6 ご挨拶に向かいました
「アニー、変じゃないかしら……? こんなお化粧をするなんて、久しぶりで……」
「私だってこの2週間、遊んでたわけじゃないんですから。デザイナーさんに話を聞いて、最新の化粧品店を巡って、お嬢様の髪色と目の色、肌色のサンプルも見せてもらってと詰め込み勉強したんですよ? おかげで満足のいく仕上がりです!」
ドレッサーの前で華やかな訪問着を着た私は、アニーに施されたヘアメイクに戸惑っていた。
私は以前、社交界で……失敗している。大失敗という訳じゃない。領地にいる感覚で人助けをしただけだが、それがはしたないとか、男性に恥をかかせたとか、……地元では山猿姫と呼ばれているとか、噂がたってしまった。「山猿姫がお化粧してるわ」「あら、どうせならお顔を赤一色にされればいいのに」などと言われ……、実はつまるところ、実家に逃げていたのだ。
たかだか子爵令嬢の些細で瑣末な噂など、筆頭公爵様の耳に入るわけもない。きっと知らないことだと思う。
でも、こんなに綺麗にお化粧をして……もうしてしまったけど、婚約して、見た目を取り繕ってみたところで、いずれ私の噂は耳に入るだろうし、歓迎されるだろうか?
その時に、幻滅されたり……いや、クロウウェル様は幻滅しないな。木の上にいた私を絵画のよう、落ちた私を天使と言って、羽のように軽かったなんて言ってくれる人だ。
たった半月前の出会い、数日のやり取りの中で、私はあの人にどれだけ惹かれているんだろう。それとも、都合のいい夢を見てるだけなのかな。まだ時々、よく分からない。
とにかく、クロウウェル様なら大丈夫、と自分に言い聞かせて、アニーにありがとうとお礼を言うと、馬車に乗り込んだ。石畳の道をトコトコと馬車は進む。
そういえば、爵位は若くしてクロウウェル様が継承されているけどご両親が亡くなったという話は聞いていない。つまり、義両親になるかもしれない元筆頭公爵夫妻との顔合わせになるのだろうか。
うちの両親との顔合わせ……は、公爵様が一人で済ませてるし、なんだか私は考えているうちにこんがらがってしまった。両親も連れてくるべきだったんじゃないかなとか。
しかし、考え事をし始めると昔から固まってしまったり、頭が真っ白になってしまったりするので、余計な事は横に置いておく事にした。そもそも、クロウウェル様のご両親だって子爵領の視察に来られたことがあるはずだから、顔合わせなんてとっくに済んでるはず。済んでることにしよう。はい、済んだ。
馬鹿な考えをしているうちに馬車が停まる。公爵邸はほとんどお城と言ってもいいような大きさで圧倒された。
邸の大きさは責任や仕事の大きさでもある。なのに、忙しいはずのクロウウェル様は玄関先で私を待ち、笑顔で着飾った私が馬車から降りるのをエスコートしてくれる。
「久しぶりに君の顔が見れて嬉しいよ、リナ嬢。疲れはとれたかい?」
やっぱり、2週間というのは多めに見積もってくれた日数だったようだ。細かいところまでの気遣いがうれしくて、綺麗な顔が本当に嬉しそうに笑ってくれるのがたまらなくて、私は顔が赤くなるのを感じた。
なのに、彼はまだ追い討ちをかける。
「今日の君は一段と綺麗だ。自然の中の君も素敵だけれど、着飾ったレディの君も本当に綺麗だ。私の心臓の音が煩いのだけれど、君に聴こえてはないかな」
などと、綺麗な顔ではにかんで言われたらこちらの心臓が煩くなる。
緊張を解そうとしてくれているのか、さらに緊張させたいのか。クロウウェル様はよくわからない。
「あ、りがとうござい、ます。あの、私……、大丈夫ですか?」
「もちろんだよ、私の天使。君はいつでも素敵だ。私の両親も君がくるのを楽しみにしていたんだ、玄関先で独占してしまうと私が怒られる。一緒に来てくれるかい?」
「クロウウェル様、あの、もちろんご一緒しますが……、私の天使、はもちろんご両親の前では仰りませんよね?」
「もちろんそう紹介するつもりだけど?」
私は反射的に馬車に戻ろうとした足を叱りつけて、お化粧が崩れない程度に顔を覆った。いま、私の顔はそれこそ山猿のように真っ赤で、耳まで赤いに違いない。
自分の方が余程天使のような容姿をしている綺麗な男性が、私を両親に「私の天使です!」と紹介する。想像だけで死にそうだ。
しかし、さすがにこれ以上はぐずぐずできない。諦めてクロウウェル様の差し出す腕に手を乗せると、邸の中に入った。