第十話 見守る者達
午後。咲光と照真は、まず基礎的体力づくりを徹底的に仕込まれることになった。
腕立て、腹筋、村までの道を全力疾走。ゼェゼェと呼吸が荒くなっても総十郎は決して手は抜かなかった。
夕暮れが迫る頃には柔軟も教えられ、午後だけで数日分の疲労に襲われた二人だが、「夕餉作るぞ」と言う言葉に休む暇はなかった。
布団に倒れ込むように眠った二人を見届け、総十郎は庭に出た。
月が浮かんで、星が無数に輝いている。闇を見る事が多い目には夜の幸せな光だった。
総十郎は桃の木の下へ行くと、その幹にそっと手を当てる。風が無いのに花ははらはらと揺れていた。
「良かったのか? あの子らがこんな道、進む事になって」
誰もいない外で静かに紡がれた声に、答えはない。ただ優しく花が舞い落ちる。
「いや…愚問か…。駄目だって顔じゃないもんな」
桃の木を見上げれば、視界いっぱいを美しい色が占める。総十郎には、その中に別のモノが視えていた。
ここに来た時からずっと。昼間、この木の下で咲光と照真が話をしていた時も、視えていた。それはずっと変わらず、包み込むような優しい笑みを浮かべている。
一人は女性だ。長い黒髪はふわりと浮いていて、丸い瞳は茶色く笑みに彩られている。
もう一人は、小さな子供を抱き上げている男性。黒い髪は首の後ろで結われているが、肩を越える程度。黒曜石のような目は、女性と同じように優しく細められている。その腕に抱かれた子供は男に似ていて、じーっと総十郎を不思議そうに見つめている。
「あの子らは大丈夫だよ。……って、俺が言わなくても知ってるか」
声が聞こえれば、フフッと笑ったのかもしれない。それとも「当然」と言っただろうか。
自分には分からないけれど、ただ解るのは。
咲光と照真の行く道を、本当にただ見守っているのだという事。それが、どんな道でも。
この村で、この家で育った二人は、もうすぐ外へと歩き出す。
「あの子らには助けてもらった気分だよ。俺も一つ、進めたかな…」
少し力なく俯いた総十郎の頭に、そっと、ぬくもりも重さもない手がふわりと乗せられる。感触はないが、されているのは感じ取れた。
(あぁ…やっぱり親の手ってのはこうなんだよなあ…)
幼い頃の事が脳裏をよぎる。胸に灯る暖かな光に、総十郎は頭を上げた。
とても、とても、ありがたい縁が結ばれたのだと、今強く思う。
「あの子らの事、俺に任せてもらえるか?」
静かだが、はっきりと揺るぎない声に、その男女はふわりと微笑み、確かに頷いた。
不思議そうに見つめていた子供が、総十郎に向かって手を伸ばす。それを取ってやれないのがとても残念だった。
そう思う総十郎の前で、三人の人影は静かに消えていった――
♦♦
紙を結わえた鴉が空を飛ぶ。バサリと翼を動かし飛び続けていた鴉は、やがて高度を落とし始めた。緑豊かな景色が眼下に見えて来る。
荘厳かつ、歴史を感じさせる立派な建物が随所に建ち、大勢の人々が行き交っている。そんな上空を飛んでいた鴉は、やがて人気の少ない場所までやって来ると、降下した。
そこには、地面を箒で掃いている一人の男の姿があった。
男は鴉に気が付くと、おもむろに腕を伸ばす。躊躇いなくその腕に止まった鴉を一撫でし、結わえられている紙をゆっくりと解く。
開いた書面を読み、やがて男は柔らかに口端を上げた。
♦♦
翌日から、本格的鍛錬が始まった。
夜が明ける前に起きた咲光と照真は、朝の運動として村までの道を走る。走って戻る往復を数回繰り返し、それが終われば朝餉の準備。手は抜かず野菜も肉も魚もしっかり食べ、片付けを終え、鍛錬と家事の両立が始まる。
畑仕事と鍛錬は交互に行い、総十郎と一対一でみっちり教えてもらう。総十郎の教えは戦い方だけではなかった。
「その一、俺達が使う刀は特別製だ。特別な手順に則り鋼を採掘し、打ち、出来上がった刀には神々への感謝、助力と加護を乞い、初めて使う事が出来る。太陽に翳せば金色に、月に翳せば白銀に輝く」
「神々への助力というのは何ですか?」
パシッと手を上げて問う照真に、総十郎は持っていた刀を鞘から少しだけ抜いた。太陽の光に刀身が光る。
「刀には神の威光が宿ってる。つまり神威だ。時にはその力を以て、場の浄化、妖への威嚇のように、戦う力を貸してもらうんだ」
そう言えば総十郎も妖を斬った後に、地面に刺して何か言っていたと、不意に思い出す。あれがそうだったのだろう。
刀を完全に納刀すると、総十郎は照真にそれを渡した。
「その二、神々への助力を乞う事にも繋がるが、言葉には気を付ける事」
どういう事かと首を傾げる咲光に、総十郎は続ける。
「言葉には元々力がある。誰だって日常的に使える力だ」
「日常的に…?」
「そう。言葉は、人を励ますことも、立ち直らせる事も、傷つける事も、追い込む事も出来る力だ」
「!」
「悪い言葉は悪い気を引き寄せ、神に嫌われる。逆に良い言葉は良い事を引き寄せ、神が好む。悪い気ばかり引き寄せる者は必ず見放され、助力に応えてはもらえない」
何気なく使う言葉が秘める力に、咲光は少し緊張した。これまでそんな事を意識する事などそうそうなかったからこそ。
自分だって、平気で人を傷つける事ばかり言う人は快く思えない。それと同じ。
「その三、今は妖が視えない事は気にしなくていい」
「え!?」
そこ重要じゃないの!? と言いたげな照真の表情に「いいのいいの」と総十郎は首を横に振った。
照真にとって、視えない事は最も気にしていた所だったのだが…。
「退治衆じゃ、視えない奴は結構いるし、祓衆でも退治衆より少ないけど、そういう奴は居る」
「そ…うなんですか…。でも、どう戦えば…」
「視えない奴には、試しに受かれば、視えるように守りが支給される。それではっきり視えるようになる」
ホッと息をつき一安心。その安堵は表情にも出ていて、総十郎も頬を緩める。
気がかりが解消されたところで、「じゃ始めるぞ」と厳しい鍛錬に戻った。




