第十六話 神隠し
開けられた障子からは整えられた庭が望める。初夏の花が咲き、若い緑が生き生きと育っている。その景色の奥にはちらりと本殿が見える。
古いが立派な本殿を見ながら、照真は胸元に手を当てた。コツンと硬い感触がある。入所時に支給された勾玉だ。
「神社って、やっぱり少し空気が違うよな。なんかこう…背筋が伸びるような…」
「うん。これも勾玉があるからそう感じるのかな…。刀と同じで特別な石らしいから」
「じゃあこの空気は、神が坐します場所だからだな。他じゃ感じないし」
妖を知ると同時に神を知った。神の姿を視た事はないけれど、いるのだと今の二人は実感している。万所から支給された勾玉も刀も特別な物で、刀には神の神威が宿っている。
咲光は胸の内で神へ感謝を述べる。これからも神社を訪れる事は多いだろう。神に助力を乞う事も。感謝は常に忘れないようにと自分に誓う。
少し時間が経った時、「お待たせしました。神主です」と神主と鈴木が姿を見せた。神主はやはり人々の前に居た初老の男性だ。疲労の見える表情は、決して急いで来たからだけではないだろう。
神主は一礼すると、机を挟んで二人の前に座った。
「当神社の神主です。この度はお越しいただき、ありがとうございます」
「万相談承所、退治衆の村雨咲光と申します」
「同じく、村雨照真です」
木札を見せ名乗り、二人は詳しい話を聞く事にした。神主は痛まし気な表情を見せながら、ゆっくり話をしてくれた。
「始まりは、放し飼いにしていた犬がいなくなったという、よくある話でした。その時は逃げたんだろうと思われていましたが、同じように他の犬や猫がいなくなり、ついには…人が…」
「そうですか…」
「中には子供もおります。親しい子らの話によると、夜に度胸試しをするために、大人の目を盗んで家を出た所、被害に遭ったようで…。見回りをするようになったのですが、その見回り中にも…。それで万所にご相談させていただきました次第です」
「分かりました」
事情を聞き、咲光は思案した。
事の最初の頃は、村だけで話は途切れていたかもしれない。しかし被害が増え人々が恐怖するようになり、神社に助けを求めたのだろう。恐ろしい神隠しが起こっているのだと。
(私達が寄越された時点で、これは妖の仕業。状況からすると村の中にいるんだろう)
万所に依頼される相談内容の詳細は、相談者からの話や、足りなければ式を使い状況把握が行われる。そして祓衆か退治衆が派遣される。派遣された時点で、それは万所が対処しなければならないものなのである。
これも決して、神隠しなどではない。妖の仕業によるもの。
拝殿の前で祈っていた人々の姿がよぎる。子を案じる親も居たのだろう。その心を想い、胸が痛む。それでも咲光と照真はまっすぐ神主と鈴木を見た。
「私達が対処します」
「もう、これ以上の犠牲者を増やさないために」
力強い言葉に、神主と鈴木は「お願いします」と深々と頭を下げた。
きちんと参拝をすませた二人は、荷物を神社に預け、刀袋だけを背に持って町へとやって来た。神社からさして離れていない町は、二人の育った村よりも大きいが、人通りが少なくどこか寂しい。すれ違う人々の表情は仄暗さを感じさせる。
神隠しに怯えているのだろうと思う照真も、暗い町に暗鬱の想いだった。本来ならばもっと人が行き交い、活気があるだろうに…。
通りの左右には店が並んでいる。四つ辻には櫓があった。周囲の屋根よりも高い櫓の上までは梯子が伸びており、その先には鐘が吊り下げられている、緊急時に鳴らすのだろうと思われるそれを見上げ、咲光は周囲をくるりと見回す。
(町の中には妖気が感じられる。でも、これは雑鬼。人を襲っているなら、もっと禍々《まがまが》しいはず)
人が暮らす片隅で生きている、害のない妖気をまとう、さして強くない妖は雑鬼と呼ばれている。今も二人の目にもそれらは視えているが、昼間だからか数は少ない。直に夕暮れになる。そうすれば活発に動き出す。
人を食った妖と雑鬼では妖気の質が違う。感じるだけで委縮するような、圧迫される妖気が、二人の目的になる。なので雑鬼は除外しながら他を探す。
(雑鬼も、別に私達に興味津々ってわけじゃないみたいだし。視られてても、さして関心はないんだろうな…)
世の妖が皆そうであればいいのにと、咲光は内心で力なく笑った。人と妖と棲み分けが出来ていればいいのに。お互いが干渉せずにいられればいいのに。それが難しい事も、視える事で少しずつ解って来たけれど。
「照真。むやみに町中を探すより、場所を絞り込もう」
「分かった」
言うや否や、照真は櫓の梯子をひょいひょいと上り始めた。その様子を咲光も見上げる。
見つかれば注意されそうだ。こういう鐘は、いたずらで鳴らせばこっぴどく叱られる。勿論鳴らすために上ったのではない。
上り切った照真は、ぐるりと四方を見回した。意識を集中させ、僅かな感覚も逃さないよう意識する。人を襲う妖の妖気の質はもう肌が知っている。近くても遠くても、視えるもの、感じるもの、風が運んでくる全てを吸収する。
その中で、不意に照真の視線が止まった。と、すぐに照真は櫓から飛び下りた。いきなりの照真の行動に咲光は慌てて周りを見た。幸いにも人に見られてない。
「姉さん見つけた。北の…」
「その前に、捻ってない? いくら鍛錬で森の中走ったり飛んだりしたとはいえ、梯子あるんだから」
「……ごめん」
表情を明るく伝えようとした顔が、シュンと申し訳なさそうなものに変わる。素直に謝る弟に笑みを浮かべながら、咲光は「どっち?」と問うた。「こっち」と言いながら走る照真に続く。
空は橙色に染まろうとしていた。
町の中央には建物がならんでいたが、北側の一角は人が住んでいない、朽ちた建物が目立っていた。扉は外れ、障子には穴が開き、木が弱っているのも目に見える。周囲には人の気配もない。
「廃れた建物って、子供にとって肝試しに良い場所だったんだろうな…」
「人が居ないからこそ、ここも見回りしてたんだろうね…」
その結果が神隠しになった。やるせない想いを抱きながら、二人は妖気を感じる敷地内に足を踏み入れた。雑鬼の気配すら感じられない気味の悪い所を、二人は油断なく周りを見やる。背の刀袋から刀を取り出し、腰に差す。そのまま柄に手を添えた。
空は橙の色から黒へ、だんだんと空も地上も色が変わっていく。二人の目は夜に慣れ、周囲の景色を映す。
――そして、人ならぬモノの姿も。
空から橙が消え、周りは闇に染まる。
そして、ギィィ…と木の軋む音とごそりと動く気配をさせながら、それは姿を見せた。




