第一話 その人の周りは笑顔が咲く
「こうして桃太郎は、仲間の犬、猿、雉を連れ、鬼退治へ行く事になりました」
数十年前の起こった大きな戦は国の歴史を大きく動かし、乱れた国内も落ち着きを取り戻した。今や異国からの文化や物が入って来るようになり、国内も発展を遂げた。暮らしの変化にも人々は適応し、平穏に過ごしている。
活気づき華やかな町を離れれば、長閑な田園夕景が広がり、緑豊かな風情ある風景があちこちに広がっている。
この村もそんな風景の中の一か所。こじんまりとした村は一歩出ればすぐに田畑に風景が変わる。
村唯一の薬屋の暖簾を、子供が急ぐように出入りしていた。外から見ればおつかいかと思われる光景も、店内の者達には全く別の光景だった。
客の邪魔にならない隅で一人の女性が絵本の読み聞かせをしていた。暖簾をくぐる子供の足はすぐそちらへ向かう。すでに女性の周りには子供達が七人程集まっている。誰もがじっと女性の声に耳を傾け夢中になっていた。女性の膝の上には女の子が乗り、その表情は嬉しさが溢れていた。
読み聞かせる女性の優しい声に、店内の者達も自然と笑みが浮かんでいた。
「ごめんよ」
「おぉ徳さん、いらっしゃい」
「いつもの頼むよ。お、咲光ちゃんかい?」
小さな村は誰もが顔なじみのようなもの。上り口に腰掛けた徳さんに店主も薬を用意しながら「あぁ」と頷いた。本を読み聞かせている咲光に徳さんも微笑ましそうに目を細める。
周りにいる子供たちは男女問わず皆楽しそうだ。
「家内が頼んでいた繕い物を持って来てくれたんだよ。そしたら時子に捕まっちまってな」
「ははは。毎度こっちへ来ると誰かに捕まっちまってなあ。子供らもすぐ集まって来ちまって」
「全くだ。嫌な顔ひとつしねえ良い子さ。俺と家内も時子には寂しい想いさせちまってて、本当に咲光ちゃんには助けてもらってるよ」
咲光の膝の上で嬉しそうな娘に、店主も目尻を嬉しそうに垂らした。
この村唯一である薬屋は村の老人達の薬も、急ぎの薬も担っている。その為いつも忙しく、娘の遊び相手にも満足になってやることが出来ない。そんな夫婦に代わるように、時にこうして娘と遊んでくれるのは咲光だった。村の子供達もよく懐き、大人達からも好感を持たれる優しい子。
年の頃は十六。長い黒髪は背でひとつに結われている。優しさと明るさが混じる雰囲気を纏っている。
「そうして桃太郎は、無事に鬼退治を終え、また、おじいさんとおばあさんと一緒に幸せに暮らしましたとさ」
見つめていた大人達の前でぱたんと絵本が閉じられた。読み聞かせが終わったようだ。膝の上では満足気な時子が笑顔を見せていた。
静かに聞いていた子供達が、途端に口々に喋りはじめる。
「なぁなぁ、次は外で遊ぼうぜ!」
「えー。咲光お姉ちゃん。別のご本読んで!」
「鬼ごっこしようよ!」
身を乗り出しまくし立てる子供達にも咲光は嫌な顔ひとつせず、おもむろに唇に指をあてた。それを見た子供達がしんっと静まる。
それを見て咲光は笑顔で頷いた。
「お店とお客さんのご迷惑になることは、駄目。ね?」
「はーい」
素直に全員から出る返事に、店主達も口端を上げ頷いた。
優しくも、しっかりしているのも咲光の良い所。だからこそ。子供を任せられると、この村の親達は安心できる。
子供達の様子に咲光が「それじゃあ…」と言いかけると同時に、ゴオォン…と鐘の音が響いた。全員の視線が外に向く。
「もう昼か。それじゃ、俺はこれで」
「あぁ。毎度あり」
鐘の音は昼の合図。この音を合図に昼餉を摂る者が多い。村の片隅ある鐘は昼と日の入りの時間に鳴らされ、村の人々に時を知らせる。村では欠かせない合図だ。
家に帰って昼餉だとなると、良い所だったのにと拗ねるのは子供らしさ。頬を膨らませる子供達は一斉に「えぇー」と不満を隠さず出す。そんな姿に咲光も苦笑した。
一同の元へ近づいた店主は、「こらこら」と子供達を嗜める。
「我儘言っちゃいけないよ。それに咲光ちゃんだって、家に帰ってご飯なんだから」
「…はーい」
返事はまだ不満気が残る。それでも渋々と一人、また一人と子供達は家へ帰っていく。
皆を見送り、咲光は膝から時子を下ろし、本を返した。さっきまでの子供達と同じように時子も少し頬を膨らませている。そんな姿に咲光は微笑ましさを感じた。
店主の妻に頼まれていた繕い物を渡し、帰ろうとした矢先、来訪を聞きつけた時子にせがまれ、本を読むことになった。断ろうとも思わなかった。喜んでくれればそれが何より。
「時子ちゃん。また来るね」
「うん…。またね。咲光お姉ちゃん」
膝を折り視線を合わせ、約束を交わす。そうしてやっと時子も不満を晴らしてくれる。
時子の頭を一撫でし、立ち上がった咲光は店主に頭を下げた。
「ごめんなさい。すっかり長居してしてしまって」
「いいよいいよ、気にしないで。いつも本当にありがとう。こっちこそ時間取らせちまったけど良かったのかい?」
「はい。大丈夫です」
それでは、と店主に頭を下げ、咲光も店を後にする。暖簾をくぐれば昼間の村の光景が目に映る。
昼の鐘が鳴ったので、家に昼餉を食べに帰る者。畑仕事をしている家族に弁当を届けに走る女性。走って帰る子供達。道端では世間話に興じるご老人達もいる。
人々を見て咲光も家路への道を歩き始めた。飯所で昼餉を食べている賑わいも耳に届いている。
(畑一緒にやるって言ったの、守れなかった。午後は朝の分まで鍬振らないと)
家で待っているもう一人に申し訳なさがある。
咲光の家は村から離れている。村を出て田園風景の道を歩いた先なので、村と行き来するには時間がかかってしまう。しかし不便を感じた事はなかった。土の匂い、風の音、鳥の鳴き声。それらを感じる充実感を幼い頃に教わった。
周りの畑では弁当を食べている村の人達が、時折手を振ってくれるので、咲光も振り返す。
そうして歩いていけば、山を背中にした我が家が見えて来る。のだが、我が家までの道の途中に、見知らぬ人が立っていた。
背中を向けているので顔は分からない。首の後ろで茶色の長い髪を三つ編みに結っている。背中には肩から細長い袋を掛け、考え事でもしているのか遊んでいるのか、紐で繋いだ小さな二つの葛籠をくるくると弄んでいる。
(村の人じゃない。葛籠を持ってるし、旅人…?)
何か困っているのだろうか。村から離れているけれど道にでも迷ったのか。
自分の思考に首を傾げながら咲光は足早にその人物へ近寄った。近寄って初めて、その人物が長身だと分かる。
「あの、どうかされましたか?」
後ろからの咲光の声にさして驚いた様子もなく、その人物は振り返った。
見た目は、二十歳を越えるかどうかの年の頃。村でもあまり見ない長身。空か川を思わせる色の着物は、その裾に緑の榊の葉と黄緑の七宝繋ぎの模様。両下肢外側には切れ込みが入っていて、通常の着物よりは動きやすそうだ。その下には野袴よりさらに細身の異国のズボンのような下衣を履いている。風になびく青い羽織は深くも美しい色だ。
精悍な顔つきの中にある、柔らかでありながら堂々たる印象を受ける薄茶の瞳が、咲光を見つめ、優しく閉じられた。
「いや、ちょっと仕事でこの辺りまで来たんだが、教えてもらった場所が分からなくてな。迷った」
男がアハハと笑う。困っているのだろうが、あまりにもあっけらかんとしていて咲光も呆気にとられた。