第十三話 作戦
それ以降、大勢で襲われるような大きな戦闘はなかったものの、小さな戦闘を行い、なんとか夜を抜けた。太陽のあるうちは岩穴に身を隠し、互いに休みながら警戒する。
確実に試しの時間は進んでいった。
再び訪れた夜の時間。二人は猿妖とは別の妖気を感じ、足を止めた。スッと刀の柄へ手を添える。
山は静かだ。鳥の声もしない。そんな周囲から、カサカサという音が微か耳に届く。視線だけを周囲に向けながら探る。
(落ち着いて。集中。妖気を探れ)
敏感に感じ取れるようになれば、ほんの僅かな妖気も分かるようになる。常に感覚は研ぎ澄ませておけと教わった。
感覚を四方に張り巡らせるように探る。
「――上!」
ピンと感覚の網に触れた妖気。すぐさま叫んだ咲光に応えるように照真が後ろへ跳んだ。照真が居た場所に何かが飛んできて、へばりついている。
白い、網目のようなもの。粘着質なのか地面にくっ付いている。しかも地面に広がり、吊るされるように上へと伸びている。
「……蜘蛛の糸…?」
ぼそりと呟いた照真は、ハッと顔を上げた。すでに咲光も睨む先、岩壁に張り付いた蜘蛛が居た。それも小さなよく見る蜘蛛とは違い、体高だけでいうなら熊のようだ。足が広がる分、見た目は熊より大きいかもしれない。
思わず「デカッ」と心が叫んでしまう。カサカサと動く左右四本ずつの手足、もさもさと動く口には白い糸が垂れ、地面に吐き出した網と口から伸びる糸が繋がっているのが分かる。まさに蜘蛛だ。ただ、その顔にはいくつもの赤い光がある。全て目玉だろうか…。全身は黒い毛で覆われ、猿妖よりも強い妖気を発している。
蜘蛛妖は口元でプツンっと糸を切ると、シューシューと威嚇するような奇妙な声らしいものを発する。
(壁を這うのか。厄介だな…)
相手を睨んだまま照真はどうするべきかと考える。こういう時、何かを思いついて作戦を立てるのは咲光が多い。照真は咲光が考えた事を信じている。
(でも、姉さんに任せっきりにも頼りっぱなしにもできない。俺も戦うんだから)
一緒に、二人で、戦うと決めたのだから。
カサカサと小刻みに壁を動く蜘蛛妖は、再び網を吐き出した。それが地面に落ちる前に、咲光と照真は飛び退く。
それを見た蜘蛛妖が壁を離れ、ドンっと地面に落ちてきた。糸網を吐き出す口の動きを見ながら、二人は左右から挟み撃ちにするように走り出した。
赤い目が二つ、ギロリと動いた。
左右の足が一本ずつ、咲光と照真に向け持ち上げられる。残る三本の足で身体を支える蜘蛛妖は、持ち上げた足の爪をドンッと撃ち出した。
思わぬ攻撃にギョッとしながらも、すれすれで回避する。
(あの爪飛ぶのかよっ…!)
すぐ蜘蛛妖を見据え、また走り出す。しかし、蜘蛛妖が一足早かった。
体を縮め、脚を曲げると、ドンッと飛び上がったのだ。そして二人から離れて着地するとカサカサカサと逃亡を始めた。
「っ…!」
二人もすぐに追いかける。壁を伝って逃げられると厄介だ。しかしどう戦うか。
考える咲光の隣で「姉さん」と照真が咲光を呼んだ。その声に咲光は視線を向ける。隣を走る弟は真剣な目をしていた。
「俺の考え、聞いてくれる?」
その目を見つめ、咲光はフッと口端を上げた。答えなんて決まっている。
蜘蛛妖が進んだ先は行き止まりになっていた。前方は壁に、左右も来た道も広く、周囲にそびえるのは岩壁だけ。
もぞもぞと口元を動かし不満そうに息を漏らす蜘蛛妖に、後ろから大きな声が刺さった。
「もう終わりにしよう」
照真の声に、蜘蛛妖は忌々し気に照真を睨む。カサカサと手足を動かし振り向いた蜘蛛妖に、照真は一気に距離を詰める。
と、すぐさま蜘蛛妖から糸網が放射された。照真はそれを避けず、刀で受けとめた。白銀の刀身は白く塗り潰される。
うっすらと笑みに彩られたように見える蜘蛛妖の目。それを悔し気に睨む照真の身体が浮いた。
「おわっ…!」
蜘蛛妖が頭を振り動かし、糸とそれに繋がった照真を振り回す。刀を離すまいとしっかり握る照真を、蜘蛛妖は岩壁にぶつけようとする。照真はすぐさま刀を胸に抱き締めるようにし、糸を引いて岩壁と自分の身体の間に入れ込んだ。
「ぅ……っ…!」
それでも、衝撃が全て消えるわけではないので、とんでもなく痛い。続けて、妖は今度は地面にぶつけようと照真の身体を振り回す。
照真の身体が地面に当たる前。ギャイィィと蜘蛛妖が悲鳴を上げ、ドオォンと地面に倒れた。蜘蛛妖の足が全て斬られていた。
己の身体が地面と衝突するより早く、照真は滑りながら地面に足をつけるとその動きを殺さず、振られていた遠心力をそのまま利用し、刀を大きく振りかぶった。
「うおおりゃああ!!」
刀と糸はくっ付いたまま。足を失った蜘蛛妖の身体が浮き、照真が振る力で岩壁に激突した。ドオォンッと音が鳴り響き、砕かれた岩壁がバラバラと落ちて来る。
ドサリと倒れた蜘蛛妖をすかさず咲光が斬り伏せた。ポンッと音をたて紙へと戻る。
それを見届けると、照真は刀を払った。式に戻った事で糸も綺麗に消え去っていた。刀身をじっと見ていた照真は目を閉じ深呼吸をすると「清めたまえ」っとそっと紡いだ。
妖との戦いにおいて、その力で刀が穢れてしまえば神威が弱まりかねない。それを防ぐため、しっかりと清める事が大切だと一年の鍛錬の中で教わった。言葉は紡ぐだけで力がある。淡く光る刀身に照真はホッと息を吐いた。
そんな照真を、咲光は安堵と喜びの混じる表情で見ていた。
(いつの間にか、大きく立派になったなあ…)
この一年で照真はよく成長した。傍にいるからこそ、それを肌で感じる。
自分を見つめる咲光の表情にコテンと首を傾げる照真は、納刀すると駆け寄って来た。
「ありがとう姉さん。妖をここまで誘導してくれて」
「こちらこそ。私じゃ出来ない倒し方だったよ」
周囲を常に観察していた、咲光の戦闘適当地への誘導。照真の作戦。見事にはまった撃退だった。
「凄かったけど、出来るってよく判断したね」
「壁伝われると厄介だと思ったから。相手に逃げられないようにしようと思って。二人で行くとまた爪飛ばされるだろうし。あの妖、身体は大きいけど、飛び降りてきた時、猿妖みたいに重そうな音しなかったから」
「……よく見てたね。でも、危ない作戦は出来るだけやめてね。危ないのは本当にほどほどに」
「え…えー……」
切実な姉の表情に、照真はその心が分かるからこそ何も言えなかったが、シュンと眉を下げた。




