただの遊び
目の前で、男が三日月を浮かべ笑う。それが恐ろしい。
照真は頬を流れる汗に気付かぬふりをして、歯を食いしばって相手を睨む。ぎゅっと刀を握る手に力を籠めた。
引く事はできない。引くわけにはいかない。この恐ろしい妖をこのままにしてはいけない。
(今、ここで倒さないと……!)
本能が警鐘を鳴らす。その辺の妖とは格が違うと。
照真と同じように、咲光も相手を睨む。こんな圧迫感は初めてだ。心臓の音がはっきりと聞こえて煩く感じる。
それでも意を決し、咲光はゆっくり呼吸をする。
「お前が、この村に人達を手にかけたの?」
「如何にも」
一切悪びれる事のない、あっさりとした肯定に、照真の表情は剣呑さを帯びる。
二人を見下ろす男は、余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》な態度で腕を組んだ。
「今ここで、お前達を殺す事は赤子の手を捻るより易い。が、それではつまらん」
「……」
「余興といこう」
何を言い出すのかと照真と咲光は眉をしかめる。
妖の言葉に耳を貸すのは危険だ。知らぬ間に付けこまれる危険がある。しかし今、言い知れぬ嫌な予感が二人の胸中に沸き上がった。
斬り込めと頭は指示を出すのに、身体が動いてくれない。
「明晩、妖に町を襲わせる」
「!」
息を呑む二人に、男は微かに口端を上げた。その表情は、実に愉快で楽し気だ。
「貴様らが、妖から人を守る万所の者ならば、守ってみろ」
ダンッと力強い音がすると同時に、照真と咲光が男との距離を詰めた。白銀に輝く刃が男を狙うが、驚いた風もない男はひらりと躱す。
屋根の上で入れ代わり立ち代わり繰り出される攻撃を、男は難なく避ける。そして、同時に襲い来る刃を躱すと、男は地面に降り立った。
上空から振り下ろされた照真の刃を躱し、その体を蹴り飛ばす。続けて、死角を狙ってきた咲光の手首を掴むと、そのまま照真の方へ投げ飛ばした。その勢いは強く、重なり合った二人の身体は民家の壁を壊す。
咲光は顔をしかめながらも、背の痛みに顔を歪める照真の前で膝を折り、戦闘態勢を保つ。
そんな二人を見やり、男はため息をついた。
「やはり、その程度ではつまらん。ただ殺しても足しにもならん」
そう呟くと、男はおもむろに手を前へ伸ばした。
手の平を地面に向けると、途端に妖気がうねり出す。ぶわりと噴き上がる妖気が強まり二人の肌を撫でる。不気味さと恐ろしさが混じり、鳥肌が立った。
「餌をくれてやろう。――餓鬼」
男の足元に広がった妖気の渦がうねり、そこから黒い影が形作られる。泡立つように波打つように現れた影は、人の形をし始めた。
真っ黒だ。姿形は人と変わらない。まるで枯れ木のような体なのに、指先は獣のように鋭い爪が五本。ぎょろりと動く目玉は血走っていて、口元には鋭い牙が覗く。
その姿に咲光は息を呑んだ。
(間違いない。これが、村を襲った妖気の正体)
(あの妖の力…? 作ったのか?)
油断なく餓鬼と呼ばれた黒い影を睨み、咲光は後ろに手を差し出した。
「ありがとう、姉さん」
その手を取り、すぐに照真が立ち上がる。
餓鬼は計七体。その数に二人は前を見据える。二人でこの数と男を相手にしなければいけない。
(やるんだ。今ここにいる俺達にしか、出来ないんだから)
同じ想いの咲光も、フッと息を吐いた。男はそれを見て、面白いと言いたげに口端を上げた。
「ここを切り抜け、明晩も楽しませろ」
「必ず止める!」
声を揃えた二人の返答に男はスッと姿を消した。一瞬での逃避に追いかける事も出来ず、慌てて飛び出そうとした照真に餓鬼が襲い掛かる。
その爪を刃で阻み、すぐに払うと同時に、別方向から襲い来る餓鬼を斬る。
数の多い餓鬼は、一体だけに集中出来ない。上段から襲い来る爪より先に、その腕を斬り落とすと「ギャァァ」と悲鳴を上げ仰け反る餓鬼を、すかさず咲光が止めを刺す。
咲光と照真は背を合わせた。
「照真。まずはここ、切り抜けるよ」
「分かった!」
焦りは禁物だと諭された気がして、照真も頭を切り替える。目の前のこの数を倒さなければ、男を追う事も、明日に備える事も出来ない。
咲光に餓鬼が襲い掛かる。それを躱し、続けて来る別の餓鬼を斬りつける。身を返して最初の餓鬼の足を斬りつけ動きを封じる。三体目の気配にすぐ半身を捻るが、その爪が左肩下を裂いた。痛みに顔をしかめながらも、振るった刀が細い胴を斬った。足を斬った餓鬼が這って来るのを突きで倒した直後、咲光の目に照真の姿が映った。
爪の攻撃を刀で弾き返し、照真は背後をついてきた餓鬼を倒す。間を置かぬ三体目に左腕を裂かれるが、すぐに蹴り飛ばして距離を開けると、もう一体を斬りつけ倒す。直後、咲光の姿が見えた。
照真の後ろに餓鬼が。咲光の後ろに餓鬼が。
走り出した互いは入れ違い、その背後の餓鬼を斬る。ドサリと音をたてて最後の餓鬼が倒れ、黒い靄となり消えていく。
「はあー……」
それを見届け、咲光と照真はヘタヘタと背を合わせ座り込んだ。カタリと刀が手から抜け落ちる。
「な…んだよ……アイツ…」
「恐かった…」
こぼれる言葉からも力は抜けている。これまでに遭遇した事のない妖力と威圧を肌で感じ、必死に保っていた平静が緊張と共に解ける。
もうすでにあの男の妖気は感じられない。すでに逃亡したようだ。周囲を探った咲光も照真も大きく息を吐く。
(こ…わかった…。恐い…恐い…。何なんだよアイツ。あんなのが居るのか)
今になって手の震えが鮮明になって、恐怖が心を占める。吐く息まで震えてしまう。触れた指先はひどく冷たくて、照真は震える手に震える息を当てた。
「姉さん。だいじょ……姉さん!?」
振り返れば、ガクガクブルブルで真っ青な咲光。呼んだ声が悲鳴のように引き攣った。
「どっどどどど…大丈夫!?」
「だ…だいじょうぶ…」
「じゃないよな!? ごめん!」
「だ…だだだ大丈夫だよ…? お、おお…落ち着いて?」
震える咲光の前では、負けないくらい真っ青な照真がオロオロとして手を彷徨わせていた。
姉の見た事がない状態に弟はパニックになり。弟の見た事がないパニックに姉も落ち着かせようとパニックになっていた。
「ごうっふっ! しっかりしろ俺!」
「自分殴らないで!?」




