11 私を辱める私を、抱きしめるひと
「リナ!」
クロウウェル様の初めて聞く大きな声に一瞬足を止めかけたが、この場にいることに耐えきれず私は急いで会場から休憩用のサロンが並ぶ廊下へ逃げ込んだ。
こんな私が隣にいることでクロウウェル様に恥をかかせることも、陛下にご挨拶もせず逃げ出してしまったことも、全部全部申し訳なくて涙が溢れる。
せっかく綺麗に着飾ってくれたのに、アニーも綺麗にお化粧してくれたのに、白い綺麗な長手袋も涙で溶けたお化粧で汚してしまった。
急いで手近な空いているサロンに入ると、ソファに簡単な茶菓子とお茶を淹れるセット、身だしなみを直す一通りの道具と鏡台が揃えられている。
私は鏡台の前に座った。羞恥で真っ赤に染まっていた顔は、今は崩れたお化粧と涙でぐちゃぐちゃである。
(これならまだ、山猿の方がマシかしら)
ふ、と頭をよぎった言葉に笑った顔は、とてもじゃないが可愛らしさのかけらもない。
今の私は卑屈と自虐でいっぱいだ。クロウウェル様にもきっと失望されたに違いない。こんな事なら、最初から自分で話しておけばよかったと思う。
私の天使、と呼ばれるのが嬉しくて、木登りをしてもはしたないとか、咎め立てたりもせずに優しくしてくれたあの暖かさを失うのが嫌だった。
あさましくて恥ずかしい。好きで山猿姫だなんて呼ばれてるわけがない。
領民に呼ばれるのはいい。家人に呼ばれるのもいい。昔から私はやんちゃだったし、その思い出は楽しくてかけがえのないものだ。それを無くそうとは思わない。
ただ、都ではそうはいかない。
街灯の油をさすための登りを使って帽子を取ってあげただけ。雨で滑って転びそうな男性を助けただけ。領地では当たり前にやっていたことは、都会でははしたなく、男性に恥をかかせたことになるらしい。
ならばできるのにやらず、見て見ぬふりをすればよかっただろうか。転ぶ人をそのまま転ばせてしまえばよかっただろうか。……馬鹿らしい、私はきっと、何度も同じことをする。
でも、一度広まった噂は尾鰭背鰭がついてどんどん酷くなる。うちの使用人が好意的に言う山猿姫と、社交界で噂される山猿姫の響きの違い。
あぁ、こんなことなら……やっぱり、社交界なんて出るのではなかった。事業でも手伝って、商人の家にでも嫁げばよかった。
「いた……私の天使」
ガチャ、と無遠慮に扉が開き、クロウウェル様の真剣な顔が一瞬見えて慌てて背を向ける。今の私の顔は、色んな意味で見られたくない。
「リナ」
ふわり、と背後からたくましい腕が私を抱きしめる。
私は山猿姫なのに、きっとあの言葉も聞かれていたはずなのに、逃げ出した卑怯者なのに、臆病者なのに。
美しいクロウウェル様の腕は私を壊れてしまいそうなガラス細工に触れるように、優しく抱きしめている。
この、素敵な人がこんなに大事に思ってくれているのに、私ときたら顔も知らないような人たちの悪口ひとつで……、ううん、自分の中で自分を恥じているから逃げ出してしまった。
「ク、クロウウェル、さま、わた、わたしはっ……、山猿姫と、言われて、います」
「うん」
「わたしはっ……、これからも、必要があれば、はしたないと言われても……、噂される元になったような、ことをするでしょう」
「素敵だと思うよ」
「……っ、いいんですか、山猿ですよ。天使じゃないんです、わた、わたしはっ……逃げ出すような卑怯者です……」
しぃ、と耳元でクロウウェル様の掠れた声がする。ビックリして、私はそれ以上は何も言えなくなった。
私が泣きじゃくるのが止まるのを待ってから、クロウウェル様は私を鏡台の前に座らせる。鏡の中の私は、やっぱり今、とてもひどい顔だ。
「さ、リナ。せっかくお揃いでお洒落をしたんだ。大丈夫、こう見えて私は手先が器用でね。すぐに直してあげよう」
「まぁ、……ふふ」
おどけた調子で袖をまくったクロウウェル様に、私は目を閉じて身を委ねた。
私を辱める私さえ、この人は大事にしてくれる。下手に否定もしない、肯定もしない。……天使と呼びながら、山猿でもいいと言われている気がして。
直して貰ったら、ちゃんと陛下に並んでご挨拶しよう。
この人の隣以上に居心地のいい場所なんて、きっと存在しない。