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縁と扉と妖奇譚  作者: 秋月
第二章 初任務編

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第十七話 手と言葉

「…牛?」



 牛のような体を剛毛が覆っている。額から斜め左右に生えている鋭い角。その顔には三つの目がついていた。


 古びた民家の縁側に姿を見せたあやかしは、ブルリッと身を震わせると、鼻息を荒くさせた。バラバラに動いていた三つの目玉が、敷地内に侵入してきた人間を見つける。狙いを定めたように、その脚がダンッと縁側を蹴るように叩いた。



(来る!)



 直感が鳴り響いた。間を置かず妖が駆け出して来る。わき目も振らず直進してくる妖に、咲光さくや照真しょうまは左右に分かれた。


 走り出しとはいえ、一瞬で速度を上げたようで避けるのに余裕がない。その速さでなら曲がれまいと踏んだ二人だったが、そんな二人を嘲笑あざわらうかのように、妖は剛毛を伸ばす。剛毛で作った束をブレーキ代わりのように地面に突き刺し、その勢いをさほど弱める事なくぐるりと曲がった。

 思わぬ方向転換に、曲がって来られた照真も「え!?」と驚きを隠せない。しかしすぐに思考を始めた。



(避けてもまた曲がって来る。なら…)



 咄嗟とっさに刀を前に後ろへ跳んだ。ドンッと容赦ない衝撃が体を襲う。



「照真!」



 吹っ飛ばされた照真は、痛みに顔を歪めながらも何とか受け身を取り、体勢を立て直した。照真に衝突した事で妖の足は止まり、鼻息を荒くさせている。



(角だけは避けようとしたとはいえ、これは尋常じゃなく痛い…。二度目は下手をすれば骨が折れる)



 衝突したとは言え、倒れない相手に妖も苛立っている様子。照真はフッと息を吐き、相手から視線を逸らさない。



(多分、あの剛毛の束を使って人を瞬時に捕まえたんだ。ぶつかるより騒がれない)



 これ以上そんな事はさせまいと、照真は強く相手を睨む。


 その視線に苛立つような態度で地面を叩いていた妖が、不意に視線を動かした。その視線の先には外への出口。それに気づいた照真が動くより、妖が走るのが早かった。



(まずい…!)



 このままでは逃がしてしまう。そうなれば今の妖からして無差別に人を襲ってしまうかもしれない。


 追いかける照真の前で、妖の前に咲光が立ち塞がった。自分でも吹っ飛ばされた相手だ。打ちどころが悪ければ最悪を招く。ゾッとする照真が叫ぼうとした時、パンッとんだ音が響き、妖がくるりと咲光を避けるように、逆方向へ走った。距離を取り、忌々《いまいま》し気に咲光を睨んでいる。

 何事かと照真が見る先で、刀を地面に刺し、両のてのひらを少しずらして合わる咲光の姿。



(そうか、拍手かしわで……!)



 神にう助力は、場の浄化だけではない。その一つが拍手。神に参る時に拍手を打つように、神威宿る刀を前に打つ拍手は神への嘆願たんがんとなる。咲光は拍手を通し、神に刹那せつなだけ神威を強めていただいたのだ。その神威に妖は近寄れない。


 外に出る道を防がれ、妖は歯ぎしりをすると咲光を睨んだ。今にも襲いかからんという殺気が肌を刺してくる。

 怒りに満ちたその様子は完全に自分達を標的としている。確信した咲光が草履を少し滑らせた瞬間、妖がダンッと強く地を蹴った。同時に咲光も走り出す。



(よし。付いて来る)



 怒りに満ちた相手は出口よりも、咲光を追い続けて来る。

 追いつかれればその鋭い角で貫かれるだろう。一瞬も気が抜けない。一度は横から突撃されそうになったが、ギリギリでいなすことで直撃は避けた。

 体力は無限ではない。鍛錬をしてきたことで肺活量や持久力、体力は向上しても、必ず限界がくる。


 咲光は庭を逃げ回るような事はせず、ちかけの建物に入り込んだ。



「照真! 私が引き付けるから!」


「!? あっぶないなあ!」



 なんと危険なおとり策を使うのかと、照真もすぐに走り出す。妖は咲光を追い、バタバタと暴れるように走り続けている。


 照真も間を置かず建物内に入った。ギシィときしむ床は、踏み所が悪ければ抜け落ちそうだ。抜けている床板、はがれた畳、破れた障子に外れた扉。埃っぽい室内の空気は吸い込みすぎると咳き込んでしまう。

 誰もいない建物に響く暴れ回る足音が二つ。一つが大きすぎてもう一つを聞き逃してしまいそうだ。妖気をしっかり捉えながら、照真は足音が近づいて来る場所へ先回りした。



(追いかけっこはキリがないなら、かくれんぼってな)



 二つの部屋の間に廊下がある。照真はその一部屋のふすまを背に、廊下へ意識を向けた。足音が近づいて来た。


 逃げ回る咲光は目算の誤りに奥歯を噛んでいた。建物内ならば障害物もあるので、多少は早さが遅くなると踏んだのだが、後ろの妖に全くその気配はない。

 身体を覆う剛毛の束が先々の障害物を全て蹴散らしてしまうのだ。しかもそれは自分を掴まえんと襲ってくる。壁や障子を使いなんとか避けれているが、思った以上に動かされ体力が削られる。


 急いで照真の気配を探す。自分で決断した策だ。悔いている暇はない。


 後ろからの轟音ごうおんに集中を邪魔されながらも、探し出した気配に向かって方向転換。バキバキと音をたて追って来る妖を少しでも引き離すよう走り回り、ある部屋に襖の前を通り過ぎた時――

 ギャァァと妖が悲鳴を上げ、転げ床をのたうち回った。


 体勢を変え、咲光は妖を睨む。その視線の先で、額の角が斬られ、顔に深い傷をつくった妖が立ち上がる。傷口から血を流しながらも決して気迫を失わない。

 間を置かず、すぐさま照真が床を蹴る。白銀の一閃が、斬った角側に回り込んで振るわれる。その動きに、妖は残った角で応戦するように頭をぐるりと動かした。その動きは致命傷を避けるように身体をずらす。そこに咲光が斬り込んだ。


 咲光と照真は互いを傷つけないよう立ち回る。上段から斬りつけるのではなく、突きを繰り出す咲光の一撃が妖の身体を刺した。深く刺さった傷口から血を流し、妖は二人から距離をとると、おもむろに口を開いた。



「退治人か…。あやかし(ばら)いも出来ん野蛮人やばんじん共め…」



 吐き捨てられる言葉に、咲光と照真は刀を構える。


 闇に棲む妖は、時に人の心に付け込む。その言葉に決して惑わされないよう、戦う者は心を強く持たなければならない。

 言葉には力があると総十郎は言っていた。それは妖も同じ事。



「闇の薄まった世。だが、今の世に、確実に闇は広がりつつある。おろかか者共め…。その程度で防ぐ事など不可能だ。思い知るが良い…。絶望を…。死を…」



 心を圧迫してくるような重暗い言葉。心の奥に暗い感情を抱かせるような言葉に、咲光と照真は床を蹴った。






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