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介護の時間、最後の時間。  作者: 阿﨑 一
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プロローグ

世界は、俺中心に回っていると、小さい頃ずっと思い込んでいた。

俺が動けば、月も、太陽もついてくるし、目の前で事故が起こっても、なぜか俺には起こらないと思っていた。

自分の命が危険に晒されることもないし、もし何かあっても何とかなる。そして、いつかは美人の奥さんをもらって、子供は3人くらいもうけて、女の子、男の子、女の子の順番に産まれて欲しい。名前はそうだな、女の子には花の字をつけて、男の子には俺の名前の字を分けてあげよう。そして、60歳くらいで仕事を辞めて、第2の人生を歩む。あまり長生きすぎても、きついかもしれないから、80歳くらいで死ぬのがいいんじゃないか。


きっとそんな人生を送るだろうと、専門学校を卒業するまでは思っていた。疑いもせず、友達と馬鹿みたいに騒いでいたあの頃。


でも――そうじゃなかった。


俺は、あの夏の出来事を、きっと忘れることはできないだろう。

人生に打ち拉がれている俺を救い出したあの”数字”は、今はもう見ることができない。

後悔しているわけではない。あれで良かったんだ。これで良かったんだ。今ならそう思うことができる。




専門学校を卒業し、見事国家試験に合格した。これで俺も晴れて介護福祉士として働くことができる。

小さい頃から高齢者を支える仕事に興味があり、学校の見学や職場体験ではいつも高齢者施設を選んでいた。

しかし、親には強く反対されていた。親の言い分はこうだ。

「介護の仕事はとても大事なものだけど、給料もすごく安いし、世間では”3K”なんて呼ばれている事、知ってる?

わざわざ貴方がなる必要はないんじゃないの。貴方の頭なら少し勉強したらいい大学入れるのに。」

確かに成績も学校では上から数えた方が早かったし、勉強を頑張っていたら、もしかしたら”MARCH”などと呼ばれる大学にも行けていたかもしれない。でも、俺はどうしても介護の仕事がしたかったのだ。俺の父は医師、母は看護師という医療一家であった。だからこそ、介護の仕事の大変さを知っており、反対していたのだ。父は俺を後継にしようとしていたが、俺の想いを伝え続けることで中学を卒業する頃には諦めていた。母は、高校を卒業し、専門学校の入学式の日まで説得していたが、それ以降は何も言わなくなった。応援はされていないが、学校に入学させてくれた事は感謝している。そんな両親は、俺が小さい頃は全く家にいなかった。俺はずっと母方の祖母に預けられていた。祖母はいつも笑っており、俺の事を気にかけてくれていた。お小遣いが欲しくて、祖母の財布から勝手にお金を抜いた時も、祖母にはバレていたが「今度は何が欲しいのか教えてね」と優しくおやつを出してくれた。祖母は畑仕事が好きで、3輪の自転車で畑まで通っていた。荷台に乗せてもらって見た景色は今でも覚えている。でも、そんな大好きな祖母は、もう、亡くなっている。祖母は認知症となり、自宅で過ごす事が困難になっていった。一番の原因は火の不始末であった。その時は小火で済んだから良かったものの、近隣の方の迷惑になると、両親が施設入所を進めたのだ。祖母が入った有料老人ホームでは、積極的な運動やレクリエーションのようなものはあまりなかった。だからか、母と祖母の面会に行くといつも決まって同じベンチに腰掛けていた。顔には覇気がなく、あの優しかった笑顔はもう見ることができなかった。それどころか、その日祖母はこう言い放った。

「貴方たち、どちら様?」

その数週間後、持病が悪化し、祖母は病院に運ばれ、さらに数週間が経過した後亡くなった。看護師である母は怒りに震えていた。その時、声をかける事はできなかったが、後に話を聞くと施設で朝から痙攣が起きていたが、様子観察と判断され昼過ぎまで放置されていたとのこと。遅れて施設職員が救急搬送を行ったが、祖母の意識は戻らなかった。それどころか、病院では、褥瘡(床ずれ)ができないように寝たきりの患者には、体位変換などを決まった時間に行うのが当たり前なのだが、ほとんど行っておらず、祖母の後半身は褥瘡だらけであったのだ。看護師であった母は、その病院のスタッフにエンゼルケア(死後の処置)をされることを拒否し、全て一人で行なった。俺はその時、病室の片隅で小学生ながらに悔しさなのか、悲しさなのか、よくわからない感情に心を支配されていた。何もできない、何も知らなかった自分の拳をただ握りしめていた。

そんな経験も手伝ってか、介護の仕事に就きたいという想いは日毎に強くなっていった。3K(きつい、汚い、危険)という言葉もよく耳にしていたが、あまり気にしたことはなかった。


介護という仕事は、施設によっては無資格でも雇ってもらうことができる。だが、近年国は介護の仕事を科学的に根拠のある、より質の高いサービスを提供できるよう、介護保険制度を改定している。そのため、介護福祉士の資格を持っている職員が施設に多いと介護保険収入を増やすことができる仕組みがあり、介護福祉士はとても重宝される。かく言う俺も、例に漏れず引く手数多であり、すぐに就職先が決まった。いわゆる、住宅型有料老人ホームという施設だった。有料老人ホームにはいくつか種類があるのだが、住宅型とは介護サービスを必要としていない比較的元気な高齢者が入居し、何か生活で困ったことがあったときや病気、緊急の時にはすぐにスタッフが駆けつけることができる施設のことだ。たとえ、介護サービスが必要になった方でも、外部の訪問介護などのサービスを利用して生活を続けることもできる。俺が就職した施設には訪問介護や訪問看護の事業所が併設されており、寧ろ介護が必要な方が多く入居している施設であった。それだけでなく、訪問看護ステーションがあるため、看取りにも対応しているそうだ。その説明を面接室で、施設長から聞かされている時、俺は「これから高齢者の方に、楽しく余生を過ごしてもらえるよう、お手伝いをすることができるのだ。一生懸命頑張ろう。」と心の中で呟いていた。だが、そんな想いは数週間で打ち砕かれることになった。実際に現場に出てみると、日々の介護業務で手一杯となり、入居している方の楽しみや生きがいなどに関わる時間はほとんど持つ事はできなかった。それどころか、休憩時間にお花が好きな入居者と、施設に飾る花を花瓶に生けていると、

「そんなことしている暇があるなら、吉田さんの部屋掃除に行ってきて。」

と管理者から指導を受けてしまうのである。こんな日々を数週間送っていると”それ”があたりまえだと感じるようになってしまった。こんな日々を数年送っていると自分のやりたかった事を見失ってしまった――。




10年の月日が経過した頃、俺は家庭を持ち、当初の予定とは違うが男の子を第一子として授かっていた。前の管理者も辞めてしまい、自分がいつの間にか管理者となっていた。特に目標もなく、いつもの日常を、いつもの業務を、ただ淡々とこなしているだけの毎日であった。前に大笑いしたのはいつだっただろうか、前に嫁とキスしたのはいつだっただろうか、なんで俺はこんなきつい仕事をしているんだろう。

「あ、中村さん。おはようございます。」

「うん。おはよう。今日もよろしくね。」

「中村さんが3人分も働いてくれるから大丈夫ですよね。」

「いやいや、体は一つだからね。」

「じゃあ、半分に割って働いてください。」

そんな、他愛もない会話を同僚と笑いながらすることで、自分の心の中を悟られないように生きていた。管理者になったことで、いろんなことを天秤にかけないといけない場面が出てきたのだ。そして、それは必ずしも正しい選択ではない時もある。会社の利益や制度、業務効率など、多くのしがらみが俺を縛るのだ。そのために犠牲になるのは、高齢者であったとしても、俺は間違ってない。俺は正しい。そうやって、いくつもの仮面を心の中に作ることで自分を正当化してきたのだ。


そして今日も、いつものように同じ一日が終わる、はずだった。服を着替え、更衣室から出た時に、夕食の食事介助をしているスタッフが目に止まった。そのスタッフが介助をしていたのは、吉田さんだ。現在、吉田さんは寝たきり状態であり、発話もほとんどない。そのため、嚥下(飲み込み)機能が低下し、誤嚥(食べ物等が気管に入ること)してしまうリスクが非常に高くなっているのである。そのため、食事は毎回全介助にて行っている。だが、それはいつもの光景だ。いつもなら、あまり気にも止めず、「お疲れ様でした」と声をかけて帰るのだが、その日は違った。目に飛び込んできたのは、”数字”だった。【623:57】自分でもどうしてしまったのかと目を何度も擦った。でも、それは消えず、吉田さんの頭上にあった。白い文字に黒く縁取られたそれは、まるでストップウォッチかのように動いているのである。いや、ストップウォッチとは真逆だ。数字を数えるかの如く、減っていくのである。自分でも理解ができず、幻覚でも見ているのかと思った。きっと疲れているのだろう。そう思い、すぐに帰って休むことにした。もう一度、吉田さんの頭上の数字を確認すると、【623:18】だった。



翌日、早朝に夜勤スタッフから電話連絡があった。吉田さんが、亡くなったと――。

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