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縁と扉と妖奇譚  作者: 秋月
第三章 遭遇編

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第十九話 母と子

 町を離れ、旅を進めていた咲光さくや照真しょうまは、周囲を畑に囲まれた長閑のどかな一帯にやって来ていた。

 家々は点々としていて、畑には夫婦らしい人の姿もある。耕した畑からの土の匂い、所によっては野菜が植えられている。雨を受け陽光を受け、野菜はたくましく育っていくだろう。

 その成長を思い、照真は頬を緩めた。



(いつもなら、俺も同じ仕事してた。どう出来上がるのか毎年分からないから、心配も期待もあったな)



 不作に悩んだ年もあった。豊作に喜んだ年もあった。自然は決して思うようになってはくれない。難しいと幼くして知り、よく頭を悩ませたと懐かしむ。


 周囲の長閑な景色に、足取りもゆっくりしたものになる。照真の隣を歩く咲光も同じようだった。



「こういう場所は落ち着くね。ゆとりを持てる気がする…」


「うん。俺もこういう所好きだけど、せっかくだし、いつか大きな町にも行ってみようよ」


「そうだね。迷子にならないかなあ」



 笑う咲光に照真も笑った。


 穏やかな空の上には鳥が飛ぶ。そんな優雅な姿を目で追っていた咲光は、視線を前に戻し思わず足を止めた。それに気付いた照真も前を見て胡乱気うろんげに首を傾げる。

 前から二人の子供が走って来る。十歳に満たないような子供だ。遊んでいるのかと思ったが、それにしては表情が硬く、焦りと恐怖が見える。

 ただならぬ様子に、照真は数歩駆け寄り声をかけた。



「どうしたの?」



 走り過ぎようとしていた子供は、声をかけられ足をとめた。それでも足は走りたいように小刻みに動いている。余程急いでいるのか、まくし立てるように答えた。



「母ちゃんが倒れたんだ! だからお医者を…」



 ぎゅっと唇を噛み、つむぐ言葉が震えないよう堪えている。泣くまいとしている健気けなげな姿に、照真はすぐに口を開いた。



「どこ!?」


「え…」


「俺達が持ってる薬、使えるかもしれない」


「え…! 母ちゃん治る!? お医者さん?」



 急ごうとしていた足は、道の先ではなく照真の前に向く。すがりついてくる子供達に、照真は膝を折り、落ち着いてゆっくり続けた。自分の袴を握る子供達の震える手を、きゅっと握る。



「違うよ。お医者じゃない。でも薬を少し持ってるんだ。それが君達の母さんに効くかもしれない。もしお医者に診てもらわなきゃいけないなら、俺がすぐに走るよ」



 一言ずつゆっくり丁寧に教えると、子供達も少し落ち着いてきたのか、ゆっくり頷いた。やがて母親が居る方を指差す。

 それを受けた照真は、咲光と頷き合うと、背負っていた刀袋と手荷物を咲光に預けた。そして代わりに、一人を背負い、一人を抱え上げた。「わっ」と声を上げる子供らに照真はしっかりと言い添える。



「いいか? ちゃーんと兄ちゃんに掴まってるんだぞ」


「うん」



 ぎゅーっとしがみつく背中の子供の力を感じながら、照真は咲光と頷き合うと駆け出した。


 子供の足で駆けて来た時よりずっと速い。風が頬をうつ感覚に、子供達は純粋な感嘆かんたんの声を上げていた。

 しっかり着物を掴む手は震えていない。それを見やりながら照真は微かに眉を下げた。怖かっただろう。焦っていただろう。心配する子供の拳が胸をいた。



(大事な母さん、倒れたら嫌だよな)



 あっという間に、子供らの指差す所に辿り着いた。そこでは、畑の傍で座り込む女性と、その傍にいる年長の少女と小さな少女。畑の中ではそんな三人を気にしながらくわを振るう男の子。皆照真よりも年下だった。


 家族総出で畑仕事のようだと見当をつけながら、照真は子供達を下ろした。すぐに「母ちゃん」と駆け寄る兄弟に、子供達と女性は咲光達に気付く。



「母ちゃん。大丈夫?」


「この兄ちゃんが薬持ってるって! だからもう大丈夫だよ!」



 駆け寄って、心配そうな目で自分を見る子供達に、母親の女性はほのかな笑みを浮かべた。「大丈夫よ」と子供達を撫でる手は優しく、咲光と照真も胸があたたかくなる。

 咲光は手荷物を持って、女性の傍に膝をついた。



「初めまして。旅をしている村雨むらさめ咲光と申します。後ろにいるのは弟の照真です。道中で、子供達が只ならぬ様子で走っていたので声をかけました。倒れたという事でしたが、ご気分は?」


「まあまあ、ご丁寧にありがとうございます。もう大丈夫です。少し疲れていたようで…。私は清江きよえと申します」



 疲労の残る表情で、清江は頭を下げた。不安そうな子供達の眼差しに咲光も瞼を伏せた。



(お母さんが倒れたら、怖いよね…)



 同じ想いを持った事があるからこそ、その眼差しが胸を衝く。


 咲光は清江に断り、発熱や脈拍を確認させてもらった。咲光は医療知識を持っていない。しかし、村を出る前に、村唯一の薬屋と知り合いの医師に簡単な事は教わっていた。薬も数種類購入し、どういう時に使うものかはきっちり教わっている。咲光と照真の手荷物には、解熱剤、鎮痛薬、塗り薬、疲労回復薬などなど必要と思われる薬も入っている。



「お医者さんに、きちんと診てもらうのが良いかとは思いますが…」


「そんな。とんでもないです。近くの医者の所へは距離もありますし、そんな暇も…」



 点々ッと家があるこの辺りで、一番近い医者はどこに居るのか、咲光は知らない。が、清江の様子からして遠いのは分かる。

 男手がないのか、子供達に任せては行きづらいだろう。



(病は気が引き寄せる事もあるって、お医者様が言ってた。悪い気は悪いものを引き寄せてしまう。まずは子供達の不安だけでも晴らさないと)



 一度悪い方へ向かうと、そのまま転げ落ちてしまう。抜け出せなくなるととても厄介だ。それを防ぐため、咲光は手荷物から水と薬を取り出した。



「これをどうぞ。疲れを取る薬と体の調子を整えてくれる薬です」


「そんなとんでもないっ…」


「どうぞ。そしてゆっくり休んでください」



 押し返される手を包み、咲光は笑って返す。その眼差しに清江は何も言えず、薬を受け取った。「ありがとうございます」と何度も礼を言い、薬を飲んだ。



「母ちゃん大丈夫?」


「うん。ゆっくり休めば大丈夫」



 咲光と子供達が笑って話している。咲光の頷きに子供達もパッと笑顔になった。


 子供達の笑顔に、清江は申し訳ないように眉を下げた。大丈夫だと思っていても、身体は大丈夫ではなかった。悔しいくらい正直で、子供達に心配をかけた事を情けなく思う清江の目尻に涙が浮かんだ。

 大丈夫というのは本当だった。体ではなく、心は、いつだって子供達がいてくれるから平気だった。

 優しい末娘が涙を拭ってくれる。ぎゅっと抱き寄せれば嬉しそうな顔で笑った。


 一安心した子供達は、母を休ませるため率先そっせんして手を上げる。



「俺達も畑やる。兄ちゃんの邪魔しないからさ!」


「お、俺もっ…!」


「お前らすぐ遊ぶだろー」



 次男も三男も、長男に呆れたように言われシュンと肩を落とした。子供達の気遣いが今はただ、清江にとっては嬉しかった。

 長男と長女の目が同じ事を言っていて、照真は思わず吹き出した。咲光もクスクスと喉を震わせた。






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